間もなく夜が明ける。
 うっすら白み始めた空の下を、二頭の白馬に引かれる馬車と、一匹のタマに引かれる猫車が並んで走る。
「ところで、あなたたちはこれからどうするつもり?」
 馬車の窓から顔を乗り出し、レノアが猫車の荷台に並んで座る二人へと話しかける。
「特に予定はない。強いて言えば、次の街で文化の調査を――」
「念のため言っておくと、文化の調査ってのは主に食べ歩きのことだけどね」
 ラータルトの補足に、レノアは『我が意を得たり』という表情になった。
「それならちょうどいいですわ。どうせならあなた達、このまま王都まで足を延ばしてみるつもりはありませんこと?」
「王都というのは、確かその名の通り王城のある都のことだったな。ここからは近いのか?」
「このまま飛ばせば、日が沈むまでには着きますわ」
「なら特に問題はない。いずれは訪れるつもりであったしな」
「わたくし、こう見えてもかなり執念深いほうですの」
 唐突にレノアは言った。
「ですから、この間の港町でのあれも、いまだにはっきりと覚えていますのよ」
「ずいぶん経った気がするけど、実は一昨日の話だしね。あれって」
 ラータルトの突っ込みが聞こえているのかいないのか、レノアは気にせずさらに続ける。
「どうもあなた達は、本当の美食というものがどのようなものかご存じないようですわね。今度の日曜日、つまり明後日ですわね。王都の一流レストランの屋上で、ささやかな美食会合がございますの」
「つまり、その集まりに僕達を招待してくれるってこと?」
「勘違いなさらないで。あなた達のような田舎者に、真の美食とはどのようなものか思い知らせて、恥をかかせて差し上げるために連れて行くのですわ。そのあたりをくれぐれもお忘れのないように」
 御者台に座る氷室が、レノアには聞こえないように正面を向いたままそっと呟く。
「助けて頂いたお礼、ということだそうです」

 *

 そこは白い都だった。
 多くの建造物が白く塗られていて、しかも頻繁に塗りなおしているらしく鮮やかな白さを保っている。中でも街の中心部にある、やはり純白に輝く王城は、街壁が見えるよりはるかに遠くからでも、その白さと輪郭を確認することができた。

