塔の少女――エリシアに言われた通り、二人は礼拝者にまぎれて脱出し、王都のホテルに戻っていた。教会関係者は血眼になって二人を捜索しているようだったが、さすがに王都では強引な真似もできないらしく、ホテルにまで乗り込んでくる様子はない。
「しかしまったく疲れたな」
「これからどうするの?」
「今日はここでゆっくり一泊しよう。明日は――」
 ミオは少し考えてから告げた。
「レノアに会っていろいろ聞き出すつもりだ。仇の正体がエンジェルハンドだってことははっきりしたんだ。あとは十三人の所在を掴んで、片っ端から当たっていけばいつかはたどり着く」
「でもさ、あの子――エリシアは忘れてくれって――」
「忘れられるはずがないだろう。奴は私の目の前で母と祖父母と近衛隊を殺し、私やハジメの命まで奪おうとしたんだぞ」
「そいつを見つけたら、どうするの? やっぱり、殺すの?」
「それは見つけてから考える。奴のしたことは死ねば許されるようなものではない。奴がなぜあそこまで残虐になれたのか、全てを聞き出してから、殺すかどうかはその後だ」
 ふと、ラータルトは肝心なことに思い当たった。
「でも、そのエンジェルハンドって強いんだよね? 悪魔って呼ばれたくらいだし……勝ち目はあるの?」
 魔法を使って闇討ちをするとか、やり方はいろいろあるかもしれない。しかし、万一相手がピュア・メイデン・ブラッドなどを持っていたら魔法は通用しないし、『全てを聞き出す』ためにはまずは正面から名乗り出なければならないだろう。
「母は強かった。神有月家代々の当主の中でも最強と謳われていて、おそらく今のお前と同じくらい強かったはずだ。それでも奴には勝てなかった――普通に戦ったら、まず私に勝ち目はないだろう。だが、私には切り札がある。奴の強さがあの時と同じであれば、それできっと勝てるはずだ」
「切り札?」
「まあ、もしそれでも負けた時にはお前に仇を討ってもらうしかないな」
「縁起でもないこと言わないでよ。それに、相手が正々堂々一騎討ちに応じるとは限らないんじゃ?」
「それこそお前の出番だ。雑魚どもはお前に任せる」
 ラータルトは頷いたが、何かが引っかかる。重要なことを見落としているような予感。しかし、それが何なのかはわからない。
 それにしても、まだ夕方だというのにやたらと眠い。あの広い芝生の大地を、ミオを背負ったまま延々と数時間は歩き続けたのだから、無理もないことではあるが。
「ところで私は一風呂浴びてから寝るつもりだが、先に入るか?」
「いや僕は後でいいよ。でもあれだけ血を抜いた後なんでしょ? 倒れたりしないように気をつけてね」
「心配するな。あの川の水を飲んでから体調も戻っている」
 そう告げると、ミオは部屋を出て行った。
 途端に猛烈な眠気がラータルトを襲う。何気なくベッドに身を横たえた瞬間、意識が急激に遠くなる――

 *

「なんだこの街は。神官戦士が苦戦しているというから来てみたが、こんなちっぽけな田舎町を相手にてこずっていたというのか?」
 太った神官が、苦々しい表情で街を見つめている。隣にいる痩せた神官が、太った神官に頭を下げながら釈明する。
「恐れながら、あの街には武の名門である神有月家、氷室家をはじめ、一般市民からして戦いの訓練を積んだものばかりが揃っておりますゆえ……それに天帝の孫を守るため、近衛隊が五隊ほど駐留している模様です。数が取り得の神官戦士では歯がたちますまい」
「それこそエンジェルハンドの出番というわけだな。アルスタイン!」
 太った神官に呼ばれて前に出る。痩せた神官は自分の姿を見て、驚きの声を上げた。
「なんと、子供ではありませぬか。まだ十五にもなっていないような……しかも、たった一人ですと?」
「この程度の任務、一人で十分だ」
「と、言われましても……」
 それきり太った神官は、戸惑う痩せた神官には一瞥もくれず、こちらに向き直った。
「アルスタイン、わかっているだろうがもう一度言うぞ。お前の任務は、天帝の孫であるハジメの息の根を止めることだ。邪魔をする者も全て殺せ」
 任務は理解している。だが、どうしても釈然としない。太った神官に向かって恐る恐る尋ねる。
「でもカーン様、その天帝の孫ってまだ三歳の子供なんでしょう? どうして殺さなきゃいけないんですか? この街に住んでいるのが、皆邪悪な異教徒だというのは理解しています。でも、まだ三歳なら今からでも教会の教えを――」
 言い終わる前に殴られた。
 思わず尻餅をつき、頬をさすっていると、頭上から太った神官の声が浴びせられる。
「余計なことを考えるな。全ては『天使』の意思だ。天帝は邪悪を極めた存在、その血を引く者はことごとく生まれながらにして邪悪なのだ」
「生まれながらにして、邪悪――」
「手心を加えようなどと考えるな。この程度の任務を完遂できぬような奴などエンジェルハンドには相応しくない――」
 背筋が凍った。エンジェルハンドに相応しくない――そう判断された者がどのような末路を辿ってきたかはよく理解している。数百人いた候補のうち、生き残ったのは自分を含めた十三人。残りの者達は、ある者は訓練の過程で命を落とし、ある者は『選別』と称して仲間同士で殺し合わされた挙句に敗北して命を落とし、ある者は秘密を守るために暗殺された。
 それに、エンジェルハンドは天使のために人を殺すのが仕事である。それしかできないのだ。それができないエンジェルハンドに、存在価値などない。
「まさか、異教徒に同情するつもりなのか? お前は『天使』を裏切るのか? その程度の信仰心しか持ち合わせていなかったのか?」
 太った神官が挑発的に告げる。
 そんなことはない。自分は誰よりも教会の教えを信じている。誰よりも『天使』のことを守る力を持っていると信じている。それを疑われるのは甚だ心外だった。
「そんなことはありません! 僕は『天使』のためなら何だってやります」
「それでいい」
 太った神官は満足そうに頷いた。
「目標は、ここからも見えるあの小高い丘の上にある屋敷に匿われている。事前の情報では、特に強敵といえは神有月家の当主が一人、それ以外は雑魚揃いだ。異教徒どもの屍の山を築いて来い」

