辺りがしんと静まり返る。
 神官たちの誰もが、一言も発しようとはしなかった。マクシスをその場所まで突き出していた二人の神官戦士は、至近距離で炸裂した『天使の裁き』を前に、腰を抜かした上に半ば気を失っているようだ。
 ただ一人、平然としていた熾神官マグナルダ・カーンが、厳かに告げた。
「智神官ブローゼ・マクシスは罪に相応の罰を下された。せめて彼の魂が安らかに眠れるよう、皆で祈ろう」
 そう告げた直後に、カーンはマクシスのことなど全く忘れ去ったかのような表情で、近くにいた神官に命じる。
「では次の被審判者を連れて来い」
 周囲に集まっている神官たちがざわめく。それに乗じ、ラータルトはミオに尋ねる。
「マクシス以外にも誰かいるのかな?」
「さあな、正直見当もつか――」
 そう言い終わらないうちに、ミオの表情が見る見る変わっていった。
 ラータルトも、思わずぽかんと口を開けてしまった。
 神官戦士に槍を突きつけられ、その場に姿を現したのは、見覚えのある少女だった。白くて痩せていて、よく手入れのされた明るい金髪が印象的な――
「な、なんでレノアがここにいるんだよ!」
「知るか、私に聞くな。しかしなんだ二度目ではないか、あいつは教会に拉致されるのが趣味なのか?」
 頭痛を抑えるような仕草とともに、ミオは苦りきった声で呟く。
「な、なんですのここは? 冗談ではありませんわ、あなた方、わたくしにこんなことをしてただで済むとでも思ってますの?」
 よく通る、やかましい声が広間にこだまする。何人かの神官は耳を抑えていたかもしれない。
「そなたは審判される身なのだ。大人しくしたまえ」
「何の審判ですの! マグナルダ・カーン、いかに熾神官とはいえ、事実上の侯爵家当主代行のこのわたくしに、大した大義名分もなくこのような仕打ちなど、王家が黙っておりませんわ――」
「多少のトラブルは覚悟の上だ。そなたのこれまでの行為――大聖堂のみならず、熾神官である私の身の回りにまで密偵を送り込み、神と『天使』の名を汚すべく画策した様々な企み、知らぬ存ぜぬとは言わせぬぞ?」
 カーンの言葉に、レノアは白い顔をこれでもかというほどに高潮させて喚き散らす。
「あなた自分が都合悪いことを探られそうになったからって邪魔なわたくしを始末しようとそういうつもりですのねしかも自分は何も悪くないって顔で一方的に偉そうにいったい何様のつもりですのそういったところが汚らわしいのよそんな醜く出っ張った腹のくせにーっ!」
 彼女が何を言っているのか、正確に聞き取れた者は少なかっただろう。声が裏返っている上に、あまりに興奮しているせいか発音も怪しく、ある程度レノアの声を聞き慣れているラータルトでさえ半分も理解できなかった。
「……いや、言ってることはレノアが完全に正しいと思うんだけどさ、このやり取り見てるとそう見えないのはどうしてだろう?」
「感情を制御する術を知らんのだろう。全く損な性分というか、王国の貴族というのは皆こうなのか? しかし貴族も貴族なら神官も神官だな。マクシスといいカーンといい……」
 ミオの頭の中では、『王国貴族=興奮するとすぐ切れる、教会の神官=腹黒い陰謀家』という公式が出来上がりつつあるらしい。そして、ラータルトもそれを否定する気にはなれなかった。
「侯爵令嬢レノア・ヨーデンブルクよ――いい加減観念したまえ」
 カーンが合図すると、先程マクシスを『天使の塔』のもとに突き出した二人の神官戦士が動いた。二人はレノアの背に槍の先を突きつけると、マクシスの時と同じように、塔へと突き出そうとする。
「なんてことしますのあなた方ごときに突付かれる覚えなどあなたくぁちょったいいゆるしわびなさあんどれこれもうこのやころしおのれきぃぃぃぃぃっっっぃぃぃっはぁぁ」
 レノアはもはや判別不能な奇声を上げた後、いきなり口から泡を吹きながら気を失い、糸の切れた人形のように床に崩れ落ちた。
