そこに広がる光景は、状況としてはセレスが思い描いたものとさほど異なる点はない。
 だが凄惨さという点では、彼女の想像を遥かに凌駕するものだった。
 既に、立てこもれるような建造物のほとんどには火が放たれ、もはや住居としての用を成さなくなっている。どう見てもならず者にしか見えない傭兵たちが逃げる村人を追い回し、その背後から別の村人が奇襲を試みるも、さらに別の傭兵に横から斬りつけられておびただしい血を流す。
 実のところ、まだ刺客である勇者自身はその場に辿り着いていなかった。しかしそれよりも先に、勇者よりも遥かにたちの悪い存在にこの村は襲われていたのだ。
 近所で雇った傭兵の一団を連れ、一足先にこの村を襲っていた男の名はアギラ・エスパーダ。現役最強の勇者レオパルド・グロリアの率いるパーティの一員として、偵察という名目でレオパルドに先行しつつ、何の前置きもせずにいきなりこの村を包囲し、そして襲撃したのだ。
 あちこちから煙が立ち昇り、傭兵に斬りつけられた村人の悲鳴が上がる。
 そしてアギラ自身は、この村において田舎の傭兵程度では対抗できない唯一の敵――すなわちセレスの父・バレーヌと、一対一で相対していた。
「……見るも無残な有り様だな」
 バレーヌの容体は、まさに立っているのがやっとという有り様だった。全身に無数の傷を受け、体力も尽き果て、残っているのはわずかな気力だけ。それでも左手にはしっかりと戦斧を握り締め、アギラに立ち向かう姿勢を崩そうとはしない。
 一方、そんなバレーヌを目の前にするアギラの方はというと、全くの無傷だった。まだ本気すら出していない、そんな様子を隠そうともせず彼は余裕の表情で告げた。
「右腕を失い、左足を損ない、老いと酒に体を蝕まれ、それでも魂だけは不滅、か。どうせなら絶頂の頃の貴様と戦いたかったところだ――伝説の勇者ティエラ・レジェンダのパーティの一員にして、彼女と並ぶ腕前とすら言われた鬼神バレーヌ。それも今となっては――だが、守るべきもののために全てを尽くす、その姿勢だけは賞賛に値する。だから俺は語り継ぐだろう。貴様がいかに戦い、そしていかに見事に斃れたかを」
 それは死刑宣告だった。
「せめてもの礼儀だ。最後は全力をもって葬らせてもらう」
 その言葉が終わると同時に、アギラの姿がバレーヌの目の前から消えた。
 姿を追うことすらできない――その事実にバレーヌは愕然とする。たとえ自分が全盛期の力を持っていたとしても、正直言ってこの男に勝てるとは思えない。純粋な剣の技術という点ではあのティエラをも上回るかもしれない。
 とどめの一撃が、バレーヌに向かって振り下ろされる。

 それは、彼の体までは届かなかった。
 何か硬いものによって、その攻撃は受け止められている。だがバレーヌが今の攻撃を防ぎきれるはずはなかった。アギラは視線を落とし、そこに待ち望んだ姿を見つけ――その表情に安堵と歓喜が浮かんだ。
「待っていた。むしろ待ちくたびれたぞ。だが今の一撃を受け止められるとは正直驚いた」
 そう告げた先には、アギラの振り下ろした剣を鋼鉄のつるはしで受け止める少女――セレスの姿があった。
 村に戻ったセレスは惨状を目の当たりにして、まず一直線に自分の家に向かい、途中で出くわした傭兵を二人ほど殴り倒しつつ、保管してあった予備のつるはしを確保したのだ。
 そして村を襲った者たちのリーダーを探すべく奔走し、アギラの姿を発見したのは、今まさに父親がアギラの必殺技によって葬られようとしている瞬間だった。
「あたしも一度やられてたからね、今のやつ」
 ふと背後の父親にちらりと視線を向けると、セレスの姿を見て張り詰めていた何かが切れてしまったのか、彼は気を失ってその場にひっくり返っていた。おそらく命に別状はなさそうだが、少なくとも浅い傷でないことは確かである。当分は目を覚まさないだろう。
「二度は通用しない、ということか。なるほど面白い」
 そう告げると、アギラは自分の連れてきた傭兵たちに向かって大声で叫んだ。
「目的は果たした! もうここの村人たちには用はない、皆殺しにしろ!」
 一瞬、セレスの頭の中が真っ白になった。
 自分がここに来たということを示せば、彼らの興味は自分に移り、これ以上村人を追い回すような真似はしないだろう――その狙いは外れた。
「な、何考えてるの! 村のみんなを殺して何の意味が――」
「レオパルドを出し抜いてまで村を襲ったのには理由がある。一つはお前をおびき寄せるため。そしてもう一つは、魔太子を崇拝する邪悪の使徒として、彼らを皆殺しにするためだ」