 神官戦士団の突撃と同時に、街への潜入を試みる。
 激しい戦いが繰り広げられる中、影から影へと隙間を縫うように、しかし決して速度は落とさず、目標の屋敷へと進んでいく。
 程なくして屋敷にたどり着いた。扉には鍵がかかっているが、この剣で斬れぬものなど何もない。無造作に剣を振るうと、鍵はドアノブごと破壊された。
 中には大勢の異教徒どもが待ち構えていた。初老の男女が一人ずつ、壮年の男性が二十名あまり、そしてこの中では一番若い女性が一人。
 一目見ただけでわかった。こんな連中を相手に、神官戦士どもが太刀打ちできるはずがない。おそらく街でも屈指の実力者を揃えているのだろう。だがそれはあくまで一般的な次元から見た話で、教会の誇る最強の戦士・エンジェルハンドである自分から見れば、決して勝てない相手ではない。
 一番強いのは若い女性。その次に強いのが老夫婦で、残りは比較的雑魚揃い。老夫婦のうち女性の方が飛び道具を持っている。となれば、最優先にすべきターゲットは決まっていた。
 邪魔な位置にいた何名かの神官戦士を斬った後、そのまま一直線に突進して女性を斬った。突然の出来事に辺りが静まり返る。
 異教徒どもがうろたえる今こそ、絶好の機会だった。このままの勢いで数を減らし、包囲される危険を少しでも減らさなくてはならない。剣を振るうたびに、異教徒どもの絶叫が聞こえる。返り血を浴びるたびに、血から邪悪が感染するのではないかと不安になる。しかし、『天使』の加護を信じ、ひたすら斬り続ける。
 気付くと男どもは全滅し、残るは初老の男と若い女性の二人だけになった。
 さすがにこの二人を同時に相手にするのは厄介だ。しかしまたも『天使』は自分に微笑んだ。頭に血を昇らせた初老の男が、後先考えずにまっすぐに突っ込んできたのだ。
「貴様あぁぁぁぁぁっ!」
 男の構えは、先制の一撃に全てを賭ける恐るべき剣術のものだった。防ごうにも防ぎ切れるものではなく、避けようにも避け切れるものではない。
 だが、同じような手合いは今までに何度も相手してきたし、対処法も心得ている。そしてさらに『天使』は味方した――相手の構える刀は上質な帝国刀だったが、こちらの武器はまさに『天使』の加護を得た最強の剣なのだ。
 男の刀が振り下ろされる直前に、その刀を狙って斬った。まるで大根でも斬るかのように、それまで刀だった物体はただの柄となった。
 そして次の一撃で、男の頭蓋骨を真っ二つにした。邪悪な異教徒には当然の報いだった。
 残るは一人。おそらくこの女性こそが神有月家の当主とやらなのだろう。
 相手の得物は薙刀。技量では明らかに優っている自信はあるが、こういう正面きっての戦いでは、武器の長さは大きなハンディとなる。それを差し引けば、一概にこちらが一方的優位とも言えない。
「私の親を殺したことは許せません。ですが、それ以上に――子供達に手を出すことは、絶対に――!」
 その瞬間に女性が見せた動きは予想を遥かに超えたものだった。ここまでの動きをする者など、同じエンジェルハンドの仲間にすらそうそういるものではない――
 避ける間などなかった。薙刀の刃に胸をえぐられる。正面きっての戦いで、エンジェルハンドやその候補以外から一撃を受けたのは、生まれて初めての経験だった。
 だが、『天使』はどこまでも自分の味方らしい。その鋭い一撃も、頑丈な鎧を貫くまでには至らなかったのだ。
 一気に懐に潜り込み、勝負を決めた。女性は口から血を流し、力なく倒れ込む。
 もはや周囲に動く者はいない。そのことを悟った瞬間、背中からどっと汗があふれる。
「……鎧がなければやられていた。恐ろしい奴だ」
 思わず呟いていた。
 だが、肝心な目的はまだ果たしていない。しかしどこに隠れているかなど見え見えだ。
 一つだけ鍵の掛かった扉に向かい、入口の時と同じように、剣を振るって鍵を壊す。
 そして、その中に隠れていた者と目が合った――


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