真夜中だというのに、外は明るい。
 最近ではよくあることだった。『教会』の連中が、大挙して街に攻め寄せてきているのだ。
 街は今までに八度の襲撃を受け、八度とも撃退している。しかし襲撃を受けるたびに多くの家が焼け、多くの人が死んでいるのだ。
 いつもは自分と離れて『天帝宮』という所で暮らしている母親がこの家に戻ってきているのも、最も熾烈な戦いが繰り広げられる都から離れるためだった。しかし今度は、逃げてきた先であるはずのこの街が危機に瀕しているのである。
 母親は言った。
「大丈夫。神有月家は武の名門、お母さんもお祖父ちゃんもお祖母ちゃんも、あんな教会の兵士たちに負けるわけがないわ。それに近衛隊のお兄さんたちも来てくれてるし。でも、危ないからミオちゃんはこの部屋に隠れていなさい。内側から鍵をかけて、絶対に出てきちゃだめよ」
 実際、この家に突入してきた神官戦士たちを、家にいる者たちはことごとく返り討ちにしている。でも、突入してくる敵はどんどん多く、そして強くなっている。
 あいつらなんて怖くない。でも、大好きなお母さんに、お祖父ちゃんやお祖母ちゃんにもしものことがあったら。そう思うと、いてもたってもいられない。私も戦う、と言いたいところだけれど、それでは足手まといになってしまうことくらいは理解できる。
 うなだれる自分に、母親は優しく語り掛ける。
「ねえミオちゃん、絶対そんなことはないと思うけど、もしも教会の兵士が扉を破ってこの部屋に入ってきたら――あなたが、ハジメちゃんを守ってあげて」
 ハジメちゃん。
 母親が『天帝宮』から連れてきた自分の弟。五つ年下の三歳らしいが、難しい本も読めるし、大人でも知らないようなことをいろいろ知っているし、絶対に自分より頭はいいと思う。でも体は弱いらしく、こんな状況が長いこと続いているせいか、今は熱を出して寝込んでしまっている。
 ハジメちゃんの父親の父親は、あの天帝陛下だという。天帝陛下といえば、会ったことも見たこともないけど帝国で一番偉い人だ。自分の父親はもう死んでいて、父親の父親は誰だかもわからない。でも母親は一緒だから、やっぱり姉弟なんだそうだ。
 仲良くなりたいと思った。
 背後のベッドで眠るハジメちゃんの顔を見る。顔を真っ赤にして苦しそうにしている。熱いおでこに手を当ててあげると、少し落ち着いたようだ。
「待っててね。今おしぼりを――」
 そう言って立とうとした瞬間だった。
 何か、硬いもの同士がぶつかる音がした。
 部屋の外がにわかに大騒ぎになる。鍵穴からこっそり外の様子を見ると、どうやらまた誰かが突入してきたらしい。
 こんな小さい穴からではよく見えないが、驚いたことに、相手はたった一人らしい。鎧兜に身を包んでいるので顔はわからない。しかし、鎧の胸に刻まれているのはまぎれもなく『教会』の紋章だった。
 敵ながら、いくらなんでも無茶だと思った。家の中には母親に祖父母、そして近衛隊の兵士たちを合わせて総勢二十八名が詰めていて、いつでも戦える態勢を整えている。それに自慢ではないが、母親の武術の腕は半端ではない。
 だから、次の瞬間に目の前で起きた事実が信じられなかった。
 鎧兜の男が動いた。すると、近衛隊の何人かが突然血しぶきを上げ、膝からがっくりとその場に倒れこんだのだ。
 何をしたのか、まったく見えなかった。
 残った近衛隊が、雄叫びとともに一度に鎧兜の男に向かって突っ込んでいく。迎え撃つのかと思いきや、鎧兜の男は突然方向を変えると、奥で弓を構えていた祖母のところまで一瞬で詰め寄り――
 思わず目をそむけた。
 恐る恐る覗き込むと、祖母は血溜まりの中に、弓をしっかりと握り締めたまま倒れていた。
 叫び声を上げそうになるのを、必死に我慢した。
 鎧兜の男は、その光景を見て怯んだ近衛兵たちを片っ端から斬っていった。そこに一つの影がもの凄い勢いで迫る。
「貴様あぁぁぁぁぁっ!」
 修羅の形相と化した祖父が、刃先をまっすぐ上に向けた刀を右上に構え、力任せに叩き切ろうという姿勢で突っ込んでいく。防ぐこともかわすことも至難といわれる必殺の一撃を、敵の刃が自分の身に届くよりも先に叩き込む――
 そのはずだった。
 鎧兜の男は剣を振った。祖父の構える刀を目がけて斬り付けた。
 神官戦士たちの持つ剣とは比べ物にならない切れ味を誇るはずの帝国刀が、大根でも切るかのように、あっさりと根元から切り落とされてしまった。
 そして返す刀で、祖父の頭蓋骨が切り裂かれる。あり得ない切れ味だった。
 残るはただ一人、母親だけだった。
 薙刀を低く構えた母親と、鎧兜の男が向き合う。
 母親が口を開いた。
「私の親を殺したことは許せません。ですが、それ以上に――」
 必殺の気合とともに、薙刀の刃先を前に向けて突進していく。
「子供達に手を出すことは、絶対に――!」
 鎧兜の男はその攻撃を横に避けようとした。しかし、母親の切り返しはそれ以上に速かった。
 薙刀の刃は、完璧に鎧兜の男の胴を薙いでいた。
 だが、それによって傷ついたのは鎧だけだった――母親がそのことに気付くより速く、鎧兜の男は懐に潜り込み、その鋭い切っ先は母親の胸を容易く貫いていた。
 口の端から血を垂らしながら、母親の目から焦点が失われていく。
「……鎧がなければやられていた。恐ろしい奴だ」
 鎧兜の男が、初めて発した声だった。若い声だった。
 そして、男はこちらに向かってまっすぐ歩いてきた。鍵穴の中で男の姿がどんどん大きくなってくる。慌てて扉から離れ、部屋の隅へと逃げ込もうとする――
 もう何を考えていいのかわからない。目の前で母親たちが死んだことを悲しむ暇もなく、今度は自分が殺されようとしているのだ。息が引きつり、叫ぶことも泣くこともできない。
 そこで、ハジメちゃんの姿が目に入った。
 男が突入してくる前、母親は言った。
 あなたが、ハジメちゃんを守ってあげて、と。
 その言葉以外に、もはやすがるものは残されていなかった。
 扉の鍵に剣が突き立てられる。鍵の壊れた扉はひとりでに開き、向こうから鎧兜の男が姿を見せる。
 兜の奥にある目と、視線が交錯した。
 勢いで呑まれたら負けだ――道場で習ったことを必死に思い出す。相手の目を見ろ。自分の手の内を知られるな。わずかな隙を絶対に見逃すな。
 鎧兜の男は足を止めた。
 お互いに動けない。兜のせいで表情がわからないが、まさか自分に恐れをなしているわけではないと思う。まともにやり合えばどう考えても自分に勝ち目のないことくらい、お互いにわかりきっていることだった。
 手足の感覚がない。ほんの少しでも気を抜いたら泣き出してしまうかもしれない。一秒が一時間ほどにも感じる。
 そうやって実に一分近くもの間、二人は睨み合いを続けていた。
 ふと、鎧兜の男の視線が動く。その先には、ハジメちゃんの眠るベッドが。
 男は一歩を踏み出した――視線を、ハジメちゃんに向けたまま。
 わずかな隙を見逃さなかった。
 服の中に隠し持っていた包丁――自分の持っている唯一の武器を握り締める。この間合いでは絶対に届かない。そもそも武器の長さが違うのだから、こちらの攻撃が届くような間合いに入る前に真っ二つにされるに決まっている。
 だから投げた。
 渾身の力を込め、包丁を鎧兜の男に向かって投げつける。
 予期せぬ攻撃に不意を打たれたのか、たかが女の子が投げた包丁ごときで鎧を突き破れるとは思わなかったのか、男はそれを避けなかった。
 包丁は鎧の胴体部に弾かれ――
 なかった。鋭く尖った柳刃包丁の刃は、その半分近くまでもが深々と、男の腹部に突き刺さっていた。
「どう……して……」
 男は呻く。お互いに気付かなかったが、その部分は母親が薙刀の一撃で傷つけることによって生まれていた、包丁でも突き破ることのできる唯一の弱点だった。
「こんなことが……『天使』よ……」
 腹に刺さった包丁を押さえながら、男は一歩、また一歩と後ずさるようにしてこの部屋から、そして家から出て行く。
 その様子を見送りながら、背後にハジメちゃんの苦しそうな呼吸を感じながら――
 男が立ち去ったその後も、窓の外で燃える街を目にしながらも、一歩も動くことができなかった。
 五分が過ぎ、十分が過ぎ――
 石のように硬直していた手足が、ようやくガタガタと激しく震え始めた。

