「あのさ」
「何だ?」
「確かに、行こうって言ったのは僕だけどさ」
「そうだ」
「……普通、潜入って夜中とかにするものじゃないかな?」
「なんだ、真っ昼間に潜入してはいけないという決まりでもあるのか?」
 王都から馬車で半日、猫車で二時間ほどの場所に、それは存在した。
 中央神殿。その名の通り大陸の信仰の中心となるその場所は、神殿というより一つの街のようなものだった。
 神官たちの居住区をはじめ、膨大な書物を収めた巨大な図書館、数千人規模の信徒が一同に祈りを捧げる大礼拝堂、熾神官やその手足となる神官たちが日々の職務を遂行する庁舎、守護聖皇が居を構えるクリスタルガーデン。
 そして全ての中心に位置するのが、大陸で最も高い建造物といわれる『天使の塔』、ここにはユニ教――正式な名をユニエンジェル教会という――彼らが崇める、神と人とを繋ぐ唯一無二の存在である『天使』が住まうと言われている。そして塔の根元を包み込むように構える『裁きの輪』――ここでは戒律に背いた神官や信徒が、『天使』の裁きを受けるための施設だという。
 これらは全て、事前にレノアから得た情報である。教会幹部と王国貴族は古くから水面下で争ってきただけあって、レノアはこの手の情報を実に豊富に持っていた。
 二人の潜入っぷりは、実に堂々としたものだった。堂々と礼拝者の服を着て、堂々と正面から乗り込み、堂々と中心部に向かって歩いていた。実はユニ教徒にとって、一生に一度『天使の塔』を自分の目で見るというのは、全ての信徒に共通の念願であり、そのため信徒であれば誰でも『裁きの輪』の外側までは立ち入ることができるのである。
 もちろん、昼間ということもあり二人以外の礼拝者も大勢いた。そのほとんどが『天使の塔』を見上げながら、ある者は涙を流し、ある者は一心不乱に祈りの言葉を捧げ、ある者は呆けたように口を開けていたりする。
 だが、ミオが塔に向ける視線は厳しかった。その視線には、憎しみすらこもっているかのようだ。
「それにしてもすごい塔だね……どうやって建てたんだろう? 材質は象牙かな?」
 ラータルトの言葉も、ミオの耳には全く入っていないようだった。
「ねえミオ、聞こえてる?」
「……ん? ああ、全然聞いていなかった」
 実に正直な答えが返ってきた。
「今のミオの目つき、すっごく怖かったよ」
「いや……もし本当に『天使』とやらが存在して、この塔の中にいるのであれば……教会が帝国に攻めてきたのは、やはり『天使』の意思だったのか? そうでなかったとしたら、どうして『天使』はそれを止めなかった?」
「それは……どうなんだろ?」
 信徒の間では公然の秘密として、人間の身で『天使』に直に会うことができるのは、守護聖皇ただ一人だと言われている。守護聖皇に次ぐ立場である熾神官ですら、塔自体に入ることは許されないらしい。仮に『天使』が実在するのなら、『天使』が直々に守護聖皇に命じて帝国を攻めさせたという可能性も否定できない。
 そうなれば、ミオの母や祖父母が殺された根本の原因は『天使』自身である、と考えることもできる。
「ところで、ついここまで来ちゃったけど、これからどうするの?」
「とりあえず、ここまで来てしまった以上は行くところまで行くべきだろうな」
「えっと、それはつまり『天使の塔』の中にまで潜入するってこと?」
「当然、侵入を防ぐ何らかの仕組みはあると考えるべきだろうな。とりあえず『裁きの輪』の中まで入って、後のことはそれから考えよう」

