そして翌日――
予想していたことではあったが、あまりにも想像通りの展開に、ラータルトはため息をつくことしかできなかった。両腕をしっかりと縛られ、上半身を全く動かすことのできない状態で連れてこられた場所は、マクシスが処刑された『第壱の間』だった。
昨日は大勢いたはずの「いかにも興味本位で見に来ました」という感じの神官の姿は、今日は全くといっていいほど見当たらなかった。代わりに「いかにも歴戦で鍛えられてきました」という感じの神官戦士たちが、これから戦場にでも赴くかのような重装備で詰め掛けている。
昨日のようなことがあったから、外敵に備えて警戒しているのか。それともラータルト自身を警戒しているのか――後者だとしたら、少なくとも当人には理由の見当もつかなかった。
いずれにせよ、この状況では誰かが助けてくれることなど期待できない。おそらく『裁きの輪』の外部も厳重に警戒されているのだろう。これではたとえヨーデンブルク家の軍隊が総力を挙げて攻め込んで来たとしても、ここまでたどり着くのは不可能だ。
「まさか、こんな日が訪れることになるとはな」
マグナルダ・カーンの表情からは、その言葉の真意を読み取ることはできそうにない。
「何か、言い残すことは何かあるか?」
「だったら一つだけ……僕は、一体何者なんだ?」
「やはり記憶喪失か……ならば、思い出さぬほうが幸せだろう」
そう言われてしまうと、何が何でも思い出したい、という気にはなれなかった。
むしろ気がかりなのはミオのことだった。結局、ミオが自分のことをどう思っているのかわからずじまいだったが、ラータルト自身はミオのことを――
「結局、どう思っていたんだろうな」
単なる主従関係で終わったとは思いたくない。友達というのも違う気がする。向こうはどうか知らないが、少なくとも自分はミオに恋愛感情は抱いていないと思う。あえて言えば姉弟の関係に近かった気がするが、おそらく自分の方がミオより五つくらいは年上のはずだ。そう考えると不意におかしくなってきた。
カーンが合図を下す。五人の神官戦士が――マクシスやレノアの時は二人だったはずだが――ラータルトの背に槍の先を突きつけ、塔に向かって押し出していく。
上半身はガチガチに縛られているものの、足は自由に動くので、この場は走って逃れることができるかもしれない。そう考えはしたが、実行に移すのはやめておいた。丸腰でしかも上半身縛られた状態で、神官戦士たちがひしめくこの広間から逃げ出せるわけもなく、そんなことをすれば寄ってたかって全身串刺しにされるに決まっている。しかし『裁き』で消されるのならおそらく痛みすら感じないだろう。
神官戦士の誰かが何か石のようなものを投げてきたらしい。首筋に当たった石が背中に入り、思わずラータルトは振り返るが、誰が投げたのかはわからなかった。
「そんなに憎まれるようなことしたかなぁ……」
もしかしたら、記憶を失う前に自分は相当酷いことをしてきたのかもしれない。だとすれば、せめて自分が何をしでかしたのかを知りたかった。
だが、もう遅い。
あと四歩、三歩、二歩。
マクシスに裁きが下った場所は覚えている。そこに足を踏み入れた瞬間、自分は消し飛ぶのだ。覚悟を決めて、ラータルトは目を閉じた。
あと一歩。
踏み出した。
白い閃光が世界を埋め尽くした。
想像していた通り、何も感じなかった。痛みすらも。
最期に轟音が聞こえた気がするが、今は何も聞こえない。
ここは天国なのか、いやそんなはずはない。罪に対する罰として死が与えられたのだから、送られる先は地獄に決まっている。
地獄とはどんな場所なのか。ラータルトはゆっくりと目を開けた。
目の前に広がる、象牙色の巨大な壁。耳がゆっくりと感覚を取り戻し、周囲の音が聞こえてくる。何やら騒々しい。地獄の悪魔たちが、自分を見つけて大騒ぎしているのか――
