その時、何かが落ちる音が響き渡った。
 全員の視線がその場所に注がれる。
 魔王がこの世に生み出した邪なる奇跡、世界に破滅をもたらす悪夢。そんな名前を含めた、何もかもを一人で背負い込んだ少女が、頂上に立っていた。
 彼女は何も持ってはいない。先程の音は、手にしていたつるはしを地面に落とした音だったのだ。少女は何も持っていない右手をズボンのポケットに突っ込み、太くて長い筒状の物体を取り出し、そして皆に見えるように掲げた。
 初めて見る者にはそれが何であるか見当もつかなかったが、しかし今まで彼女と行動を共にしていた三人は思わず息を呑んだ。そんな三人向かって、少女は囁くように語り掛ける。
「ねえ、覚えてる? あのつり橋の時のこと。新型の爆弾についていろいろ話したよね。あれからまだそんなに経ってないはずなのに、ずいぶん懐かしく感じるなぁ……」
 謎の猿に追われる途中、あの大きなつり橋を一発の爆弾で粉微塵に吹き飛ばした時のことだった。あの威力があれば、人間の一人や二人、肉片も残さず消し飛ばすことなど朝飯前だろう。
「このままじゃみんな殺されちゃう。でも、あたしさえ我慢すれば、みんな生き残れる……知ってる? 勇者の力って、手に持った武器で直接攻撃すればちゃんと届くんだよ」
「……まさか、手に持ったまま爆発させるというのですか!」
 爆弾による直接攻撃――強力な爆弾を直接握り締めた状態で、しかも対象に密着させた状態で爆発させる。それを勇者が行えば、理論上は確かにいかなる魔族をも一撃で葬り去る究極の攻撃となり得るが、そんな攻撃が実戦で成功する確率は極めて低く、しかも使った側は確実に命を落とすのだから、実際に試した者はいない。そもそも誰も思いつきすらしなかっただろう。
「大丈夫、苦痛は大して感じないよきっと。みんなに寄ってたかって切り刻まれるよりはずっとマシだと思う」
「おい、本気なのか? いくらそんな――」
「アルコン……あたしを守る、って誓ってくれたって、それ聞いた時本気で嬉しかった」
 涙で潤んだ目を、しかしなんとか涙をこぼさないようにしながら、少女は少年に向かって告げた。
「そんな誓いを立てられたばっかりで、こんなこと頼むのは本当に申し訳ないって思うけど……後のこと、お願いね」
 続いて、少女はネーベルとオプスキュリテにも言葉を伝える。
「ネーベル、なんだかんだ言ってあなたがあたしのこと、一番よくわかってるみたいだね。生まれた頃から知ってるなら当然、って感じなのかな? オプティ、リュミによろしく言っといて。ショックでまた倒れちゃったりしないでねって」
 そして、最後に手に持った爆弾を高々と掲げ、皆に聞こえるように大声で告げる。
「……こんなことになっちゃったけど、あたしはこの世に生まれてきて良かった、って思ってる。誰が何と言おうと、そう思うことにしたんだ」
 左手で握り締めた爆弾の紐を、右手で思い切り引っ張る。内部で点火した後、爆発が生じるまでおよそ三秒。
「みんな、さよなら。それと、最後に一つだけお願いがあるの――怪我したくなかったら今すぐ伏せ」

