雨に全身を撃たれながら、セレスは直立不動でその話を聞いていた。
「本来は、そのまま陛下があなたをお育てするつもりでした。ですがあなたが一歳の時、あなたは誘拐されたのです。かのティエラ・レジェンダの手によって……」
「……えっ、でもその人は魔王に殺されたんじゃ……」
「表向きはそうなっています。どうやらティエラ自身がそう装った結果らしいのですが、実際には取り逃がしていました。もっとも彼女はあの時陛下の口から勇者や魔族の正体について聞いてしまいましたから、もはや闇雲に魔族を狩るような真似はしなくなったようですが」
 ネーベルは、髪を伝って顔に流れる雨水を拭こうともせず、淡々と説明を続けた。
「そして数日後、あなたはあのデルニエの村で発見されました。そう、あなたの実の父親である、何もかもを失ってただ死を待ち続けるだけの男の住む村に、まるで捨てられるかのような形を装って置かれていたのです」
「……このこと、父さんは?」
「間違いなく気付いておられるでしょう。あなたが、自分と魔王ガイストとの間に生まれた娘であるという事実には。ですが、自分から何もかもを奪った相手との間に生まれた子供をここまで見事に育て上げるとは、はっきり言って只者ではありませんね」
 その瞬間、セレスは何もかもを理解した。かつて彼は言った――娘であるセレスに対して憎しみを抱くことがあった、と。事情を知ってしまえば何のことはない、当然としか言いようのない話だった。
「陛下はあなたを取り戻そうと画策しましたが、あのティエラ・レジェンダが常に目を光らせていたせいで、こちらとしても容易に手出しができなかった。ですが、いずれ魔族としての特徴に目覚め、そうなればあの村に居られなくなるだろうから、そうなってから取り戻せばいい、とも思っていました」
 ネーベルの言葉で、さらにもう一つの謎が解けた。村がステージVの魔獣に襲われたあの日、セレスにしてみれば助けを求めに行った街に「たまたま」勇者が滞在していたのだとずっと思っていたが、思えばあの勇者こそがティエラ・レジェンダだったに違いない。
「ですが、あなたは一向に魔族として目覚めない。これはおそらく抗不死力、すなわち勇者としての力が強すぎて、不死の力を抑え込んでいるからではないか。このままでは人間として一生を過ごし、天寿を全うしかねない。そんな危惧を感じていた時、あなたが王国から勇者として任命された、という情報を得ました」
 ここに来てようやく、ネーベルは深くため息をついた。そして何やら遠い目をして語りだす。
「ここから先は、陛下はわたくしには何も教えて頂けませんでした。ですからわたくしの推測になりますが……強すぎる抗不死力を一瞬でも抑えることができれば、あなたは魔族として目覚める。そのための方法の一つとして、自らの抗不死力、すなわち勇者としての力を強く否定させること、というものがあります。あなたをそんな状況に陥れるための、最も確実な方法――」
 そこまで言って、言葉に詰まったネーベルに代わってセレスが後を続ける。
「いつか会いたい、って思ってた実の母親をあたしの手で殺させること? しかも勇者の力で?」
「その通りです。そのためだけに、陛下はわざわざあんな大掛かりな戦を仕組んだのです。そして王宮に潜り込んでいたスパイを通じてあなたを潜入部隊に配置し、陛下と直接対決を行うような場面を作り上げた。最後にわたくしが殺されるという演出が入ったのは、おそらくその場で思いついたアドリブだと思いますが」
「……信じらんない」
 本当に信じられない、というよりは、呆れ果てて物が言えないといった調子でセレスは呟いた。
「思えば陛下は陛下なりに、あなたを愛していたのではないかと思います。ですが人間としての心を失った彼女は、もはやまっとうな手段でそれを表現することができなかった。歪みに歪んだ表現の結果があれだったのでしょう。だから――最後に愛する娘の手で死ぬことができて幸せだった。そうだったに違いないと、わたくしは思い込むことにしたのです」
 その言葉の端に、彼自身の悲痛な叫びを聞いたような気がしてセレスは訊ねる。
「……ネーベル、あなたはこれからどうするつもりなの?」
「どうもしません」
 ためらいもなく彼は答える。
「わたくしは全てを失いました。もはや生きている意味などありません」
 どういう意味か、と訊ねる前にネーベルが質問を先取りしたように答える。
「わたくしにとって陛下の――エスプリ様の存在こそが全てでした。人間だった頃から憧れてはいましたが、被検体にされ、魔族として復活してからは完全にそれだけがわたくしの存在意義となりました」
 その存在意義を、自分は完膚無きまでに破壊してしまったのだ。そのことを認識し、思わずセレスは拳を握り締める。人を殺すというのはそういうことでもあるのだ。
「王宮に潜入して諜報活動をおこなったり、時には命じられて暗殺もしました。全ては陛下のため、その想いだけがわたくしを突き動かしました。ですが陛下の目的を知り、わたくしは初めて彼女の命令に逆らいました」
 あの時、ネーベルが叫んだ内容は最後まで聞き取れなかったが、おそらく彼はセレスに向かって、魔王を殺してはいけない、と忠告しようとしたのだろう。それを察した魔王はネーベルを即座に黙らせた後、その状況を利用してあの演出を完成させたのだ。
「ですが慣れないことはするものではありませんね。わたくしの行動は完全に裏目に出てしまいました。わたくしはあなた方を裏切り、陛下をも裏切り、そして自らの手で全てを失った。自業自得ここに極まる、といったところでしょうか」
 そして、ネーベルはセレスに向かってはっきりと告げた。
「わたくしを殺して下さい」
 突然の言葉に、セレスは反応できなかった。
「実のところ、それでもわたくしは後悔してはいないのです。全ては陛下のため――そのために行動してきたという、そのことに対しては絶対の自信があります。ですが結果として、あなたに対してはとんでもないことをしてしまった。何しろあなたの信頼を裏切ったばかりか、実の母親を殺させる手伝いをしてしまったのですから。死をもってしても償いきれるかどうか」
 セレスはネーベルをまじまじと見返すが、彼の瞳に宿る表情は真剣そのものだった。
「あなたにはわたくしを裁く権利がある。本来ならばわたくしが自ら命を断つべきなのでしょうが、勇者でないわたくしには魔族であるわたくしを殺すことはできません」
「……本気で言ってるの?」
 セレスの問いに、ネーベルはしっかりと頷いた。
「わかった。裁いて欲しいっていうなら望み通りにしてあげる。実はあたしも思ってたところなの。あなたのことが許せないって」
 そう告げると、セレスは一歩前へと進み出た。
 観念したネーベルは、静かに目を閉じる。

