「あえて言うなら、一番悪いのは私です」
少女はそういい切った。
「外からこの塔に入るのは不可能に近いです。しかし実は、中から外に出るのは簡単です。私は閉じ込められているわけではない、単に閉じこもっているだけ――」
顔を伏せているため、表情は窺い知れない。しかし、少女の声は震え、それに合わせるかのように、一対の小さな純白の翼が揺れている。
「私が外に出て、止めれば良かった。誰も耳を傾けなかったとしても、私が外に出て口にした瞬間に、それは現実になります。すでに殺された人間を生き返らせるのは無理でも、これから起きるであろう殺戮を止めることくらいはできた――でも、怖かった。私の力は時にとんでもない副作用を招くことがあるし、それに何より、教会の人たちが私の姿を見たら何をするかわからなかったから」
少女はゆっくりと顔を上げる。
「ロートルジェムはそんな私のために、私を守るための精鋭部隊を作ってくれました。それが『エンジェルハンド』――私が外に出た時、常に私と共にあり、私を守ってくれる存在。でも戦争が激しくなるにつれて、彼らは違った方向に使われ始めたんです。私を守るためという名目で、敵地にまで乗り込んで殺戮を繰り広げ、『十三人の最終兵器』あるいは『十三人の悪魔』とまで呼ばれるようになりました。今では戦死者が二人、裏切り者として追われる身となったのが一人、新しく加わった者が二人で合計十二人ですが……」
「そいつらのことを詳しく教えて欲しい」
ミオの声の奥底に、隠しきれない憎悪が煮えたぎっていることを、ラータルトは察知していた。
「それは――」
「お前はこの塔から全てを見ていたのだろう。ならば知っているだろうが、私の家族はおそらくそのうちの一人に殺された。それは事実か?」
「……その通りです」
「なら教えて欲しい。十三人のうち、私の家族を殺したのは誰だ? 何と言う名前で、今はどこにいる? そもそも生きているのか?」
ミオの問いに、少女は黙ったままだった。
長い沈黙の後、少女はわずかに口を開いて言葉を漏らす。
「それは……」
「それは何だ?」
「それは、言えません」
「――それは、つまり『知っているけれど教えない』という意味なのだな?」
ミオの問いに、少女はしっかりと頷いた。
「こんなことを言う資格がないのはわかっています。でも、どうかお願いです――あなたのご家族を殺したという、エンジェルハンドのことは忘れて下さい。恨みを晴らしたいのであれば、私が代わりになります。私が死んだところで悲しむ者は――そもそも私のことを知っている者自体、ほとんどいないのですから」
「そうか。ならば望み通りにしてやる。立て」
ミオに言われるままに、少女は立ち上がった。
「ミオ、まさか――」
「ラータルトはそこで黙っていろ。今度邪魔をすれば、お前とてただでは済まさぬぞ」
そう言われても、引き下がるわけにはいかなかった。武器を取り上げられたラータルトと違って、ミオはいつものように腰に刀を下げている。無抵抗の少女を斬り捨てることなど一瞬だろう。
なんとしても止めなければならない。少女のために――それもあるが、何よりミオ自身のためにだ。おそらくミオは今までに数え切れぬほど人の命を奪っているのだろうが、その上にこの少女の命の重さまで背負わせる必要などどこにあるのだろうか。
だが、完全に冷静さを失っていた先程と違って、今のミオは冷静そのものだ。こちらに対して油断もしていない。いかにラータルトとはいえ、丸腰では武器を持ったミオを力ずくで抑えられるわけがない。
「覚悟はできているのだろうな? 本当に命を捨ててまで、私の仇の身を守るために黙り通すというのか?」
「もとは私が原因です。私だって――」
そこまで言ってから、ミオの顔をちらりと見て、少女は再び顔を伏せた。
「私だって死にたくはありません。でも、殺されても仕方がないことをしたとは思います」
「そうか。ならばこれ以上は何も言うまい」
「やめろ――」
ラータルトは動いたが、しかしそれ以上にミオの動きの方が早かった。
