「あのさ……」
「なんだ?」
「正直、もう無理っぽい」
「なら少し休むか?」
通りの宿にタマを荷車ごと、ほとんど脅迫と紙一重の『説得』で強引に預けて身軽になった二人は、あれからずっと繁華街を練り歩いていた。
七軒目の店から出た二人の表情は、実に対照的だった。
「で、いったいぜんたい僕達は何をやってるのかな?」
「決まっているだろう。王国文化の研究だ。国を知ることは、まずは文化を知ることから始まる――」
「文化の研究っていうか……これって、単なる食べ歩きだよね?」
「食文化は文化の基本だろう?」
「それはそうなんだけどね。どうも、僕には単にミオが食べたいから食べてるように見えるんだけど」
「悪いか?」
「いや少しは否定してよ」
疲れ切った表情で、ラータルトはミオの視線の先――これから向かおうとしている、八軒目の店を見上げた。
「もうお腹いっぱいで、これ以上食べられないんだけど」
「ふむ、ラータルトは少食なのだな。お腹いっぱいと言うが、さっきの店でも、その前の店でもほとんど食べていなかったではないか」
「最初の三軒でお腹いっぱいになったんだよ! おかしいのはミオの方だよ、なんでそんな平然としてるの?」
「食べられる時に食べておく。それができない奴は生き残れない世界だったからな」
それだけ言うと、ミオは堂々たる足取りで次の店へと歩き始めた。
二人が向かう先にあるのは、これまでの中で最も大きく、最も高級そうな店だった。港町ということもあってか、このあたりのほとんどの店は漁師や荷運び人などのためのいわば大衆食堂ばかりだったが、そんな中でその店だけは異質な雰囲気を醸し出していた。
事前に入手した観光地図によると、船旅の途中でこの街に寄る貴族や高位の神官を迎え入れるため、先々代の領主が資金援助して作らせた、街で唯一の高級レストランとのことらしい。
「もう着いちゃったのか……歩いてる間に少しは消化されるかと思ったのに、全然だよ」
「そうか? 私はそろそろ腹の虫が鳴きそうなんだが」
「きっとその虫が全部食べちゃったんだよ。それにしても、なんか見るからに高そうな店なんだけど……お金は大丈夫なの?」
ラータルトの言う通り、その店は豪華さと風格を兼ね備えた建物だった。店の周囲には、高級そうな黒塗り馬車とその御者、そして高級だが質素な黒っぽい服を着た男達が、本を読んだり煙草を吸ったりやたらと時計を気にしてみたりと、それぞれ勝手なことをしながらたむろしている。店員ではないらしいが、客のようにも見えない。
そんな男達を尻目に二人が店に入ると、ウエイターに恭しく迎え入れられた。案内された席に着くなり、ミオは開口一番「全て店長に任せる。この店で最高のものを二人前出してくれ」と告げた。
「いや、僕もうこれ以上食べられないんだけど……」
「心配するな。食べきれない分は私が食べてやる」
それから料理が出てくるまで、しばらく待つことになった。
ラータルトは、店の内装をぐるりと見回し、そしてため息をついた。床一面に敷き詰められた不思議な感触の赤じゅうたん、まばゆいばかりの絢爛豪華なシャンデリア。テーブル一つ見ても、素人目にもかなりの高級品であることは一目でわかる。
そして当然のことながら、他の客は誰もが身なりが良く態度もでかい、いかにも地位も財力もありそうな者ばかりである。そして男も女も、皆でっぷりと肥え太っている。
この空間でも、確かにミオは浮いて見えた。しかし決して周囲の金持ち連中と比べて見劣りしているわけではない。風格では負けていないし、美醜という点では比べるのも馬鹿馬鹿しい。
浮いているという意味では、むしろラータルトの方が浮いていた。特に貧しい格好をしているつもりはなかったが、この空間ではいかにもみすぼらしい格好に見えて仕方がない。よく見ると、客のほとんどが従者を連れていない――連れていたとしても主人の後ろに立っていて、同じテーブルに着いている者はいない。
彼はふと、店の周囲の様子を思い出した。こうして従者が、仮にも主人とテーブルを同じくして食事するというのは、ここでは極めて異質なことなのかもしれない。
彼としても、せっかくこういう店で食事できるのだから食べたい気持ちはやまやまなのでさる。相変わらずほとんど思い出せないが、記憶を失う以前に、このような高級な店で食事をしたことがそんなにあるとは思えない。もしかしたら初めてかもしれない。
できれば腹が落ち着くまで、長々と待たせて欲しい――そんなことを考えながら、彼はふと隣のテーブルに目をやった。
隣といっても、テーブル同士の間隔が離れているため、それほど近いわけではない。
そこには、一人の少女が座っていた。年の頃はミオと同じくらいで、ここの客としては珍しいことに、少女は傍から一目でわかるほどに痩せていた。肌は白磁のようで、整った美しい顔立ちをしている。よく手入れされた明るい金髪が印象的だ。