 *

「ミオ、どうしたんだ、ミオ!」
 真っ青な顔でうなされているミオを、ラータルトは揺り起こそうとする。
「……ハジメちゃん……ハジメっ?」
 ミオはいきなり身を起こすと、ラータルトの顔をまじまじと見つめた。
「――な、なんだラータルトか。驚かすでない」
「驚いたのはこっちだよ。いきなり叫びだすから、どうしたのかと駆け寄ってみたら真っ青になって震えてるんだもん」
「済まない。どうやら夢を見ていたようだ……あの時の夢だ。今でも時々出てくるんだ」
 あの時ってどの時、とはラータルトは聞き返さなかった。
「あの時、私はハジメを助けたつもりだったが、何のことはない、私がハジメに――そして母に助けられたんだな。ハジメを守るという目的があったからこそ、八歳だった私にあの悪魔と戦う勇気が生まれたのだ」
「……行こう」
 ラータルトが、ぽつりと呟いた。
「ミオのお母さんを殺した仇を一刻も早く見つけるんだ。そのために、マグナルダ・カーンからいろいろ聞き出すんだ。仇を討ったからといってミオの心が休まるかどうかはわからないけど……それでも、このままじゃいつかミオが参っちゃうよ」
 ミオは、驚きの表情を浮かべ、目を見開いてまじまじとラータルトの顔を見つめていた。
「……ハジメと同じようなことを言うんだな、お前は」
 そう言った時のミオの顔は、いつもの笑顔に戻っていた。


Prev<< Page.10 >>Next