目を覚ましたのは、どう見ても牢獄としか思えない部屋の中だった。
とりあえず傷は手当てされているらしく、痛みは感じるものの動くのにさほどの支障はない。しかし武器は取り上げられ、鉄格子はやたらと太い。鍵穴も内側からは手が届かない位置にあるらしく、もちろん窓など存在しない。こっそり抜け出せる可能性は皆無だった。
おまけに見張りの一人も見当たらない。無用心にも思えるが、しかしこっそり抜け出す手立てがない以上、誰もいないというのはラータルトにとっては実に都合が悪い。これでは口先で騙して抜け出すことすら不可能である。
「このまま処刑されちゃうのかな……」
カーンがあの裁きを受けて無事だったのは、何らかの仕掛けがあるとしか思えない。逆に言えば、何の仕掛けも持ち合わせていないラータルトがあの裁きを受ければ、間違いなくマクシスと同じ道を辿ることになるだろう。そんなことをぼんやりと考えていると――
「気分はどうかね」
聞き覚えのある声が、不意にラータルトの耳を打った。
「手ごたえはあったのだが、もうそれほどまでに動けるようになっているとはさすがだな」
「マグナルダ・カーン――!」
鉄格子の向こうに姿を現したのは、レノアを処刑しようとした挙句、ラータルトの背に剣を突き刺し、こんな所に閉じ込めた張本人だった。すなわち教会における事実上の最有力者、熾神官マグナルダ・カーン。
脂で光る頭、前に大きく突き出た腹、そして見るからに偉そうなふてぶてしい表情。処刑されたマクシスに似ているといえば似ているが、貫禄の違いは明らかだった――美しくないという点では似たようなものだが。
「お前のことは忘れたつもりだったが、まさかこんな形で再び顔を合わせることになるとはな。運命とは皮肉なものだ」
「……」
一体なんのことだかわからない。どうやら自分が記憶を失う以前のことと関係があるらしいが、全く思い出せそうにない。
「まあいい。いずれにせよお前が処刑されるという事実には変わりない。まったく、あの煩い小娘を堂々と消すことのできるまたとない機会だったというのに――これで奴らはますます守りを強化するだろう。小娘自身はともかく、あの氷室とかいう従者は侮れんからな」
「そうか、レノアは逃げ延びたのか……」
ラータルトはほっと胸を撫で下ろした。レノアが無事なら、ミオも間違いなく無事だろう。
「そんなにあの小娘が心配か? 理解できんな。王国貴族などどいつもこいつも、表面ばかり飾って腹の底は腐った奴らばかりだというのに、なぜそこまで肩入れする?」
「腹の底が腐ってるのはあんたも同じだろ?」
どうせ自分は処刑されるのだ。そう思えば、今更何を言うのにもためらいはなかった。
怒るかと思ったが、カーンはふてぶてしい笑みを崩さなかった。
「同類だからこそわかるのだ。おおかたあの小娘はお前をいいように利用しようとしたのだろう。違うか?」
確かにその通りだ。しかしミオとラータルトはそれを承知で話に乗ったのだから、今更どうこう言うべき話でもない。だが――
「お前には何の考えもなかった、ただ目の前であの小娘が処刑されそうになったから、つい衝動的に飛び出した」
心臓が止まるかと思った。まさにカーンの言う通りだったからだ。
「実際似ていなくもないからな――もっとも私とて実物は見たことないから、本当に似ているかどうかは知らぬが、それはお前も同じはずだ」
何を言っているかまるで理解できないが、一つはっきりしたことがある。このカーンという男は、ラータルトのことを知っているし、ラータルトが衝動的にレノアを助けようとした理由にも心当たりがあるということだ。
もっとも、このまま処刑されてしまうのであれば、そんなことはどうでもいい話だった。しかしただ一つ、死ぬ前にどうしても知っておきたいことがあった。知ったからといってどうすることもできないが、知らずに死ぬよりはいいと思った。だから言った。
「……一つ聞きたいことがある」
「冥土の土産が欲しいか。いいだろう、答えられることなら答えてやる」
カーンは鷹揚に頷く。ラータルトは言葉を選んで尋ねる。
「あんたは、帝国との戦争に参加していたんだろう?」
その言葉に、カーンは怪訝そうな表情を浮かべた。
「今更何を言っている?」
「その時、ミオのいる街を襲ったのは覚えているか?」
「私が直接指揮した街の数は限られている。だがミオというのは帝国人にはありふれた名前だ。どの街のことを言っているのか見当がつかんな」
「じゃあこう言えばいいのかな? ミオの家――たぶん神有月家って名前だと思うけど、そこに当時の天帝の孫がいて、それを襲ったのは――」
「ああ、あれか。覚えているぞ、私の率いるエンジェルハンドが唯一、失敗した作戦だからな。あれさえ成功していれば、天帝の血はあそこで途絶え、第七十七代天帝など生まれなかった」
ふと、そこでカーンは何かに気付いたようだった。
「そうか、ミオというのはあの神有月ミオのことか。弟の代理としていろいろ余計なことをしてくれたな――奴のおかげで大陸には大勢の帝国人が流れ込み、教会はえらい迷惑を被っている。あの時始末しておけばこんなことには……ハジメ以上に、奴こそを始末しておくべきだったのだ」
「その神有月家に乗り込んで、ミオの家族を皆殺しにしたのは誰か――あんたは知ってるのか?」
カーンの表情が固まる。何とも言えない沈黙が流れる。お互いにぴくりとも動かない。
長いことそうしていた後、カーンは大きくため息をついた。
「……何があったか知らんが、ついにやられてしまったようだな」
そう言いながら、カーンは頭を指差して回す動作をして見せる。
「さぞかし辛い目に遭ったのだろう。裏切り者とはいえ忍びない――安心しろ。裁きは一瞬で苦しみなど感じぬ。安らかに眠るがいい」
それだけ言い残すと、カーンは状況が全く理解できないラータルトに背を向けると、そのまま去っていってしまった。