 あらゆる怒り、恨み、憎しみが込められた一撃を、セレスはネーベルに叩き込んだ。
 ひとたまりもなく吹っ飛ばされたネーベルの体は、なす術もなく地面の水溜りの上に崩れ落ちる。そんなネーベルに向かって、セレスは叫ぶ。
「いい加減にしなさいよさっきからうだうだねちねちうざったいったらありゃしない!」
 顔面を全力で殴り飛ばされ、ショックで身動き一つ取れないネーベルは、そんな声の主の表情を窺おうと懸命に顔を動かそうとするが、どうやら首の筋が変に傷んでしまったらしくどうにもならない。
「あんた見てるとイライラする! なんか自分のこと見てるみたいで! あたしだって思ったもん、リュミをあんな目に遭わせたあたしなんてオプティに殺されちゃえばいいって! 村のみんなにも見捨てられて、もうどこにも行くところがなくて、世界中があたしの敵になって、もう生きてる意味もないとかああほんとに何考えてるんだって感じだよね!」
 なおも動けずにいるネーベルの胸倉をセレスは掴み上げ、強引に顔を近づける。
「ねえ、本当にあたしに悪いと思ってるの?」
 息のかかるほどの至近距離から見つめられ、ネーベルは何も考えられなくなる。
「もしそう思ってるなら、これからあたしの言うことちゃんと聞くって約束して。だってあたしのこと裏切ったんだもん。そのくらい当然だよね?」
 あまりに強引な論理ではあったが、全てを失った今のネーベルに逆らう力は残されていなかった。返事がないのを承諾とみなし、セレスはようやくネーベルから手を離す。ふらつく足でなんとか踏みとどまり、咳き込みながらもネーベルはセレスに向かって発言した。
「一つだけ、忠告させて頂きたいことがあります」
「何?」
 まだなんとなく怒っている様子のセレスに、ネーベルは恐る恐る告げる。
「もしも、あなたに相手を殺すつもりがないのであれば……全力で人を殴るのはやめておいた方がいいと思います。あれは当たり所が悪ければ死にます。正直シャレになってません」

