あらゆる怒り、恨み、憎しみが込められた一撃を、セレスはネーベルに叩き込んだ。
ひとたまりもなく吹っ飛ばされたネーベルの体は、なす術もなく地面の水溜りの上に崩れ落ちる。そんなネーベルに向かって、セレスは叫ぶ。
「いい加減にしなさいよさっきからうだうだねちねちうざったいったらありゃしない!」
顔面を全力で殴り飛ばされ、ショックで身動き一つ取れないネーベルは、そんな声の主の表情を窺おうと懸命に顔を動かそうとするが、どうやら首の筋が変に傷んでしまったらしくどうにもならない。
「あんた見てるとイライラする! なんか自分のこと見てるみたいで! あたしだって思ったもん、リュミをあんな目に遭わせたあたしなんてオプティに殺されちゃえばいいって! 村のみんなにも見捨てられて、もうどこにも行くところがなくて、世界中があたしの敵になって、もう生きてる意味もないとかああほんとに何考えてるんだって感じだよね!」
なおも動けずにいるネーベルの胸倉をセレスは掴み上げ、強引に顔を近づける。
「ねえ、本当にあたしに悪いと思ってるの?」
息のかかるほどの至近距離から見つめられ、ネーベルは何も考えられなくなる。
「もしそう思ってるなら、これからあたしの言うことちゃんと聞くって約束して。だってあたしのこと裏切ったんだもん。そのくらい当然だよね?」
あまりに強引な論理ではあったが、全てを失った今のネーベルに逆らう力は残されていなかった。返事がないのを承諾とみなし、セレスはようやくネーベルから手を離す。ふらつく足でなんとか踏みとどまり、咳き込みながらもネーベルはセレスに向かって発言した。
「一つだけ、忠告させて頂きたいことがあります」
「何?」
まだなんとなく怒っている様子のセレスに、ネーベルは恐る恐る告げる。
「もしも、あなたに相手を殺すつもりがないのであれば……全力で人を殴るのはやめておいた方がいいと思います。あれは当たり所が悪ければ死にます。正直シャレになってません」
*
床の上には、相変わらず脱力しきったリュミエールが寝かされている。
その姿を見て、ネーベルが考え込むようにして呟く。
「何とも言えませんね。精神的ショックによる虚脱状態、のように見えますが、一時的なものなのか、それとも――長期的なものなのか」
永続的、と言いかけて思いとどまったのが見え見えだった。
「さすがにこのまま連れて歩くのは、双方にとって負担が大きいでしょう。どこか預けられる場所があれば良いのですが」
「あたしの村に預けようと思ったけど追い出されちゃった。まあ当然だよね、さっきの話聞く限りでは、王様は本気であたしのこと殺そうとするだろうし、そんなあたしと一緒にいたリュミをかくまったりすれば村のみんなも危ないし」
セレスはため息混じりに告げながら、目の前のネーベルの表情を窺う。
彼は、ぽかんとした表情を浮かべていた。
「……今、何とおっしゃいましたか?」
「えっ? いやだから、あたしの村に預けようとしたけど危ないからって断られたって」
「そんな馬鹿な、一体どういうことなのです?」
本気で信じられないといった表情で、ネーベルは首を横に振る。
「どういう、って言われても言葉どおりの意味じゃないの?」
「それは絶対にあり得ません。はっきりと申し上げましょう。あのデルニエの村の住民が、自分たちの命の心配などするはずはありません」
きっぱりと言い切るネーベルの言葉に、セレスは以前誰かに言われたことを思い出していた。
デルニエの村とは、世の中に絶望した者が、最期の時を過ごすために訪れる場所。
十五年間暮らしていて、村の人たちは誰もそんなことを教えてくれなかった。あえて言う必要がなかったからかもしれない。しかしそれが事実であれば、確かにこの期に及んで命を惜しむ理由などない。
「で、でも! 少なくとも、あたしが見る限りでは誰も絶望なんてしてるようには見えなかったよ。村が魔獣に襲われた時だって、みんな必死に戦ったし――」
そこまで言って、セレスははっと気付く。なぜあの時、彼らは必死で戦ったのだろう? 何しろ人間の力では絶対に倒せない存在に襲われれば、そして生き延びることを望むのであれば、普通だったら逃げることを真っ先に思いつく。そして、昨日セレスが目にした村人たちの姿はあの時と重なっていた。あれは、何かと必死に戦おうとする姿だった。
「そういえばロンじいさん言ってた。父さんを地下に閉じ込めたって――一体何のために?」
セレスが何気なくそう呟くと、一体何を言っているのだという目でネーベルが見返してくる。
「よりにもよって、あのバレーヌを閉じ込める? そんなことが可能だとすれば……あの村の住民たちは、揃いも揃って化け物ばかりということになりますね」
確かに、バレーヌが本気で抵抗すれば、村人全員が束になったところで捕まえられるとは思えないし、そもそも彼を閉じ込めておけるほど頑丈な扉など村には存在しなかったはずだ。
まさか、という思いがセレスの胸を満たしていく。あり得ないとは思いつつも、論理的に考えればそうでない方がむしろあり得ない。
そんなセレスに、ネーベルが駄目押しの言葉を投げかける。
「あの村の住民は、皆が皆、一度は何もかもを失った方たちです。ゆえに当然、彼らに守るべきものなど存在するはずがありません――たった一つを除いては。彼らにとっては、そのたった一つを守るためであれば何を捨てても惜しくはない。我々があの村に手を出せなかったのは、何もティエラ・レジェンダが目を光らせていたからというばかりではなかったのです」
「……ネーベル」
震える声でセレスは告げる。
「……リュミをお願い!」
それだけ言うと、セレスはもの凄い勢いで振り返り、そして廃屋の扉をぶち壊してそのまま外へと飛び出していった。
全身を雨に打たれながら、セレスは全速力で駆け出していた。
なぜ気付かなかったのかと自分を責めながら、一直線に元来た道を進む。早くも脚が悲鳴を上げるが、無視してさらに加速を試みる。
近いうちに、王国の放った刺客が村に辿り着く。その情報を村の皆が先に掴んでいたとしたら、そして皆がある一つの目的のためだけに動いているとすれば、彼らの取った行動も全て辻褄が合う。
要するに、時間稼ぎをするつもりなのだ。
武器を持って立ち上がり、刺客に対してとことん抵抗を試みる。刺客がセレスを追っているのならば、当然勇者を中心とした少数編成であるはずだから、数で勝る村人が全力で抵抗すればそう簡単に全滅させられはしないだろう。しかも村にセレスを匿っているように見せかければ、刺客たちはその場に釘付けとなり、かなりの時間を稼げるはずだ。
まさにあの時と同じだった。村が魔獣に襲われたあの時だって、彼らはただセレス一人を逃がすためだけに、全員が犠牲になる覚悟で戦い抜いたのである。
今回も同じ事をするつもりなのだ。あの時は数十人が死んだ。今度は百人かもしれない。
刺客たちに教えてやらなければならない。その村に魔太子はいないのだ、と。その上で彼らを引きつけ、村から遠く引き離してやらなければならない。これでも足の速さには自信があるのだ。やってやれないことはない。
そう決意して、セレスは村に向かってただひたすらに走り続ける。