さすがに路上で決闘というわけにもいかず、四人は街外れにある競技広場に移動していた。
 貴族や騎士の多い都会ならともかく、こんな港町にちゃんとした決闘場があるはずもなく、レノアの従者たちは慌しく飾りつけをし、せめて決闘場らしく見せようと懸命だった。
 ミオの従者はラータルト一人だが、レノアの従者は氷室をはじめとする十数名。彼らが妙な動きをしないかラータルトは注意深く観察していたが、特に広場に何かを仕込もうという動きは見受けられない。おそらく、彼らは氷室の実力を信用しているのだろう。
「ところでさ、ミオはこの決闘、僕が勝てると思ってる?」
 相手に聞こえないように、ラータルトはミオの耳元で囁いた。
「どうだかな。まあ正直、六対四くらいでお前が有利だとは思っている。おそらく奴は現役を退いて長い――そしてお前は記憶を失っている。そういう意味で条件が対等だとすれば、地力の差でお前が有利と考えた」
「……僕が殺されるかもしれないのに、ずいぶんと冷静なんだね」
「そうでもないぞ、お前が殺されれば次は私の番だからな。まあいざとなれば私の魔法で広場ごと吹っ飛ばして、何もかもをなかったことにすればいい」
 とりあえず、ラータルトは聞かなかったことにすることにした。
「それでは、もう一度条件について確認するわ」
 ミオのもとに歩み出てきたレノアが告げる。
「私の代理人・バートン氷室が勝てば、あなたは一生私の奴隷として忠義を尽くすこと。そしてあなたの代理人・ラータルトが勝てば、私は頭を地面にこすりつけてあなたに詫びる――これでいいかしら?」
「少し違うな。氷室が勝てば、私はお前の奴隷になる――ただしその前に私は全力で抵抗するから、お前達全員で私を力ずくで捕らえるがいい。そしてラータルトが勝った時に、お前が詫びる相手は私ではない――料理を作ったあの店の者と、その食材を育てた百姓たちにだ」
 前半はともかく、後半が特にレノアの気に食わなかったらしく、いよいよおかしくなったのではないかという金切り声を上げ、レノアはまた意味不明の言葉をわめき始めた。
 今度は氷室が通訳することもなかった。彼はただ、刀を腰に差したまま、静かに地面に正座している。
 ラータルトが前に出ると、氷室も立ち上がり、刀を抜いて構えを取った。
 氷室が持っている刀は、ミオが腰に差しているのと似たような、わずかに反り返った片刃の刀だった。もしかしたら帝国製かもしれない。一方、ラータルトの持つ剣は、切れ味鋭い細身のサーベルだった。同じく片刃であるが、突くにも向いた万能武器だ。
 氷室は刀を両手で構え、ラータルトはサーベルを片手で構える。
 立会人はいない。合図もない。二人は向き合ったまま、ぴたりと動きを止めた。
 向き合ってみて、初めてラータルトは悟った。目の前で刀を構えるこの男は、以前に帝国領で出会った熊の異獣より、はるかに手強い相手だ。
 同時に、そのような恐るべき敵を目の前にした自分の中で、何かが目覚めていくのを感じる。それによって、まだ互いに動いてもいないうちに、ラータルトは相手の実力を、ほぼ正確に把握した。
 今の自分では、おそらく勝てない。記憶が完全に戻れば、はっきり言って負ける気はしない。だが記憶の大半が失われた今、自分は実力の半分も出し切ることができないだろう。
 しかし、それを差し引いても、二人の間にそれほど大きな実力差があるとは思えない。それは、勝ち目が全くないわけではないことを意味していたが、同時に、相手が自分に対して「殺さずに勝つ」などという器用な真似を、したくてもできないことをも意味する。
 先に動いたのは氷室だった。まるで影にでもなったかのような動きで、一瞬にして間を詰めてくる。そして、予想外の方向から打ち下ろされた一撃を、ラータルトは何とか剣で受け止める。
 さすがに両手持ちの刀と片手持ちの剣ではパワーが違う。危うくバランスを崩しそうになりながらも、ラータルトはなんとか受け流し、そして反撃に転じる。スピードではこちらが有利なはずだ。
 だが、氷室は初老とは思えない軽やかな動きでそれをかわし、ラータルトが一瞬でも隙を見せようものなら、容赦なくそこを突いて斬撃を繰り出してくる。スピードでは負けないと思っていたが、それも紙一重の差でしかないようだ。
 再び、真正面から重い斬撃が繰り出される。避けきれず、とっさに剣で受け止めるが、危うく頭まで刃が達するところだった。しかし、切れ味鋭い刀の一撃を真正面から受けて折れないあたり、ラータルトの剣も思ったより頑丈なようだ。普通のサーベルなら、今の一撃でサーベルもろとも頭をかち割られて終わっていた。