「邪悪の……そんな、どうして!」
「我がエスパーダ家が負った汚名を雪ぐためだ。今回の件でエスパーダ家の名誉は地に堕ちた。何しろ家の一員、しかも跡取り候補の一人から、よりにもよって王国最大の敵に与する究極の裏切り者が出てしまったのだからな」
 その言葉の意味するところを悟って、セレスはショックのあまり危うくよろめきかけた。
 王国最大の敵といえば、魔王亡き今、もはや自分のことを指しているとしか思えない。それに与したエスパーダ家の一員といえば、間違いなくアルコンのことだろう。
 あれ以来、彼の姿は一度も見ていないし、そもそも無事なのかどうかすらわからない。ただ確実に言えることは、もはや彼も世界を敵に回してしまったということだ。自分の仲間だったという、ただそれだけの理由で。
「お前が魔族としての力を使えば、俺にはお前を殺すことはできない。だが再生するそばから切り刻み続けることはできる。そうすれば、後から来るレオパルドにとどめを刺させれば全てが終わる」
 彼の言葉は、要するにセレスが致命傷を負えば、どちらにしろその時点で勝負が決まるということだが、実のところ意味のないことだった。元々セレスは魔族としての力を解き放つつもりはない。そんなことになれば再び人間に戻れる保証はないからだ。
 力を解放したセレスが野放しにされれば、もはや村がどうとかいった次元の問題では済まされなくなる。下手をすれば本当に世界が滅亡しかねない。
「遊んでいる暇はない。最初から全力で行かせてもらうぞ」
 そう告げるや否や、アギラは真正面から異常な速度で突進してきた。
 あり得ない速度を目の前にしつつ、セレスはあえてこちらからも突進を仕掛ける。
 目の前の男の繰り出す剣技は恐怖に値する。もはや人智を超えたレベルのそれは、セレスほどの技量を持つ者であれば尚更、それがいかにあり得ないものであるかを悟ってしまうが故に、動かしがたい絶望感となって襲ってくるものである。
 しかしセレスは、もはやそれを恐れることはなかった。そんなものより遥かに恐ろしいものの存在を、既に知ってしまっているからである。
 互いの技がぶつかり合い、鋭い火花を散らす。
 何度か打ち合った後、互いに距離を取り合い、睨み合う格好となった。アギラの側に先程までの余裕は見られないものの、セレスは明らかに疲労しており、早くも肩で息をし始めていた。
 普通に歩いて一日かかる距離を、一度も休むことなくぶっ通しで駆け抜けてきたのだ。その直後にこうして重いつるはしを振り回すというのはいくらなんでも無茶すぎる。あくまで魔族としての力を封じ、人間としての力しか使っていないセレスの肉体は既に限界を迎えていた。
 何とか耐え凌いでいたが、しかし元々実力差のある相手である。肉体が物理的な限界を迎えた瞬間、セレスの体からあらゆる力が一気に抜ける。もはや精神力でどうにかなる状態ではなかった。不自然な倒れ方でひっくり返ったセレスに向かって、アギラは剣先を突きつける。
 このまま心臓を貫かれれば、数秒と経たないうちに死に至る。そしてアギラは次の標的として村人を皆殺しにするだろう。
 もちろん、そうなる前に魔族としての力を発動させれば生き延びられるだろうが――村人が皆殺しにされるという点に変わりはない。違いがあるとすれば、皆殺しにされる側にアギラ自身が含まれることと、この村だけでなく麓の街にまで被害が及ぶ可能性があることくらいだ。
「――終わりだ」
 宣告とともに、アギラは剣を突き出した。
 何もできない――その悔しさを噛み締めながらセレスは目を閉じる。
 一滴の涙が流れた。

 そして、真っ赤な血が流れた。
 このまま死ぬのか、それとも魔族の力が暴走して全てを破壊しつくすのか。とにかく後者だけは何としても防がなければと思い――ふと目を開けたセレスが見たのは、そのどちらでもなかった。
「なん……で……?」
 全く理解ができない。一体何がどうなればこうなってしまうのか。想像していた以上に最悪な光景に、セレスの思考が停止する。
「だめだな、やっぱり……レオパルドの真似、しようと思ったけど、俺じゃ無理……だ……」
 腹に空けられた穴から、おびただしい量の血を流しながら、いつの間にか目の前に現れていた少年――アルコンは呟いた。
「まったく、かっこ悪い……今度こそ、守ろうと、思ったのに……こんな、死に方、しても、意味が……」