「さすがに満腹も度が過ぎると辛いな。もう腹が張って仕方がない。触ってみるか?」
 レノアに連れて行かれた『王都の一流レストラン』で、レノアの知人と称するやんごとなき身分の娘たちとともに行われた『食事会』は、昼から始まって夜中まで続いた。牛にでも食わせるのではないかという量を食べてからホテルに戻った二人だったが、さすがにミオの表情は苦しそうだった。
「えーと……もしかして全部食べたの?」
「どうやら一口ずつ残すのが作法らしいが、そんな勿体無いことはできなかったのでな。今にして思えば、そうでもしないと全部食べきれないという意味だったのかもしれぬな……なんともいただけない風習だ」
 たったそれだけのことに対しても、明らかにミオは腹を立てている。実を言えば、王国貴族の間で盛んに行われるこの食事会、満腹になったら一度全部吐き出してから続きを食べるのが本来の作法であるらしい――そのことをラータルトは小耳に挟んでいたが、まさかそんなことをミオに言えるわけがなかった。
「いただけないといえば、あの強烈な香水の匂いは何なのだ? せっかくの料理の匂いが台無しになってしまうではないか。料理長に感想を聞かれた時にそのことを告げたら、何かすごく感激されて涙まで流されてしまったが」
「涙まで……職人の魂を感じるね」
 そんな話をしながら二人で紅茶をすすっていると、二人のいる部屋のドアがノックされた。
 ラータルトが出迎えると、そこには氷室を連れたレノアの姿があった。
「料理の方は楽しんでいただけたかしら?」
「とても美味だった。まあ、あの風習にはいくらか理解に苦しむところがあったが、しかしあそこまでのものを食べたのはおそらく生まれて初めてだろう。感謝するぞ」
 ミオの言葉に、レノアは自慢げな笑みを浮かべた。
「気に入っていただけたようで何よりですわ。ところで、あなた方に少しお話したいことがございますの。中に入ってもよろしいかしら?」
「ああ。しかしわざわざ夜中に部屋まで来るとは、それほど重要な話なのか?」
 すると、それまで自慢げな笑みを浮かべていたレノアの表情が突然真剣なものに変わった。
「話というのは、この間のマクシス神殿長に関わる件ですわ」
「あの肉塊がどうしたというのだ?」
 その表現に、ラータルトは思わず飲んでいた紅茶を吹き出しそうになったが、レノアのあまりに真剣な表情を見て慌てて真顔に戻る。
「あの後調べたところ、いろいろなことがわかりましたの。まず、彼の手によって誘拐されたと思われる少女が三十名あまり。そのうち十五名が宝石を作るために血を抜かれ、おそらく十二人ほどが亡くなった。残りの三人と血を抜かれなかった十五名ほども、秘密を漏らさぬためいまだどこかに監禁されているらしいですわ」
「あの……基本的な質問で申し訳ないんだけど、宝石って何?」
「そうね、そこから説明しなくてはいけませんわね。彼が作ろうとしていたのはピュア・メイデン・ブラッドという宝石――その希少価値と美しさもさることながら、何やら宗教的魔術的に大きな意味があるらしくて、底知れぬ価値があるらしいですわ」
 レノアは、自らが血を抜かれた時にできた腕の傷跡を見ながらさらに続ける。
「ピュア・メイデン・ブラッドを作るには、心身ともに穢れなき清純なる乙女の血が、聖瓶一本分必要らしいですわ。でも大抵の女性にとって、それは命に関わる量――それに『心身ともに穢れなき清純なる乙女』というのはかなり希少な存在らしく、大抵の場合、ピュア・メイデン・ブラッドよりグレードの落ちる、メイデン・ブラッドやピュア・ブラッドになってしまうらしいですわ」
 そういえば、儀式の最中にマクシスがそのようなことを言っていたような気がする。ラータルトは思わず尋ねる。
「その宝石って、どのくらいの価値のあるものなの? そんな、聖職者が人を殺してまで手に入れようとするなんて……」
「ピュア・ブラッドやメイデン・ブラッドでも、一般的な庶民が一生に稼ぐ分より高価という話ですわ。ピュア・メイデン・ブラッドとなるとその数百倍……我がヨーデンブルク家の力をもってしても、複数個手に入れようとすれば家が傾きかねませんわ。問題は、なぜあのマクシスが大量に少女を誘拐してまで、大量の石を作っていたのか。既に彼自身は一つ持っていたし、彼が石をどこかに売りさばいていた形跡も見当たらなかった。それがずっと不思議だったのだけれど、先日面白い事実を突き止めましたのよ」
 レノアは声を低く小さくし、ミオとラータルトに顔を寄せて告げた。
「ここだけの話、マクシスの作った石は、マクシス自身が持っていた一つを除いて、全てある一人の人物のところに流れていたようですわ」
 ミオは冷め切った紅茶をすすると、いかにも不可解だといった調子で続ける。
「その話が、我々に何の関係があるのだ? 石の流れを追って黒幕をどうこうしたいのなら、お前達が勝手にやればいいだけの話だ。どうせあの肉塊は痛い目に遭っているのだろう? 同じことが繰り返されないのなら、その先の話は別に興味はない」
 きっぱりとミオは告げたが、しかしラータルトには少々心に引っかかる部分があった。確かに肉塊ことマクシスの聖職者生命は間もなく終わりを告げるだろう。しかし誘拐された少女の多くはいまだ行方不明だし、黒幕が無事なら同じことが繰り返されない保証はどこにもない。もっとも、それを暴くのがミオやラータルトの役目であるとは思えないが。
 とはいえ誘拐されたのがヨーデンブルク家の領地に住む娘たちであるならば、レノアにとってはむしろこれからが大問題だろうということは理解できる。
「話を最後まで聞いていただけませんこと? 確かにこれは私の問題、ですがおそらくあなた方にとって興味深い話になると思いますわ」
「そこまで言うなら……まあ最後まで聞いてから考えよう」
 ミオの言葉にレノアは頷くと、続きを語った。
「宝石の流れた先は、教会中枢の重鎮、熾神官マグナルダ・カーン。ご存知かもしれないけれど、熾神官というのは神官九階位の最高位で、現役では五名しかいないと聞いていますわ。中でもカーンは事実上、教会の頂点に立つ守護聖皇に次ぐ存在で、今ではエンジェルハンドと神官戦士を共に束ねる、教会軍事における最高指導者になっていますわ」
「それはまた物騒な黒幕だな。なるほど、あの肉塊があれだけの神官戦士を動かしていたのはそういう理由か」
「彼が狙うのは次の守護聖皇の座――しかし現在の守護聖皇はほとんど人前に出ず、重要な儀式の時以外は深い眠りについているという話ですから、すでに教会の権力の大半は彼が握っているも同然ですわ」
「なんで、そんな人がそんなに偉くなっちゃったんだろう」
 何気なく言ったラータルトの言葉に、レノアは勢い込んで説明を始めた。
「大戦前までは、カーンは智神官から昇進したての、かろうじて熾神官の末席に名を連ねるただの成り上がり者に過ぎませんでしたわ。でも帝国との大戦であのような結果となり、それまで神官戦士を束ねていた別の熾神官が責任を取って退く一方で、カーンはうまく立ち回って責任を免れた。それどころかエンジェルハンドを率いて戦いを有利に転じた功績により神官戦士を束ねる役を継ぎ、それから彼は軍事力と政治力を巧みに使い分けて、今の地位を築き上げたのですわ」
 ラータルトには正直、ピンと来ない話ではあった。
 だが、ちらりと横目でミオの顔を見ると、その表情は驚くほど強張っていた。
 レノアは、さらに声を低くして、いかにも秘密の話ですよといった表情で告げた。
「エンジェルハンド――教会では『十三人の最終兵器』と呼ばれ、帝国では『十三人の悪魔』と呼ばれたあの連中を率いて、それまで帝国有利だった戦いの形勢を一気に逆転させ、ひいては帝国滅亡へと導いた黒幕こそ、熾神官マグナルダ・カーンその人ですのよ」
 レノアが言いたいことは明白である。要するに「帝国滅亡のきっかけはカーンなのだ、どうだ憎たらしいだろう、だから一緒に奴を引きずり下ろすのに協力しろ」ということなのである。
 だが――二人はその情報に、全く異なる感想を抱いていた。
「十三人の悪魔……それって」
「ああ。私の母と祖父母を殺し、私とハジメを殺そうとしたあの男――あれはおそらく、その十三人の悪魔のうちの一人だ。それを率いていたという神官なら――」
「知ってるかもしれないね、ミオの仇だっていう、その男のことを」
 話の展開についていけないらしく、レノアは二人の顔を交互に見比べている。そんなレノアに、ミオはきっぱりと告げる。
「わかった。その話協力しよう。しかし、代わりといってはなんだが私の目的にも協力して欲しい」
「ミオの目的? 何ですのそれは?」
 それを口にしたミオの表情は、ラータルトから見ても思わず背筋が寒くなるほどの、ぞっとするように冷たく、そして美しい表情だった。
「その男からいろいろ聞き出す。拷問にでもかけて、知っていることを洗いざらい、な」


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