「……あの時と同じだ」
 ラータルトは思わず呟いた。
 しかし、あの時とは決定的に違う点が一つある。あの時――氷室との決闘にラータルトが勝利した時は、ラータルトもミオもあれ以上レノアをどうこうする気はなかったし、介抱してくれる従者たちもいた。だが今は違う。神官たちには介抱する気もないだろうし、カーンはレノアを『裁く』気満々である。
 騒然とする神官たちに、カーンは厳かに告げる。
「皆の者静まれ! 審判は続行する。誰か、この娘を乗せる台車を持って来い」
 間もなく台車が運ばれ、気を失ったレノアの体が台車の上に横たえられる。
「無理矢理突き出す手間が省けたな。それでは『天使』よ、この愚かなる娘に裁きを与えたまえ!」
「カーン様……この台車を押して行くのですか? それでは私達も巻き添えを受けてしまいます」
「――使えん奴だな」
 カーンが無表情で言い放ったその一言に、二人の神官戦士は凍りついた。
「役立たずのお前達をどうするかは後で考えるとして――仕方がない」
 そう言うと、カーンは自ら台車の所へと赴き、そして塔に向かって押し始めた。
 その様子をじっと見ていたラータルトだったが、その表情には焦りの色が浮かぶ。
「まずいよ、このままじゃ――」
「落ち着け、無闇に動けば私達も捕まる。あの時とは状況が違う」
 そう告げるミオの表情も緊張している。
「それにしても、さっきマクシスを消し飛ばした『裁き』って、本当に天使の裁きなのかな?」
「何だ、藪から棒に?」
「いや、もしそうだとすればさ、別にレノアは悪いことしたわけじゃないんだし、うまくすれば裁かれずに済むんじゃないかな、って……」
「それは期待できないな」
 ミオはぴしゃりと言い放った。
「あのカーンの態度を見る限り、奴が自分に都合の悪い相手を一方的に裁くのはこれが初めてではあるまい。中にはレノアよりよほど潔白な者もいただろう。それに――もし『天使』が存在してそれがまともな心の持ち主なら、カーンが真っ先に裁かれて然るべきだ」
「ってことは……」
「何らかの魔法的な仕掛けにより、近寄る者全てに対して自動的に『裁き』が下る仕組みになっているに違いない。おそらく塔の侵入防止も兼ねているのだろう。しかしあの威力は尋常ではないな。私が全力で結界を張って防いだところで、完全に防ぎきるのは難しい」
「結界……? そうだミオ、その結界ってやつでレノアの身を守れないの?」
「この距離からでは無理だ。自分自身を守るならともかく、他人を守るのは大変なことなんだぞ。おそらく密着した上で、この場の全員に聞こえるくらいの大声で呪文を唱えなければ無理だろうな」
 しかし、二人は野次馬神官の間に身を潜めながらも、すでにギリギリまで近づいている。これ以上近づけば間違いなくカーンに気付かれるだろう。
 レノアを乗せた台車を押すカーンの歩みはよどみない。どうやら巻き添えを全く恐れていないらしく、マクシスが裁かれた場所までの距離はどんどん縮まっていく。
 あれだけ顔を高潮させて興奮していたレノアの顔が、今では青白くなっている。気を失いながらもわずかに見開かれた青い目が、ラータルトの視界に入る。
 そして、一瞬ではあったが、ぴたりと目が合った。

 その瞬間、ラータルトは今自分が置かれた状況を完全に忘れ去っていた。
 大聖堂の時と同じだった――無意識のうちに体が動き、台車のもとへと一直線に駆けていく。
 周囲がにわかに騒然となるが、全く耳には入らない。ただ、気を失ったレノアが処刑されようとしている。その現実以外には何も見えないし聞こえない。
 ラータルトからレノアまでの距離はあと三歩。台車からマクシスが裁かれた場所まであと二歩。
 このままでは間に合わない――その時、神官たちが騒ぎ出したのに気付いたのか、カーンが振り返ってラータルトの方を見た。それまでレノアしか見えていなかったラータルトの視界に、初めてその姿が映る。