「その通り、全く無意味だ。だが安心しろ、すぐにこの娘もお前のところに送ってやる」
 返り血にまみれたアギラが冷たく言い放つ。彼の持つ剣からも、アルコンのものと思われる血が滴り落ちている。
 停止した思考が再び動き出す。セレスは自分がとんでもない失態を演じてしまったということを徐々に理解していった。
 あの時、諦めて目を閉じたりしなければ、そしてアルコンが割って入る場面をしっかり見届けていれば――わずかに生じたであろうアギラの隙をついて、何らかの行動を起こすことができたかもしれない。体はろくに動かないが、例えばポケットには爆弾だって入っている。いくらでもやりようはあったはずだ。
 やり場のない怒りが、セレスの胸の内で荒れ狂う。これでは自分がアルコンを殺したようなものだ。自分のせいで、リュミどころかアルコンまでもが――

 その瞬間、セレスの中で何かが切れてしまった。
 セレスの心は喜びで満たされていた。
 全身に溢れる圧倒的な力は、何人たりとも止めることはかなわぬであろう。今からこの目の前の存在を消滅させる。自分が味わった絶望を、何十倍にもしてこの男に返してやろう。
 足元では誰かが必死に何かを言っているが、声が小さくて聞こえない。でもどうせ大したことではないだろう。もはや自分にはこの力以外、何一つ残されていないのだから。
 セレスは無造作に右手を軽く振る。それだけで、特に何か力を放つとかそういう意識をしたわけではないのに、あたかも濡れたタオルを振ると水が飛ぶといったごとく、常に全身から満ち溢れているエネルギーが破壊の波動となって進んでいく。
 狙った攻撃ではないので、その波動がアギラに命中することはなかった。だが、彼の真横をかすめたその一撃は、螺旋を描きながら大地を深く削り、いくつかの家を一瞬で粉末に変え、村の外に広がる林の一部を蒸発させた。
 王都の市街地あたりでこれを使えば、一発で百以上の建造物が消し飛ぶかもしれない。戦場で軍隊相手に使えば、数百の歩兵をまとめて殺せるだろう。
「……な、何だ今のは? これが、世界を滅ぼすという魔太子の力だというのか?」
 馬鹿な男が何か言っている。こんなものは使おうとして使った力ですらないというのに。
 桜色に染まったセレスの肌に、血の色をした紋様が浮かぶ。その変化は母親である魔王と全く同じものであるが、秘められた力の総量は数百倍どころの話ではない。今はまだ全体の一パーセントも使えないが、徐々に慣れていくだろう。
 その一パーセントの力ですら、まだ制御の効かないこの状態で放てば何が起きるかわからない。反動で自分も傷つくかもしれない――そこまで考えて、セレスはふと気付いた。勇者の手によって直接つけられた傷を除けば、いかなる傷とて元通りになるのに一秒とかからないだろう。破壊の波動が暴走した余波によるダメージは、直接の傷には含まれないはずだ。
「確かに貴様を生かしておけば、世界はともかく王国くらいは消し飛ぶかもしれんな。そうなればエスパーダ家も道連れだ。何としても止めなければならない」
 この期に及んで家の心配をする、この男の根性も見上げたものだとセレスは思う。何もかもを消し飛ばしてしまうのは、彼の精神を粉々に打ち砕いてからでも遅くはない。
 猛然と斬りかかってくるアギラの攻撃を、セレスはかわそうともしなかった。
 鋭い一撃がセレスの首を両断する。
 だが、普通ならばそのまま落ちて転がっていくはずの頭部は、元の場所から全く動いていない。さすがに髪の毛までは再生しないらしく、人間だった頃と同じ夕焼け色の髪の、首から下に伸びていた部分がまとめて切られ、はらはらと宙に舞い上がる。
「……確かに斬ったはずだが?」
 今のは何かの間違いだろうといった表情で、再び剣を構えたアギラの顔が強張る。
 彼の構える剣の、先程セレスの首を斬った部分の刃が、何か酸のようなものに触れたがごとく腐食しているのがセレスの目にも見えた。
 再びアギラが斬りかかる。今度は心臓を狙って突いてきた。
 今度もセレスは何もせず、自らの心臓を貫かせる。その刃は根元まで突き通されたものの、なぜか背中を突き破って後ろに飛び出すことはなかった。
 慌ててアギラが剣を引き抜こうとするが、それは全くの無抵抗でセレスの体から離れ、彼は思わずよろめく。剣は刺さってすらいなかったのだ――そのことに気付いたアギラは、柄だけとなってしまった自らの剣を驚愕の表情で凝視していた。