テーブルに着いているのは少女一人だった。まさか一人で来ているのか、と思ったが、よく見ると少女の後ろには、黒いタキシードを着た初老の男がたたずんでいる。その男は他の客と比べても遜色ないほどの風格を備えていたが、どうやら少女の従者らしく、先程からぴくりとも動かずに立ち続けている。
ラータルトは少女よりも、その初老の男の方が気になった。中肉中背で、特に目立ったところのない男ではある。だが、ここにいる誰とも違う、強いて言うなら――ラータルト自身に似た、緊張感のある空気をその男からは感じる。
そんなラータルトの思考を察したのか、ミオが口を開いた。
「ほう、お前もあの男が気になるか」
「うん……何がどう気になるって言われるとよくわからないんだけど」
「見たところ相当できる男だ。あとは性格などに問題がなければ臣下に迎え入れたいところだが……まあ、当面はお前がいれば十分だがな。人手が足りなくなったら検討してみよう」
そんなことを話しているうちに、ウエイターが料理を運んできた。
ウエイターの説明を適当に聞き流し、いよいよ二人は料理に手をつけた。
「うわ、何これ本当に美味しい。お腹いっぱいのはずなのに手が止まらないよ」
「ふむ、伊達に街一番の店を名乗っていないな」
それから次々に料理が運ばれる。料理が出てくるたびに、ラータルトは感動し、ミオは満足して頷き、二人はそれらを少しも残すことなく食べていった。ラータルトの胃袋はとっくに限界を迎えているはずだったが、それでも食べる手は止まらない。
「さて次は待望のデザートだな。何が出てくるか楽しみだ」
「も、もうどう考えても限界なんだけど……でもデザートは食べたいなぁ」
「甘いものは別腹だというからな、心配しなくてもよかろう。しかしここの料理人、かなりいい線行っているな。だが帝室御用達の料理にとして雇い入れるには、もう一つ何か決め手が欲しいところだが」
「えっ、これだけ美味しくてもまだ何か足りないの?」
「これだけ高級な食材を惜しげもなく使えば美味しいのは当たり前だ。素材の味を損なわないという点では、ここの料理人は基本を満たしてはいるが……」
その時だった。
ひときわ甲高い声が、二人を含めたその場にいる全ての者の耳を打った。
「シェフを呼び出しなさい! こんな料理がスペシャルコースだなんて、ヨーデンブルク家の名に泥を塗るつもりなの?」
声の主を見ると、それは隣のテーブルの少女だった。少女は顔を真っ赤にして立ち上がり、耳に痛い声でわめき散らしている。
従者らしき初老の男は、黙って立ったままだ。
間もなくウエイターに促されて、シェフらしき男がおずおずと進み出てきた。
「あなたが責任者? 何よこの料理、単に高い素材を並べただけじゃないの。私の曽祖父・八代目ヨーデンブルク侯は、この程度の料理を作らせるためにこの店を創設したわけではありませんことよ!」
「何だあの娘、奇妙な口の利き方をするな」
「いやそれを君が言うのはどうかと……」
そんな二人の会話などは当然耳に入っていないようで、少女はさらに激しく言い募る。
「あなた王都に行って修行したって本当なの? この程度のレベルでは、王都ではレストランを名乗ることもおこがましいというものですわ。こんな豚の餌に毛が生えたようなものを――」
言葉の内容は別に何の変哲もないクレームだったが、何よりすごいのはその声の甲高さだった。他の客たちは耳を抑えて耐えていたが、次第にミオの表情に苛立ちが募るのが、ラータルトの目には明らかだった。
ここでミオが激発したら面倒なことになりそうだ――そう思ったラータルトは、近くに来ていたウエイターの一人に耳打ちした。
「あの、なんとかならないんですか? あの人」
彼の言葉に、ウエイターは沈痛な面持ちとともに首を横に振った。
「申し訳ございません。あの方はこの辺りの領主・ヨーデンブルク候のご令嬢なのです。下手に逆らえば店ごと潰されてしまいます。お代はお返しいたしますから、どうかここはご容赦下さい」
そう言われてしまうと、ラータルトとしてはこれ以上何も言う気にはなれなかった。だが明らかにミオは違うようで、そろそろ限界に達するのではないかとラータルトは気が気ではなかった。
少女の口調はどんどんエスカレートしていく。シェフはただひたすら頭を下げるのみだった。
それでも腹の虫がおさまらないのか――むしろ、その態度自体が気に食わなかったのか――ついに激昂した少女は、テーブルの上にあった料理を皿ごと手に取り、それをシェフに向かって投げつけた。
ばら撒かれる料理、砕ける皿――そんな光景を想像して、多くの客が思わず目を閉じた。
だが、いつまで経っても皿が砕ける音はおろか、料理が散らばる音すら聞こえてこなかった。
ラータルトが恐る恐る様子を伺うと、そこには信じられない光景が繰り広げられていた。
少女は確かに皿を投げていた。だが、それはシェフに当たることもなく、床に落ちることもなく、中身をひとかけらもこぼすことなく、宙にぴたりと止まって浮かんでいた。
もちろん、何の支えもなく浮かんでいたわけではない。袴姿の黒髪の少女――先程までラータルトの向かいに座っていたはずのミオが、いかにもギリギリ捕りましたという格好で、料理の入った皿を、シェフに当たる直前のところで受け止めていたのだ。