ミオが腰の刀を抜いて、少女に斬りかかるつもりだったのなら、ラータルトは間に合ったのだろう。しかしミオの動きはそれよりはるかに速く、そして単純なものだった。
見事な一撃だった。ほとんど予備動作なしに繰り出されたそれは、少女の顔面を見事に捕らえていた。
軽いとはいえ人一人を片腕で持ち上げるほどの力である。少女の体は派手に吹っ飛び、ものすごい勢いでひっくり返る。
慌ててラータルトが飛び込んだ上に、少女の体が舞い落ちる。
ラータルトが状況を理解するのに、それからたっぷり五秒ほどを要した。
「えっと……殴った、の?」
「誰かを守るために自分を犠牲にするとか、そういうたわけたことを抜かす奴には当然の報いだ」
「いやミオが言っても全然説得力ないんだけど……」
ラータルトが活を入れると、少女はすぐに目を覚ました。どうやらミオも全力で殴ったわけではないらしい――真に全力で殴ったのであれば、最低でも顎の骨は折れていただろうし、下手をすれば一撃で死に至っていたかもしれない。
「最後に二つだけ聞きたいことがある」
ミオは、いたって冷静な表情で少女に告げた。
「今、ハジメがどんな状況になっているか知っているだろう」
「死の呪いに囚われ、余命いくばくもない先代の天帝――あなたの弟さんのことですね。ミオさんが施した処置は実に適切、というよりは現状で施しうる唯一の処置です。このまま冷凍状態で眠らせておけば、百年近くは時間を稼げるでしょう」
「……唯一、か。やはり、呪いそのものを解く方法はないのか?」
「彼にかけられた呪いだけを解くことはできません――私の力をもってしても不可能です。呪いを解くためには、あの大地にかけられた呪いそのものを何とかする必要があります。そのためには――」
「全世界に君臨する真の帝になる必要がある、か?」
「その通りです」
少女の言葉に、ミオは小さく溜息をついた。
「ですが、全世界とはどこまでを指すのか、君臨するとはどの程度まで支配することを意味するのか――実は厳密には定まっていません」
「どういうことだ?」
「最初にあの奥義を編み出した太古の天帝は、戦争の道具として奥義が使われることを恐れ、そのためそのような条件をつけて封印したのだと思われます。全世界の支配者などというものが、この先現れる可能性は極めて低いでしょうし――」
「仮に現れたとしても、既に全世界を手中に収めた者がわざわざそんな奥義を使う必要はない、といったところか」
ミオの言葉に少女は頷いた。
「しかしそれがどういう――」
「この条件は、あくまで単なる条件付けとして存在するだけなのです。つまり――多少無理なこじつけであっても、条件さえ満たせば封印は解除できるはずです」
「こじつけ?」
「例えば……」
そう言うと、少女はいきなりミオの足元にしゃがみ込んだ。そしてミオの右手を取り――
手の甲にキスをした。
突然のことに声も出ないミオに、少女は告げる。
「ユニエンジェル教会というのは巨大な組織です。大陸に住む者のうち、異端とみなされた者を除くほぼ全てがユニ教徒である、という建前になっています。そして彼らは皆『天使』を――つまり私を信仰しています。だから私は、いわば大陸のほとんどに君臨しているわけです」
そう言うと、少女はちらりとラータルトの方を見た。
「そしてラータルトさんと同じように――私はミオさんに忠誠を誓います」
その言葉を聞いた二人は、思わず言葉を失った。
しばしあっけに取られていたが、先にラータルトが口を開く。
「つまり、大陸のほとんどに君臨しているあなたの上にミオが立つことによって、ミオがこの大陸のほとんどに君臨するってこと……?」
「実際には、教会は王国の他にも碧の財団や魔導士連盟といった多くの組織と勢力争いを続けています。それに大陸だけが世界の全てではありませんから、まだまだ先は長いと思います。今は、私にできることはこのくらいです――」
「なぜだ?」
それまで閉ざしていた口を開いたミオは、理解できないといった調子で尋ねる。