 どうやら心臓が力の源となっているらしく、心臓に近い部分の血液ほど強い力を秘めているらしい。差し込まれる刃が物理的に溶解されてしまっては、たとえ勇者の一撃といえど心臓に到達させるのは難しいだろう。
「まだだ――まだやられるわけにはいかない!」
 そう叫ぶと、アギラは自分の足元に落ちていた剣を拾った。しかし、その切っ先は真っ直ぐに定まらない。もはや何をしたところで絶対に敵わないということを、精神よりも先に肉体が知ってしまったかのようだ。
 そんな彼の精神にとどめを刺してやろう――セレスの口の端に自然と笑みが浮かぶ。
 あえて遠距離を狙い、自分の力の一部を今度は能動的に放つ。
 セレスの右の手のひらから、それ自体は不可視の波動が生まれる。しかし許容量を超えたエネルギーが空間に充満し周囲の光が屈折させられることにより、歪みが視覚的にも認識される。
 そのことにアギラは気付いていたにもかかわらず、回避のために体を動かすことすらできなかった。空間自体の放つ圧力により、物理的に不可能だったのだ。
 最初に消滅したのは、アギラの右腕だった。
 続いて村の半分が、直接の進路上にあったわけではないにも関わらず、その存在が付近を通り過ぎたことによって物性を歪められ、地面であろうと家であろうとお構い無しに沸騰させ、まるで泡がはじけるかのように飛び散っていく。
 それからきっかり四秒が過ぎ――
 村から見える、遠方の景色に変化が加わった。一言で言えば、見晴らしが良くなったのだ。市街地において、隣の家が取り壊されることによって見晴らしが良くなるかのごとく――村のある山の隣にそびえ立っていた山が、丸ごと消し飛ぶことによって。
 山があった場所の上空に、妙に赤茶けた色の入道雲が発生している。かつて山を構成していた物質の慣れの果て、といったところだろう。
「……は」
 アギラの顔からは表情が欠落していた、おそらく自分の右腕がなくなっていることにすら、気付いていないに違いない。
「……ははは、はははは」
 喉から漏れるその声は、笑いなのか呻きなのかすらわからない。ついに気付いてしまったのだろう。目の前の存在が、自分ごときが――人間ごときがどうにかできるような存在ではないということに。
 目的は果たした。あとはこの男の肉体を壊せば終わりだ。それは赤子の手をひねるより簡単だ。そう思って、セレスは一歩足を前に踏み出す。
 すると、何かを踏んでしまったようだ。思わずそこに目を落とすと、それは折れた剣の先だった。アギラの右腕を吹き飛ばした時に砕けたものが、ここまで飛んできたのだろう。
 しかし、セレスはなぜかその刃から目を離せなかった。どこかで見覚えのあるその輝きは――ふとセレスの脳裏に、人間だった頃の記憶が蘇る。そうだ、この色は間違いない。自分がアルコンのために買い与えたものだ。しかもここで採れた鉱石、つまり自分が掘った鉱石を原料にして作られたものである。
 剣を失ったアギラが、たまたまその場に落ちていた剣、すなわちアルコンが持っていた剣を拾い上げて使おうとしていたのだろうが、そんなことは今はどうでもいい。
 同時に、セレスは自分の周囲にアギラ以外のものが存在することをようやく認識した。
 足元では、アルコンが腹からおびただしい量の血を流しながら気を失っている。もしかしたら既に死んでいるのかもしれない。だがその格好を見る限り、どうやらこちらに向かって這って来ようとしていたらしい。もしかしたら何かを言っていたのかもしれない。
 どこからか声が聞こえる。セレスは辺りを見回した。
 そこには廃墟と化した村があった。傭兵たちが火を放ったことにより燃えた部分もあるが、むしろセレスの力の余波で破壊された部分の方がはるかに広大である。
 村人と傭兵の戦いは既に終わっていた。そんなことをしている場合ではなかったのだろう。天から降った災厄を前に、同じ人間である以上もはや敵も味方もない。
 一部の者は恐怖で正気を失ったのか、空に向かって奇声を上げている。一部の者は、何やら神にでも祈るかのように跪き、何事かを呟きながらセレスに向かって両手と頭を頭を上げたり下げたりしている。

 それを見て、ようやくセレスは悟った。
 もはや自分は、人間という存在とは完全に袂を分かってしまったということを。
 セレスは何もかもに背を向け、そして歩き出す。
 誰も止めようとはしなかった。


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