 最後の部分は聞こえなかった。
 おそらく地上に存在するありとあらゆる爆薬の中で、最も強烈な閃光と爆音を撒き散らし、続いて爆風が周囲の何もかもを巻き上げ、キノコのような形の雲が発生する。
 不用意に覗き込んでいた者は閃光に視覚を奪われ、あるいは圧力に抗しきれずにひっくり返った。少女の最後の願いを聞き届けた者だけが、無傷でその場にとどまることを許されたのだ。
「な、何だあの爆弾は、一体どこで手に入れおった――あのようなものが敵国の手に渡れば、王国の存亡に関わるぞ」
 驚愕の表情を浮かべながら、レオパルドは呟く。そうしている間に、徐々に土煙は晴れ、辺りの様子が浮かび上がってくる。丘の頂上部分が消し飛び、辺りの草が黒く焼け焦げ――そして何より、爆弾を炸裂させた張本人の姿がどこにも見当たらない。
 爆心地の周囲には、彼女のもっとも近くにいた三人がひっくり返っている。まともに衝撃を受けてしまったのだろう。原型こそ保っているが、生きているかどうかすら定かではない。
「……さすがにあれでは跡形も残らぬ、か。何ともいえぬ苦い結末となったが、ともあれ世界は救われたのだ……」
 レオパルドがそう呟くと、周囲を取り囲んでいた勇者隊の面々が、一人、また一人とその場を立ち去っていく。
 いかに世界を救うためとはいえ、一人の女の子を寄ってたかって刻み殺すなどという任務を喜んで受けていた者などいない。ましてや相手がこんな形で自ら命を断ったとあれば、口数が少なくなるのも道理である。
 皆が丘を後にし、最後に残されたのは二人――頂上に向けて黙祷を捧げていたレオパルドと、何も語らずに一部始終を見ていたティエラだった。
「……まさか、そなたが生きておったとはな」
「あなた以外の人は、誰も私のことには気付いていないようです。ですから――」
「何やら訳ありのようだな。黙っているのは構わぬが……せめて、バレーヌの奴には顔を見せていったらどうだ? 何しろあやつは……」
「今の私が、どの面下げて会いにいけるというのですか? 彼は私の形見であったはずの聖剣をアルコン・エスパーダに託してまでセレスティアを救おうとした。それを私は――」
「ふむ、やはりな」
 なぜか納得したようにレオパルドは頷く。
「もしも魔太子が――いや、セレスティアがあそこで自らの死を選ばず、徹底抗戦の道を選んでいたとしたら……王国の勇者史上、最も凄惨な戦いが繰り広げられる羽目になっていただろうな」
「な、何を言って――」
「隠すことも恥じることもない。わしにも昔、妹が一人おってな。魔獣に襲われ若くして命を落としたが、もしもあの子が世界を滅ぼす存在として蘇ったとして――討つことなどできるはずがあろうか? その時は、わしとお主は逆の立場で相対することになったやもしれぬ」
 それだけ告げると、レオパルドは頂上に向かって一礼し、静かな足取りでその場を立ち去っていった。
 最後に残されたティエラは、誰にともなく小さく呟く。
「セレスティア……それが、あなたの選択ですか……それほどの覚悟があるというのですね」
 そして丘に背を向け、村とは反対の方向に向かって歩き始める。
「ならば私には止められません。どうか、せめて……」
 最後の言葉は声にならなかった。風に呑まれるようにして、その後姿は彼方へと消えていった。