 *

 床の上には、相変わらず脱力しきったリュミエールが寝かされている。
 その姿を見て、ネーベルが考え込むようにして呟く。
「何とも言えませんね。精神的ショックによる虚脱状態、のように見えますが、一時的なものなのか、それとも――長期的なものなのか」
 永続的、と言いかけて思いとどまったのが見え見えだった。
「さすがにこのまま連れて歩くのは、双方にとって負担が大きいでしょう。どこか預けられる場所があれば良いのですが」
「あたしの村に預けようと思ったけど追い出されちゃった。まあ当然だよね、さっきの話聞く限りでは、王様は本気であたしのこと殺そうとするだろうし、そんなあたしと一緒にいたリュミをかくまったりすれば村のみんなも危ないし」
 セレスはため息混じりに告げながら、目の前のネーベルの表情を窺う。
 彼は、ぽかんとした表情を浮かべていた。
「……今、何とおっしゃいましたか?」
「えっ? いやだから、あたしの村に預けようとしたけど危ないからって断られたって」
「そんな馬鹿な、一体どういうことなのです?」
 本気で信じられないといった表情で、ネーベルは首を横に振る。
「どういう、って言われても言葉どおりの意味じゃないの?」
「それは絶対にあり得ません。はっきりと申し上げましょう。あのデルニエの村の住民が、自分たちの命の心配などするはずはありません」
 きっぱりと言い切るネーベルの言葉に、セレスは以前誰かに言われたことを思い出していた。
 デルニエの村とは、世の中に絶望した者が、最期の時を過ごすために訪れる場所。
 十五年間暮らしていて、村の人たちは誰もそんなことを教えてくれなかった。あえて言う必要がなかったからかもしれない。しかしそれが事実であれば、確かにこの期に及んで命を惜しむ理由などない。
「で、でも! 少なくとも、あたしが見る限りでは誰も絶望なんてしてるようには見えなかったよ。村が魔獣に襲われた時だって、みんな必死に戦ったし――」
 そこまで言って、セレスははっと気付く。なぜあの時、彼らは必死で戦ったのだろう? 何しろ人間の力では絶対に倒せない存在に襲われれば、そして生き延びることを望むのであれば、普通だったら逃げることを真っ先に思いつく。そして、昨日セレスが目にした村人たちの姿はあの時と重なっていた。あれは、何かと必死に戦おうとする姿だった。
「そういえばロンじいさん言ってた。父さんを地下に閉じ込めたって――一体何のために?」
 セレスが何気なくそう呟くと、一体何を言っているのだという目でネーベルが見返してくる。
「よりにもよって、あのバレーヌを閉じ込める? そんなことが可能だとすれば……あの村の住民たちは、揃いも揃って化け物ばかりということになりますね」
 確かに、バレーヌが本気で抵抗すれば、村人全員が束になったところで捕まえられるとは思えないし、そもそも彼を閉じ込めておけるほど頑丈な扉など村には存在しなかったはずだ。
 まさか、という思いがセレスの胸を満たしていく。あり得ないとは思いつつも、論理的に考えればそうでない方がむしろあり得ない。
 そんなセレスに、ネーベルが駄目押しの言葉を投げかける。
「あの村の住民は、皆が皆、一度は何もかもを失った方たちです。ゆえに当然、彼らに守るべきものなど存在するはずがありません――たった一つを除いては。彼らにとっては、そのたった一つを守るためであれば何を捨てても惜しくはない。我々があの村に手を出せなかったのは、何もティエラ・レジェンダが目を光らせていたからというばかりではなかったのです」
「……ネーベル」
 震える声でセレスは告げる。
「……リュミをお願い!」
 それだけ言うと、セレスはもの凄い勢いで振り返り、そして廃屋の扉をぶち壊してそのまま外へと飛び出していった。

 全身を雨に打たれながら、セレスは全速力で駆け出していた。
 なぜ気付かなかったのかと自分を責めながら、一直線に元来た道を進む。早くも脚が悲鳴を上げるが、無視してさらに加速を試みる。
 近いうちに、王国の放った刺客が村に辿り着く。その情報を村の皆が先に掴んでいたとしたら、そして皆がある一つの目的のためだけに動いているとすれば、彼らの取った行動も全て辻褄が合う。
 要するに、時間稼ぎをするつもりなのだ。
 武器を持って立ち上がり、刺客に対してとことん抵抗を試みる。刺客がセレスを追っているのならば、当然勇者を中心とした少数編成であるはずだから、数で勝る村人が全力で抵抗すればそう簡単に全滅させられはしないだろう。しかも村にセレスを匿っているように見せかければ、刺客たちはその場に釘付けとなり、かなりの時間を稼げるはずだ。
 まさにあの時と同じだった。村が魔獣に襲われたあの時だって、彼らはただセレス一人を逃がすためだけに、全員が犠牲になる覚悟で戦い抜いたのである。
 今回も同じ事をするつもりなのだ。あの時は数十人が死んだ。今度は百人かもしれない。
 刺客たちに教えてやらなければならない。その村に魔太子はいないのだ、と。その上で彼らを引きつけ、村から遠く引き離してやらなければならない。これでも足の速さには自信があるのだ。やってやれないことはない。
 そう決意して、セレスは村に向かってただひたすらに走り続ける。


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