扉を開けて、二人と一匹が建物に入るとそこにはカウンターのようなものがあった。
おそらくここで入国手続きを行うのだろう。しかし、そのカウンターの向かいの椅子には、
「な、なんで普通に座ってるの?」
思わずラータルトは口にしてしまった。
そこには、まるで何事もなかったかのように、一人の若い女性が座っていた。
見た感じ、ミオよりは年上なのだろうが、その表情からは大人の雰囲気というものを微塵も感じさせない。そこに浮かぶあまりに平和な笑みは、たとえ凶悪犯罪が目的で入国しようとしたとしても、一瞬にしてそのやる気を失せさせるほどの能天気さを放っていた。
その外見から想像される通りの、程よく抜けた能天気な声が、ラータルトの疑問に答えた。
「だって、私まで逃げちゃったら、皆さんいらっしゃるのに誰もお出迎えできないじゃないですか」
「えっと……皆さんって、僕達のこと?」
「あのおっきいお船に乗ってきた方たちですよね? 三人しか乗ってなかったなんてびっくりですー」
どうやら、三人の中にはこの巨大猫――ミオの説明では『タマ』という名前らしい――もカウントされているようだ。
「あの……ここの人たちは、驚かないものなの? こんな大きい猫みたいなものを見たりしても」
「あはは、だから言ってるじゃないですかーびっくりですーって」
にこやかに答える姿は、微塵も驚いているようには見えなかった。
「ところで、みなさんどちらからいらっしゃったんですかー? 観光ですかー? お仕事ですかー? いつまで滞在されるんですかー? あっ、それとお名前とか教えてもらっていいですかー?」
ラータルトが返答に窮していると、それまでタマに残り物のおにぎりを食べさせていたミオが進み出てきた。
「あー、よく聞くが良い。我々は帝国からやってきた。私は第七十八代太夢天帝・神有月ミオ。そしてこっちが侍従のラータルトだ。ここに来た目的は公務で、気が向いた時まで滞在するつもりだ」
一瞬、受付嬢はぽかんとしていたが、次の瞬間、いきなり表情を変えた。
「きゃーっ! 天帝さんなんですかー! 私、生で天帝さん見たの初めてですー! ああ、もうサインとかもらっていいですか? いえ、入国帳にサインはいただくんですけど、それとは別に私のために書いてもらえるとうれしいなって」
歓喜というよりは恍惚に近い表情を浮かべ、受付嬢は息を荒くしてミオを見つめている。
「うむ、私の名前で良ければいくらでも書いてやろう。光栄に思うが良い」
「ああっ、もう幸せですー生まれてきて良かったですー」
その様子を見て、もしかして最初ミオの話を聞いて妄想だと思った自分の感覚よりも、この受付嬢のストレートな感覚の方が普通の感覚なのかと、ラータルトは真剣に悩み始めていた。
「あの、申し遅れました。私、入国受付担当のプリメーラっていいます。えっと、天帝さんはとっても偉い人だから、最上級特使の証である桜のエンブレムをお貸ししますー、でも国から出る時には返して下さいね。えっと、そちらの侍従さんにも、要人警護さんってことでミニ桜のエンブレムをお貸ししますね」
「ど、どうも」
戸惑いながらも、ラータルトは小さな桜の花をかたどった紋章を受け取った。
「それさえあれば、大抵のところはフリーパスですよー。それと、改めて……」
プリメーラは立ち上がると、部屋の奥――街へと通じる大扉を開け放ち、満面の笑顔で告げる。
「愛と希望と夢の国、セントリノ王国へようこそ!」
*
手続きを終えた二人と一匹が街に乗り込んだ頃には、街はようやくパニックから脱しつつあった。どうやら、巨大戦艦に攻撃の意思がないことに気付き始めたらしい。
人々は港に浮かぶ巨大戦艦を指差しながら、口々に何かをまくし立てている。しかしそんな人々も、二人の後ろから荷車を引いてついていく巨大な猫を目にすると、ある者は表情を硬直させ、ある者は脳天から黄色い叫びを発し、中には驚きのあまり腰を抜かしてしまう者までいた。
「そうだよな、これが普通の反応だよな。うん」
ラータルトは納得し、同時に安心もした。
「何をみんな驚いているのだ? もっと奇怪な異獣ならともかく、タマはただ大きいだけの猫ではないか」
「その大きさが尋常じゃないから驚いてるんじゃないかな、きっと」
改めて、周囲の人々の様子を観察する。そして自分達と見比べてみる。
ラータルト自身の服装は、旅装ということもあってか、似た格好の者こそほとんど見かけないが、そう浮いている様子もない。一方、ミオの服装はいかにも異国風丸出しといった感じで、かなり異質な雰囲気をかもし出している。港町でこれなのだから、内陸では目立って仕方ないのではないか、とラータルトは思った。
もっともその服装がミオに似合っているのは事実だし、服装以上に言動の方がよほど異質なのは確かだし、そもそもタマの方が数倍目立っている以上、気にしても仕方のないことではあるのだが。
「ところで、そのミオがいつも着てる服……」
「ああ、これか? これは袴というものだ。元来、天帝宮に仕える女官たちの制服なのだが、天帝宮に大量に備蓄してあったのを持ち出してきたのだ」
「そうなんだ、てっきり天帝専用の衣装かと思ったよ」
「男の天帝なら、お決まりの装束というものがあるのだがな。あいにく女の天帝というのは数百年ぶりだから、女向けの装束というのは存在しない。ちなみに男向けの装束を着てみたこともある。自分で言うのもなんだが、なかなか捨てた物ではないぞ?」
男向けの天帝装束というのを、ラータルトは限られた情報から想像してみる――確かに、なんとなくミオには似合いそうだとラータルトは思った。
「ところで、これからどうするの?」
「そうだな。このまま猫車を連れて歩くというのもなんだし、宿でも取るか?」
タマを預かってくれるような宿などあるのか、という根本的な疑問を、ラータルトはなんとか飲み込んで代わりにこう尋ねる。
「宿の話じゃなくてさ。まさか、世界征服が目的だからって、いきなりこの街を侵略して乗っ取ろうなんて考えてはいないよね?」
「それも考えたのだが」
考えたのかよ、とラータルトは思わず口の中で呟く。
「敵を知らずにいきなり戦争するというのは、いかにも愚策というものだ。しばらくは様子を窺って、この国がどのような所であるのか調査するのが先決であろう」
「それにしてもここってどんな国なんだろう……セントリノ王国だっけ?」
「セントリノ王国は大陸で最大の国家だ。事実上、大陸の半分を支配しているようなものだ。ユニ教はこの国の国教でもあるが、そもそもユニ教は大陸のほとんどの国で国教になっている。お前も、形だけでもいいからユニ教徒の振りをしておいたほうが良いぞ。大抵の国で、異教徒はあらゆる法の保護を受けることができないからな」