 *

 アルコンは起き上がっていた。ネーベルも起き上がっていた。
 リュミは、今はオプスキュリテではなくリュミエールとしてそこに佇んでいる。
「しかし、これはいくらなんでも……」
「ああ、さすがにあれは……」
 そんなことを話しながら、二人は丘の頂上だった場所――今では黒焦げになって陥没した場所の中心に立つ。
 セレスがいなくなった地面に、アルコンとネーベルは屈み込む。そして二人同時に土の中に地面を突っ込み、そのまま真上に思い切り引っこ抜く。
 それは、真っ黒な物体だった。なんとなく人間の形をしているようにも見えるが、何もかもがボロボロになっているため一目でそうとは判別しづらい。物体が突然咳き込んだ。何やら黒っぽい土のようなものを吐き出しながら、その物体は何とか声を絞り出す。
「喉に、喉に土が入った、もう苦しくて、がはっ、がはっ、おぇーっ!」
「いやその前に、あの爆弾ずっと握ってたんだろ? そっちの方は――」
「ぐはっ、がはっ、ぺっぺっぺっ。ああ、あれなら大丈夫。あの時も言ったでしょ。見た目の威力は凄くても、実際は木箱すら壊せないハッタリ爆弾だって。むしろ、あたしが潜る穴を掘るために地面の中で爆発させたやつの方がちょっと威力ありすぎて……」
「……丘の形が変わってるのは、そういう理由だったのか」
 呆れたようにアルコンは呟く。
「でも、あたしの言いたいことが一発で通じてくれて良かったよ。他のみんなに気付かれたら終わりだったし」
「つーかよ、他の奴らはともかく、あの女の勇者は完璧に気付いてたぜありゃ。そもそもあいつってあのフード被ってた指導役とかいう奴だよな。一体何者なんだ?」
「虹色の紋章つけてた、って言えばわかるかな?」
 セレスの何気ない言葉に、アルコンの表情が見る見る青ざめる。
「……マジかよ」
「しかしあの様子ですと、もはや彼女にはセレスティア様を討とうという気はないようです。うまく説得すれば、逆に味方につけることすら可能ではありませんか? 先程は申しそびれましたが、実は彼女はあなたの――」
 ネーベルの問いに、しかしセレスは首を横に振った。そして少しだけ寂しそうな表情で呟く。
「あの人、ああ見えて旦那さんも子供さんもいるんだってさ。そんな人をこれ以上巻き込むわけにはいかないよ。だから……」
 ティエラにもしものことがあった時に置かれるであろう子供の立場と、思わず自分を重ね合わせていたのだろう。少しだけ溢れた涙をぬぐって、セレスは無理矢理とも思える笑みを浮かべて言った。
「さて、なんとかみんなで生き延びたことだし、これからのこと考えなくっちゃね」
「おそらく、元帥たちが既に水面下で動きを始めています。陸上軍、海上軍、天上軍、親衛軍。彼らは魔王の指揮下でこそ団結を保っていましたが、魔王亡き今、もはや彼らを結びつけるものは何一つとしてありません。自らの考えにしたがって、それぞれ思うがままに動くでしょう。彼らがどう動くかを見定める必要があります。おそらく何らかの方法でセレスティア様を利用しようとするでしょう。他の勢力との争いで優位に立ち、自らの望みを達成するために」
「だったら、それをこっちもうまく利用するまで。そうだよね?」
 にやりとした笑みを浮かべるセレスの問いに、リュミをも含めた全員が頷いた。
「こうして魔太子セレスティアは、悪の帝王として身も心も暗黒の道に染まりきっていくのでした。めでたしめでたし」
「……いくらなんでも無理過ぎるだろ、向かないどころの話じゃねー」
 アルコンは呆れたようにため息をつく。同時に腹に激しい痛みを感じ、その場にうずくまった。
「ほらそんなこと言うから罰が当たったんだよ。でもそろそろどっかで休んで傷を手当てしないと。実はあたしもオプティの秘術が切れちゃったせいか、貧血で頭がくらくらするんだよね」
「でしたら、一旦あの村に戻るというのはどうでしょう? 刺客の皆さんもお帰りになりましたし、今度は追い出されることはないと思いますよ。あとはバレーヌ氏にこっそり教えてあげましょう。ティエラ・レジェンダが実は生きているって」
「……大丈夫だよね? 村のみんな、怖がったりしないよね?」
「つーかお前が無事な顔見せねーと、あいつらずっと祈り続ける羽目になるぜ? いいからとっとと戻ってやれよ」
 なおも不安がるセレスに、アルコンは苦笑しながらそう告げた。
「よし、それじゃみんなで一旦村に――ひゃっ」
 いつの間に近づいていたのか、リュミがセレスの左腕を抱え込むようにしてくっついていた。

 世界を敵に回した四人が、それでも帰ることのできる唯一の場所へと、しばしその羽を休めるために向かう――
 一度は何もかもを失った、彼らの新たな人生はまだ始まったばかりだった。

 

あおぞらクエスト - 完-


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