「ところでさ」
出航から一日が過ぎた、のどかな昼下がり。
見渡す限りの大海原に囲まれ、他にすることもなく、ラータルトはおにぎりを頬張りながら何気なくミオに尋ねる。
「ミオは何のために、世界とか征服しようと思っているわけ?」
「一つは、あの地を蝕む死の呪いから、帝国を解き放つためだ」
同じくおにぎりを頬張りながら、ミオは何気ない調子で答える。
「なんで、世界を征服すると死の呪いから解き放たれるの?」
「そもそもあの呪いの原因は先々代、つまり第七十六代天帝が放った最終魔法にある。敵対する者を数十万人単位で皆殺しにする、極悪非道な広範囲殺戮魔法だ」
ラータルトの背筋に寒気が走った。
「あの頃、私はまだ幼かったわけだが、我が帝国は海を越えて侵略してきたユニ教徒と戦争をおこなっていた。数で負けていたとはいえ、最初の頃は地の利もあって、帝国有利に事は進んでいた。この戦艦・播磨もあったことだしな」
何気なくラータルトは計算してみる。十六、七歳くらいのミオが幼かった頃ということは、おそらく十年ほど前ということになるだろう。だとすればラータルト自身も十歳かそこらだったはずだから、その戦争に自分が参加していたということはないはずだ。
「だが奴らが奥の手を投入したことにより、戦況は一変した。たかが十三人の悪魔のために帝国軍は壊滅、ついに天帝宮は包囲された。天帝宮が落ちるのも時間の問題、という時――第七十六代天帝・イチリュウサイは最後の手段に出た」
「それが、その殺戮魔法ってやつか」
「そうだ。これは天帝家に太古から伝わる奥義なのだが……あまりに恐ろしい威力を持つがゆえ、この魔法には厳しい条件付けがなされていて、『全世界に君臨する真の帝』以外には使うことが許されていないのだ。イチリュウサイは確かに帝国を統べる帝ではあったが、世界の全てを支配していたわけではない。だから、その制約を力ずくで破ろうとし――失敗した」
ミオの表情は厳しかった。ラータルトは思わず息を呑む。
「呪いはユニ教徒だけでなく、帝国民をも巻き込んだ。イチリュウサイ自身もその呪いによって命を落とした。さらにそれだけでは終わらず、呪いは永年に渡って帝国を蝕み続け、大量の異獣を生み出している」
そこまでミオが言った時、ラータルトは素朴な疑問にぶち当たった。
「あの、そもそもユニ教徒って何?」
「ユニ教というのは大陸で最大の、というより公認されている唯一の宗教集団らしい。我が帝国に大陸の冒険家が訪れたのが五十年前、それから大陸との国交が始まったわけだが、どうも我々が魔法を使うことが気に入らなかったようでな。魔法の使用を禁止し研究をやめろ、そんなことはできない、そんなやり取りの挙句彼らは軍を送ってきたわけだ」
魔法、と言われても正直ラータルトにはぴんと来なかったが、あの時会った老人が空を飛んでいたことを思い出し、あれが魔法だったのかな、などと想像してみる。
「彼らの教義では、教会に認められた神官が、教会に認められた作法で、教会に認められた目的で、教会に認められた神聖魔法とやらを使う以外には、あらゆる魔法の行使や研究はご法度なのだそうだ。もっともそれは口実で、彼らは単に我々の力を恐れたのだろう、というのが私の見方だがな」
「ミオは使えるの? その、魔法ってやつ」
「無論だ。天帝は代々、最高の魔法の使い手であることが求められてきた。もっとも、あの頃私が今ほどに魔法を使えていれば、あんなことにはならなかったのだろうが……」
悔しさに歯を噛み締めながら、ミオはさらに続ける。
「呪いはあれから徐々に広がっている。生き物が死んでいくせいで食べ物も手に入らず、残ったわずかな食料を求め、生き残った人間同士が醜く殺し合った。そうして殺した人間の肉は、貴重な食料源となり――とにかく私は狩りが得意だったから、弟と二人でなんとか生き延びてきた」
ラータルトは改めてミオの姿を見つめる。服の下の体つきは、どう見ても健康そのものといった感じで、歳の割には胸もあるし、飢餓と隣り合わせの生活を送っていたようには見えない。
「……何か言いたいことがあるなら、はっきり言ったらどうだ?」
「あ、いや別に何も」
慌てて首を振るラータルトに、ミオは深くため息をついた。