体を動かすと、何やら炭の粉のようなものがぱらぱらと床に落ちた。どうやら地獄にも床があるらしい。振り返ってみると、悪魔たちは神官戦士によく似ている。あの『第壱の間』に詰め掛けていた重武装の。
「……え?」
何かがおかしい。思わず自分の体を調べてみる。裁きによって消し飛んだはずの体は、全くの無傷でそこにある。服もそのままで、しかし上半身を縛っていた縄だけが一瞬で炭化したようだ。
「なんだと――一体どこに隠し持っていたというのだ?」
カーンの声が耳を打つ。何のことやら見当がつかなかったが、どうやらこれは夢でも幻でもないらしい。
「戦士たちよ! 奴を逃がすな!」
カーンの命令に応え、先程まで背中に槍を突きつけていた五人の神官戦士たちがラータルトに向かって突進してくる。思わずラータルトは塔の壁に向かって逃げ出した。
それを追う神官戦士たちが、その場所に足を踏み入れる。
裁きは五人いっぺんに下された。ラータルトの時の五倍の閃光が広間を埋め尽くし、五倍の轟音が鳴り響く。
そして、跡には五人分の骨の欠片が残された。
神官戦士たちの表情に動揺が走る。そんな中、神官戦士の一人が持っていた槍をラータルトに向かって投げつけた。
もともと投げるのに向いていない長い槍なので避けるのは簡単そうだった――だが避けるまでもなかった。『裁き』は槍にも下され、鉄の穂先だけがわずかな残骸となってその場に落ちる。
なすすべもなく右往左往する神官戦士たちの様子を見て、カーンは鋭く舌打ちした。
「まったくどいつもこいつも使えん奴らめ……仕方ない、私が自ら引導を渡してやる!」
カーンは腰の短剣を抜き放ち、ためらうことなくラータルトに向かって突進してくる。
正面から構えを見るとよくわかる。意外にもというべきか、カーンの実力は相当なものらしい――おそらくあの氷室に匹敵するだろう。いかにラータルトとはいえ、とても丸腰で敵う相手ではないし、武器を持っていたところで勝てる保証はない。しかも、塔の『裁き』はカーンには通じないのだ。
一難去ってまた一難。だが、ここまで来てしまったら抵抗せずにむざむざやられるつもりはない。せめて最後に一矢報いて――
ものすごい形相でカーンが飛び込んでくる。そして『裁き』が下される境界線に足を踏み入れようとした瞬間、カーンの顔から脚が生え、
「脚っ?」
目の錯覚かと思った。実際それは錯覚のようなもので、別に脚はカーンの顔から生えていたわけではない。
何の前触れも無く空中に姿を現した一つの人影が、落下と同時にカーンの顔面を上空から踏みつけるようにして蹴りを入れたのだ。
いかにカーンが熟練した戦士だからといって、こんな攻撃に対応できるわけがなかった。体重の全てをかけられた一撃を顔面に受けたカーンは、白目をむいてその場に倒れ込む。
一方、いきなり空中に現れた人影は、聞き覚えのある声で何かを唱え始めた。
『五芒に輝く天魔の星よ、黄金に輝く神亀よ、深淵の地より此処に這い出で、現の世界に威を示せ。四方を囲みし鋼の檻に、か弱き我が身を護らせん、闇より舞い降り地に降り注げ、久遠に揺るがぬ守り石!』
詠唱が終わるとほぼ同時に、その人影は境界線に足を踏み入れた。当然のごとく『裁き』はその人影にも下され、閃光が広間を覆った。
思わずラータルトが目をつぶり、そして恐る恐る開くと――人影はラータルトの目と鼻の先、互いの息がかかりそうな場所にまで接近していた。
見覚えのありすぎる顔だった。だからこそ余計に驚いた。のけぞるようにひっくり返り、その勢いで床に頭を打つ。
人影は口を開いた。
「なんだこの『裁き』とやらの馬鹿馬鹿しい威力は。結界は完璧だったのに、はっきり言って死ぬほど痛かったぞ」
「ミ……」
「み?」
「ミオっ! どうしてこんな所にっ?」
「決まっているだろう。お前が間抜けにも捕まって殺されそうになっていたから、面倒だが仕方ないので連れ戻しに来たのだ。今の所我が家臣はお前一人だからな、いなくなったら困る」