「えっ? だって、ミオは今ここに、それにこの距離……えーっ?」
お世辞にも人間らしいとは言い難い反応速度だった。そもそもミオは、怒れる少女の方を見てすらいなかったはずなのだ。
ミオは皿の中身がこぼれていないことを確認し、ほっと一息つくと、皿を持って自分のテーブルに戻ってきた。
そして、感情を押し殺した声でラータルトに告げる。
「奴は食べないそうだ。代わりにお前が食べてもいいぞ。食べきれないなら私が食べるからこのまま置いておいてくれ」
ラータルトは、ただ頷くことしかできなかった。そして再び、ミオは料理を投げた少女の元へと向かっていく。そして、凄みのある目つきで少女を睨みつけ、ミオは告げた。
「お前のような奴に食を語る資格はない。今すぐ帰れ。そして食べ物とは何であるかを一から勉強しなおして来るがいい」
その場にいた誰もが黙り込み、一瞬、完全に無音状態になった。
少女は最初、信じられないものを見たような表情で固まっていたが、やがて自分が面と向かって非難されたことに気付くと、次第に顔が赤くなり、歯を食いしばってぎりぎりと音を立て始めた。
そして、少女はいきなりミオに指先を突きつけ、何か聞き取れない言葉でわめき散らした。
すると、それまで黙って微動だにしなかった少女の従者が、ようやくその重い口を開いた。
「私が領主の娘、レノア・ヨーデンブルク侯爵令嬢と知ってこのような無礼をはたらくか――意訳するとこのような意味でございます」
「なるほど貴族の娘か。ちなみに私は太夢帝国の第七十八代天帝・神有月ミオだ。何か文句はあるか?」
その言葉に、少なくともレノアと名乗った少女は反応しなかった――単に、自分の名を出した威嚇が通じなかったことを知って、余計に怒りを募らせただけだった。だが従者の方は、表情にこそ出さなかったが、少なからず何か思うところがあったらしく、わずかに肩を動かしたのをラータルトは見逃さなかった。
「食とは何か? 確かに味は重要だ。だが本来、食というのは命をつなぐために必要不可欠なものであり、言い換えれば生命そのものだ。それを、味が少々気に入らないというだけの理由で粗末に扱うような輩に、食について云々語る資格はない。お前も一度米を作ってみるといい。いかに食というものが尊いものであるか、身をもって知るにはそれが一番――」
だが、ミオのありがたいお説教も、レノアの耳には届いていなかった。彼女の頭にあるのは、自分が非難され、そして相手が自分の言いなりにならないという事実だけだった。
そしてその事実は、彼女にこう叫ばせるに十分だった。
手袋を外すような素振りを見せ――しかし途中で自分が手袋をしていないことに気付いたのか、それをごまかすようにミオをびしっと指差し、そして大声で告げる。
「決闘よ!」
その瞬間、周囲の者たちは皆凍りついた。ラータルトももちろん凍りついた。少女の従者の方は、少なくとも表情を動かしはしなかった。
だが、ミオの反応は明らかに異なっていた。それまで不機嫌の極みだったその表情は一転し――何とも楽しそうな笑顔になった。
「知識としては知っていたが、まさか自分がいきなり決闘することになるとは思わなかったな。しかし路上で決闘などというのは、王国貴族としてはあまり上品な行いではないと聞いたが?」
「何を勘違いしているのかしら? あなたごとき下賤の者を相手にするのに、私が自ら剣を抜くとでも思って?」
どうやら、天帝云々の名乗りは本当に耳に入っていなかったらしい。レノアはさらに続ける。
「氷室! あの生意気な娘に、世の中の道理というものを教えて差し上げなさい。生死は問わないわ、徹底的にやっておしまい」
その言葉に、初老の従者は小さく頷いた。
ラータルトの見るところ、確かにレノアとかいう娘は、貴族のたしなみか何か知らないが、それなりに剣術のようなものをかじったようにも見える――剣を構えていなくても、身の運びなどでそのくらいはわかる。だが、所詮は『素人にしてはやる』というレベルであるし、今にも折れそうなほどの白く細い腕ではあまり長い時間剣を振り回すことはできないだろう。
一方、ミオはというと、腰から下げている刀は伊達ではないらしく、一流とまでは言えなくてもその道で食べていける技量は持っているはずだ。たとえレノアが武装してミオが素手だったところで、おそらく勝負にすらならないだろう。そういう意味では、レノアの選択は実に正しい。
しかし、この氷室とかいう従者が相手となれば話は別だ。底が知れない相手だが、まず間違いなく一流の剣術家だろう。森の中で弓などを使って戦うならともかく、正面きっての剣の戦いでは、まあ勝負にはなるかもしれないが、正直ミオに勝ち目があるとは思えない。
だがそんなラータルトの心配をよそに、ミオは平然と告げた。
「待たせたなラータルト。ようやくお前の出番だぞ」
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