「まあ言いたいことはわかるがな。私達が飢えなかったのは、私の弓の腕もさることながら、何より異獣を手なずけられたことが大きい。多くの人間にとって、異獣は単なる天敵でしかなかったが、それを飼い慣らし、共存できるようになってからは食べ物に困ることはなくなった。もっとも、その頃にはほとんどの人間が死に絶え、食料を奪い合う相手がいなくなっていたのも大きいが……」
しばしの沈黙が流れる。そんな沈黙を破るように、ミオはひときわ大きな声で告げた。
「私が『真の帝』を目指しているのは、そんな呪いを打ち破るためだ。弟と協力して調べたところによるとあの呪いは、その原因になった殺戮魔法を逆転させて用いることにより解くことができるらしい。そうしたところで死んだ人間が生き返るわけではないが、このままでは帝国だけの問題では済まなくなる」
「……そういう理由だったのか。ごめん、僕はミオのこと、誇大妄想か何かに取り付かれた可哀相な人だと思ってた」
「可哀相とはなんだ可哀相とは。実際のところ、帝国を救うというのは二次的なものだ。一番の目的は――ハジメの命を救うこと」
「ハジメ? もしかして、さっき言ってた弟さんのこと?」
ミオは重々しく頷くと、ぽつりと呟いた。
「一年前、あいつは死の呪いに侵された。だからあいつを助けるために、私は第七十八代太夢天帝となったのだ」
「天帝になった? どうやって?」
「どうやっても何も、正式に帝位を継いだのだ。第七十六代天帝イチリュウサイの孫である、第七十七代天帝ハジメから――」
「ってことは、ミオも前の前の天帝の孫っ?」
「そうではない。母が私を産んだ後父が亡くなり、その後母が当時の皇太子、つまりイチリュウサイの息子の側室に召し上げられ、その間に生まれたのがハジメだ。あの戦争により天帝の血筋はハジメ以外の全てが失われていたため、当時三歳だったハジメが跡を継ぐことになった」
「三歳って……」
「むろん、最初は後見人がいたのだが、彼も早々と呪いで逝ってしまった。それからは私が後見人代わりだったわけだが、むしろ頭の出来はハジメの方がはるかに優れていたからな。私はろくに学校に通っていなかったから、読み書きや計算、果ては魔法の使い方など、全て五つ年下のハジメから教わって……」
よほど劣等感がこみ上げてきたのか、だんだんミオの声が低くなってくる。
「そんなハジメも死の呪いには勝てなかった。私は凍結魔法であいつの時間を止め、時間稼ぎをしている――私が真の帝となり、呪いを解くまでの間のな」
ラータルトは黙り込んでしまった。世界征服の野望の裏に、まさかそんな重い理由があるなどとは、正直想像だにしていなかった。
「それから、私にはもう一つ果たさなければならない目的がある」
「えっと、それは真の帝になることとは別にってこと?」
「ああ」
不意に、ミオの視線が鋭くなった。思わぬ殺気にラータルトはびくっと肩を震わせる。
「あの日……イチリュウサイが呪いを解き放つ数日前、私の住む街は奴らに襲われた」
怒りを押し殺した声で、ミオは続ける。
「私はあの街で祖父母と暮らしていた。皇太子の側室だった母は天帝宮で暮らしていたが、あの時はハジメを連れて実家であるあの屋敷に避難していた……その情報がどこから漏れたのか、奴らは天帝の血を引くハジメを狙って、街に大規模な襲撃をかけてきた。当然、私の住む屋敷は屈強な衛兵に固められていて、援軍が来るまでは持ちこたえられるはずだったのだが……あの悪魔さえ来なければ!」
その声の迫力に、ラータルトは「悪魔って何?」と聞き返すことすらできなかった。
「奴は、たった一人で二十四人の衛兵を斬り捨てた。そして私の祖父母と、母を……私の目の前で……」
握り締めた拳が震えている。ミオは押し殺したような声でさらに続けた。
「私は必死でハジメを守った――あの時のことは、正直よく覚えていない。とにかく死に物狂いで抵抗して、気付いたらあの悪魔はいなくなっていた。そしてそれからずっと、私はハジメの二人きりで生きてきたのだ」
「……ひょっとして、もう一つの目的ってその、お母さんの敵討ち?」
ラータルトの問いに、ミオは頷く。
「だが奴のことはよく知らぬ。鎧兜のせいで顔は見えなかったし、とにかく悪魔のような強さだったことくらいしか――おそらくユニ教の切り札である十三人の悪魔の一人ではないかと、私は睨んでいる」