「いやそうじゃなくてさ、あんな神官戦士がうじゃうじゃいる中をどうやって抜けてきたのさ!」
「どうせここで裁かれるのだろうと思って、朝方に忍び込んでずっと天井にぶら下がっていたのだ。そのせいで腕が疲れて先程から震えが止まらぬ」
見ると、ミオの表情は確かに疲れている――どころではなかった。
「どうしたの、その顔色おかしいよ。疲れてるとかそういう次元じゃなくて――」
普段は色白ながらも健康を絵に描いたような色の顔が、今はレノアもかくやというほどに青ざめている。腕どころか足元もおぼつかず、支えてやらなければ今にも倒れそうですらある。
「一体何やってたんだよ、こう言っちゃなんだけど天井からぶら下がるごときでここまでなるんてミオに限ってあり得ないよ」
「何か引っかかる言い方だが――そんなことを話している場合ではなさそうだぞ」
ミオが振り返った先をラータルトも見る。すると、ミオの不意の一撃を受けて倒れていたカーンが、早くも起き上がろうとしている。彼は神官戦士たちに告げた。
「結界の向こうには武器は届かぬ、魔法で仕留めよ!」
その声に応じて、神官戦士たちは一斉に呪文を唱え始めた。
神聖魔法の威力のほどは、一度ラータルトが身をもって味わっている。今は亡き智神官マクシスの放った神聖魔法は、威力こそミオの魔法に遠く及ばないが、ラータルトを一撃で行動不能にするには十分だった。そんなものを数十人がかりで放たれたら――
「案ずるな。今のお前には、奴らの神聖魔法ごとき痛くも痒くもないはずだ」
ミオがラータルトだけに聞こえるように囁く。
「しかし私はそうもいかないからな、しばらくお前の後ろに隠れさせてもらう」
それだけ告げると、ミオはぶつぶつと呪文を唱え始めた。
「ま、まさか応戦する気なの?」
ラータルトは尋ねるが、ミオの表情からは肯定とも否定とも受け取れない。
その直後に、神官戦士たちが呪文を唱え終わる。何もない空中からいきなり稲妻が走り、それらの全てがラータルトを直撃した。
ミオの言った通りだった。無数に振り注ぐ稲妻のどれ一つとして、ラータルトの体を傷つけることはなかった。
だが、その後ろにぴったりくっついているミオにもその余波が及んでいた。ミオは元々苦しそうだった表情をさらに歪めながら、しかし呪文の詠唱がよどむことはない。
そして――
『闇より舞い降り地に降り注げ、冷たき鉛の破壊鎚!』
まさか、あの大規模破壊魔法を神官戦士たちに向かって放ったのか――ラータルトは思わず目を伏せようとしたが間に合わなかった。
建物全体を揺るがす破壊音が響き渡った。だが、それはラータルトが想像していた前方からではなく、誰もいないはずの後方から聞こえてきた。
「こっちだ!」
ミオの声に応えてラータルトが振り向く。
「……穴?」
象牙色に輝く塔の壁。傷一つついているようには見えなかったそこに、おそらく今の衝撃で空いたものなのだろう、黒くて丸い穴がぽっかりと口を開けていた。
「……もう何て言うか、何でもありなんだな、ミオの魔法って」
「今の魔法はいかなる城門をも跡形も無く消し飛ばすほどの威力なのだが――それでこの程度の穴か。一体何でできているんだこの壁は?」
ふと、気配を感じたラータルトは振り返る。
おそらくこの塔は、神官たちにとってこの上なく神聖不可侵なものだったのだろう。あまりといえばあまりの出来事に呆然としていた神官戦士たちの表情が、次第に青ざめ、それが過ぎると今度は烈火のごとく紅潮し始めた。
「まずい……まずいよこれは」
「いいから早く来い!」
その声は、壁の穴から聞こえてきた。いつの間にか穴の所まで移動していたミオが、穴に片足を突っ込みながらラータルトに呼びかけている。背後から聞こえる神官戦士たちの呪文の詠唱――というより怒鳴り声から逃げるようにして、ラータルトもミオに続いて穴に飛び込んだ。