「なぜそこまで私に協力する? 忘れているようだから言っておくが、私はお前の胸倉を掴み上げた上に顔面を殴り倒した相手だぞ?」
「私だって死にたくはない――確か、さっき私はそう言ったと思います」
唐突に言った少女の言葉に、ミオは一瞬返答に詰まった。
「あ、ああ、言ったな。それがどうした?」
「そんなことを思ったのは、外の時間にして五百年ぶりです」
何気なく言われたその言葉に、二人は思わず黙り込んでしまう。
「死にたくないって思ったのは……あなた方の姿を見て、あなた方と話して、そうしたらなぜかそう思えてきたんです。どうしてでしょうね。たとえ今だけのものとはいえ、あなた方の関係が心底羨ましくて――一方的に守る守られるの関係でもなく、単なるもたれ合いでもない。私も彼とはそういう関係になりたかった。私がもっと強ければ……」
「えっと、それってどういう――」
ラータルトは思わず聞き返したが、少女は構わず続ける。
「ラータルトさん、お願いです。あなたはこれからきっと辛い思いをするでしょう――でもその時、本当に一番辛いのはきっとミオさんだと思うんです。そして、それを支えられるのはラータルトさんしかいないんです」
「いや、あの……」
「私にも未来のことまでは見えません。でも過去と現在のことは知っています。だからきっと――あなた達なら乗り越えられると信じています」
少女の瞳は真剣そのものだった。勢いに圧されるような形で、ラータルトは思わず頷いた。
「ミオさん……全世界に君臨する真の帝、というのは恐ろしい存在です。外の世界では私は、口にしたことのほとんどが実現する力を持っていましたが、全てを支配するというのはそれに似たようなものだと思います」
「そうだな。できればそんな役は誰かに代わってもらいたいところだが、こんなことを任せられるような奴に心当たりなどないからな」
ミオのその言葉を聞いて、少女は優しく微笑んだ。
「人間、誰しも過ぎた力を持てば変わるもの――全てを支配した上でその恐怖を理解し、なおかつそのための力があり、そういう立場になることを望む者など、私の知る限りでは存在しません――可能性があるとすればミオさん、あなただけです」
そして、少女は今度はラータルトに向き直った。
「ラータルトさん。もしもミオさんが道を見失った時には、あなたが助けてあげてください。あなたになら、それができると信じています」
「わかった……できる限りの努力はするよ」
そう言って頷くラータルトの前に、少女は進み出てきた。いつの間に出したのやら、少女の手には一振りの剣が握られていた。
「その剣は――」
「あなたに差し上げます。私の手で鍛えた剣です。神宝である水鏡の剣には及びませんが、教会では『天使』の祝福を得た聖剣と呼ばれているものです。誰かを守るために戦う、そんなあなたにこそふさわしい物です」
それを受け取った瞬間、ラータルトは思わず驚きの声を上げた。
刀身が白銀色に輝く、細身で短めの剣だった。どうやら一度も使われていない新品らしく、真っ先に黒くなるはずの装飾の隙間までが輝きを保っている。
だが、ラータルトはこの剣にはっきりと見覚えがあった。長さも重さも装飾の形状も何もかもが――新しさ、という一点を除いて――つい昨日までラータルトが持っていて、カーンによって取り上げられたものと全く同じなのだ。
「――そろそろ大丈夫そうですね。塔の包囲が解かれたようです。塔の中と外では時間の流れが違いますから、あまり長居をすると外ではとんでもない時間が過ぎてしまいます。急ぎましょう」
少女はそう告げると、両手を組んで口の中で何かを呟き始めた。
「このまま外までお送りします。私の力では『裁きの輪』の外あたりまでしか送れませんから、あとは礼拝者にまぎれて脱出して下さい」
二人の視界がぼやける。ここではないどこかに飛ばされるような感覚に、ラータルトは思わず身構える。最後にミオが叫んだ。
「待て、まだ一つ質問が残っている! お前の名は――」
そして、この世界とのつながりが途切れる瞬間、少女の声が聞こえた。
「私の名前は、エリシア――」