 周辺部と違って、『裁きの輪』の内部は一般には公開されていない。とはいえ、それほど厳重に警戒されてるわけではないらしく、見張りの目を盗んで潜入するのはそう難しくはなかった。
「なんとなく入っちゃったけど……これだけ見張りが手薄ってことは、ここには隠すようなものは何もないってことかな?」
「別に隠されているものを見つけるのが今回の目的ではないからな。要はマグナルダ・カーンを拉致すれば全てが終わる。あるいは本当に『天使』が存在するのなら、直接締め上げるという手もあるな」
「……その前に見つかって捕まっちゃったら、別の意味で全てが終わっちゃうけどね」
 さすがに教会の重鎮、しかも軍事関係を束ねるトップなのだから、当然マグナルダ・カーン本人は厳重に護衛されているだろう。確かにミオの使う魔法は恐ろしい威力だし、ラータルトもその辺の神官戦士には負けない剣の腕を持っているつもりだが、ここは教会の総本山である。大聖堂の時でさえあんな目に遭ったのだ。ここで囲まれでもしたら、たとえレノアや氷室の援護があったところでどうにもならないだろう。
 その時、通路の向こうからいきなり一人の神官が姿を現した。
 向こうもこんな所で礼拝者に出くわすとは思っていなかったらしく、警戒あらわな驚きの表情を浮かべている。ラータルトも思わず身構える。
 だが、神官が何かを言うより先に、ミオが口を開いた。
「カーン様はどちらにいらっしゃいますか?」
「な、なんだ、カーン様に何の用だ?」
「大聖堂より至急のお届け物です。必ず直接手渡しで届けて来い、と言われて来たのですが、あいにくどちらにいらっしゃるかがわからなくて……」
「そうか。しかし大聖堂からとは……今行われている儀式に関係あるのか? カーン様はちょうどこの先、第壱の間で裁きの儀式を執り行っている最中だ」
「ありがとうございます」
 ミオは神官に丁寧に頭を下げた。ラータルトも慌ててそれに倣う。
 神官が通り過ぎた後で、ミオはラータルトの耳元で囁く。
「思いつきで言ってみたんだが、まさかこれほどうまく行くとは思わなかった」
「どうやらマグナルダ・カーンはこの建物の中にいるらしいね。ところで裁きの儀式って、誰の何を裁いてるんだろう?」
「……今の神官の言葉でおおかた想像がついた。急いだ方が良さそうだぞ」

 二人が『第壱の間』にたどり着くと、そこは多くの神官たちがいっぱいに詰め掛けていた。
 物陰に隠れるようなことはせず、むしろ人の中に隠れるようにして、二人は人だかりの中心へと近づいていく。
「智神官ブローゼ・マクシスよ」
 その声には聞き覚えがなかった。だが、呼ばれたその名には、二人とも十分すぎるほど聞き覚えがあった。
「そなたの罪状、言われるまでもなくわかっておるな」
「そ、そんな、あんまりですカーン様!」
 完全に怯えきった声が『第壱の間』の隅々まで響き渡る。
「私はただ、あなた様のお役に立つべく、あなた様の言われた通りに――」
「そなたが申し開きをする相手は、私ではない」
 そう告げた男は、この場にいる神官たちの中で、最も偉そうで重苦しそうな服を身にまとっていた。この男こそが、熾神官マグナルダ・カーンに間違いないのだろう。年のころは初老といったところで、マクシスほどに肥満しているわけではないが、豪快な太鼓腹が見事なまでに膨れ上がり、脂ぎった禿頭がてかてかと光っているのが印象的だ。
「あれを見よ」
 カーンが指差した先には、象牙色の巨大な円柱がそびえていた。それは広間の天井を突き破り、さらに上に伸びているようにも見える。
「そなたに裁きを下すのは、あの塔に住まう『天使』だ。もしもそなたの身が潔白であれば、あの壁に触れて無事に戻ってくることができるだろう。だが、もしもそなたに罪があれば、その罪の重さに相応しい罰が『天使』によって下されることになるだろう――!」
 二人の神官戦士が、マクシスの背後に槍を突きつける。
「さあマクシスよ、自らの足で『天使』の御許へと歩むが良い」
 マクシスの顔色が、見る見る青ざめてくる。カーンの歓心を買うためとはいえ、どうやら自分が悪事をおこなっていたという自覚はあるらしい。
 神官たちにまぎれて、じっと様子を窺っていたミオは、ラータルトにだけ聞こえるように小声で告げる。
「口を封じるつもりらしいな」
「……ミオもやっぱりそう思う?」
「しかし自業自得だ。どのような罰が下されるのかは知らないが、助けてやるつもりはさらさらない」
「でも、もし死んじゃったりしたら口封じが成り立っちゃうわけで……」
「カーン自身に吐かせればいいだけの話だ。問題ない」
 それが一番難しいんじゃないかな、とラータルトは思ったが口には出さなかった。
 神官戦士の槍に突き出されるような形で、マクシスがよたよたと象牙の壁に向かって歩いていく。
「こら、お前達、痛いじゃないか、やめろ、私にこんなことをして――」
 しかし、その声の勢いもだんだん弱まってくる。
 いよいよ象牙の壁まであと数歩、というところで、ついに恐怖に耐え切れなくなったマクシスが叫んだ。
「て……『天使』よ! 悔い改めます! 何卒お許しを、お許しを――っ!」

 叫びが最高潮に達するのと、辺りが白い光に包まれるのは、ほぼ同時だった。
 直後に生じた爆音が、雷鳴の音だったことに皆が気付くまでに、しばしの時間を要した。
 そして、最期にマクシスが立っていた場所に残されていたのは、芯まで炭化した骨の破片だけだった。


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