 目標を変えた。カーンが押す台車ではなく、カーン本人に向かって突進する。カーンは驚きのあまり足を止め、そして――
 ラータルトに正面から体当たりされたカーンは、台車から手を離して吹っ飛んだ。
 その勢いで倒れる台車から放り出されたレノアの体を、ラータルトは反射的に受け止めた。
 以前に背負った時と同様、レノアの体は軽かった。もちろん人体である以上それなりの重さはあるのだが、今のラータルトにとってはどうということのない程度の重さだ。
 だからというわけではないのだろうが、ラータルトは普段なら絶対取らないような行動を取った。
 レノアの体を担ぎ上げると、回転して勢いをつけた挙句、野次馬神官たちが集まる場所に向けて、思い切り放り投げたのだ。
 慌てて逃げ出す神官たち――しかし一人だけ逃げなかった者がいた。
 レノアの体は、それまで神官たちの中に隠れていたミオによってしっかり受け止められた。危うくバランスを崩して倒れそうになるが、ミオはなんとか踏みとどまった。
「ミオ! レノアを連れて逃げて!」
 ラータルトの声が聞こえたからかどうかはわからないが、レノアを受け止めたミオは、レノアを背中にしっかりと背負い直すと、慌てふためく神官たちを尻目に、とても人一人を背負っているとは思えない速度で広間から飛び出していった。
 一方、ラータルトに体当たりされたカーンは、バランスを崩してよろめいていた。そのまま倒れてしまえば良かったのだろうが、無理に踏みとどまろうとしたためか、必要以上にふらふらと歩き――
 ラータルトの背後で、閃光と轟音が響き渡った。
 境界線を越えて足を踏み入れてしまったカーンに『裁き』が下ったのだ。
「……えーと、これって僕が殺したことになるのかな?」
 ラータルトは思わず冷や汗を流す。神官たちは半ばパニックに陥り、大騒ぎしながら右往左往している。
「とにかく、なんとかこの場から逃げ出さないと――」
 どうやら神官たちには自分を捕まえる意思は、今のところはないらしい。しかし、恐慌状態になっている彼らの間を突っ切って行くのも難しそうで、こうなったら剣を抜いて脅して道を開けるしか――
 そうラータルトが考えた時だった。
 背中に熱い感覚――次いで、何かをねじ込まれたような鋭い痛みがラータルトを襲った。
 全身から力が抜ける。この感覚には覚えがあった。背中から刃物を刺された時の、あの感覚にそっくりだった。
 しかし、背後に敵などいなかったはず――振り返ろうとしたが体は動かず、首だけでなんとか振り返る。
「そ、そんな……」
 そこには『裁き』で吹き飛んだはずの、マグナルダ・カーンの姿があった。
 表情こそ苦痛に歪んでいるものの、体そのものは無傷らしい。彼の手には細く鋭い短剣が握られ、その顔はラータルトのものと思われる返り血で汚れている。
 似た現象は前にも見た。ミオの広範囲破壊魔法をまともに受けたマクシスは、苦痛で気を失いながらも無傷で立ち上がった。あの時によく似ているが、そのマクシスは今度は骨片だけを残して爆発四散しているのだ。同じ裁きを受けたカーンが無事というのは理解できない。
 そもそもミオの魔法と天使の裁きとの間に、威力にそれほどの差があるとは思えない。この種の攻撃に対する抵抗力の差、という簡単な問題ではないようだ。
 そんなラータルトの疑問が伝わったのだろうか。カーンがそれに答える。
「天使の裁きは、罪人にのみ下されるもの。信仰の道を究めた私が裁かれる理由など、何一つないのだよ」
 ラータルトの意識が遠のく。傷自体は致命傷ではないらしいが、この状況ではどちらでも似たようなものだ――
 そんなことを考えながら、ラータルトは深い眠りについた。


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