 予想外の接戦に、周囲の者達は皆、息を潜めて成り行きを見守っていた。唯一、このような展開を予想していたであろうミオにしても、握る両手には必要以上に力が入っている。
 戦い始めてから、すでに一分が過ぎていた。真剣勝負、真正面からぶつかり合っての命の取り合いにしては、これは驚異的な長さといえる。普通ならそこまで続ける前に、体力と精神力が限界を迎える。互いに刃物を振りかざし、殺し合うという行為は、極度の緊張を必要以上に強いられるものなのだ。
 実際、ラータルトも限界を迎えつつあった。だが、その肉体に刻み付けられた闘いの本能は、限界を迎えたからといって休むことを許さなかった。彼はだいぶ前から、体を勝手に動くがままに任せ、意識はひたすら、相手の隙を探すことに専念していた。
 しかし、限界が近いのは氷室も同じはずなのに、最初から今に至るまで、一度たりとも隙を見せる様子はなかった。
 二人とも、全身から大量の汗を流していた。手を滑らせないために、二人は剣を今まで以上に強く握り締め、そのことがさらに体力の消耗を招く。
 そして、氷室が正面から力任せの一撃を放ってきた時だった。
 どちらの流した汗だったかはわからない。その汗がたまった地面に足を取られ、ラータルトはバランスを崩した。本来ならどうということのない、すぐに立ち直れる程度のものであったが、タイミングが最悪だった。
 ここで踏ん張れば、目の前に迫る斬撃の餌食になる――ラータルトは、そのまま抵抗せずにひっくり返る他なかった。氷室の攻撃は空を切り、ラータルトは仰向けに転倒した。空を切った刀を構え直し、氷室は足元のラータルトに向け、必殺の一撃を――
 氷室は刀を振り上げようとしている。ラータルトは仰向けに氷室を見上げている。傍から見れば、これは氷室の勝利が決まった瞬間にしか見えなかっただろう。
 そうでないことを知っていたのは、当の二人だけだった。
 ラータルトは何も考えなかった。無心で剣を突き出した。これから自分に振り下ろされるであろう刀の根元に向かって。
 剣の長さは十分でなく、わずかに切っ先が届く程度だった。だがそれで十分だった。
 剣先は、寸分たがわず狙った場所――すなわち、氷室の手首に突き刺さっていた。大して深く刺さっていたわけではない。だが、氷室がしっかりと握っていた刀を握る力を緩ませるには十分な傷だった。
 ラータルトは全身のばねの力で跳ね起きると、そのまま刀の柄に向かって頭突きをくらわせた。汗のおかげもあってか、刀はいとも容易く氷室の手から離れ、三歩ほど離れた地面に、まるで墓標のように突き刺さった。
 そのままの姿勢で、二人は動かなくなった。

 成り行きを見ていた誰もが、突然の展開に息を呑み、呼吸すら忘れていた。
 最初にその呪縛から開放されたのは、唯一、ラータルトの勝利を予想していたミオだった。
「よくやったぞ! それでこそ名誉ある天帝の家臣だ!」
 一方、他の従者たちは信じられないといった表情で顔を見合わせ、ただおろおろするばかりだった。
「まさか氷室様が負けるなんて……」
「でも最後の瞬間までは勝ってたじゃないか」
「しかし氷室様とまともにやり合える奴がいるなんて信じられん」
 場内騒然とする中、ただ一人、レノアだけが完全に色を失い、ぴくりとも動かないまま立ち尽くしていた。
 そんなレノアの様子を察したミオは、満面の笑みを浮かべ、レノアの元へと歩み寄った。
「さあラータルトが勝ったぞ。ところで約束は覚えているだろうな?」
 ミオの言葉に、レノアの表情がぴくりと動く。
「まあ地面に頭をこすり付けるのは勘弁してやろう。その代わりといってはなんだが、心から真摯な態度でだな、おい聞いているのか?」
「き……」
「き?」
 次の瞬間、レノアはミオを指差し、両目を血走るほど見開き、鼻の穴をぴくぴくと動かし、白くて並びの良い歯をむき出しにしたまま半開きにし、そして腹の底から搾り出すように、人間の可聴領域ぎりぎりの高音波を全身から発した。
「きいぃぃぃぃいいぃぃぃいいぃいいぃぃぃぃぃぇぇぇえぇぇぇぁぁぁああぁぁああぁっっっ!」
 それまで騒然としていた場内が、水を打ったように静まり返った。
「くけあっ、かはっ、おまっ、あんたっ、あたしっ、うわっこのやっ、ころっ、うごがげはっ、ゆるゆるるしなっ、もぐらめっそはあっ!」
 文字にすればそんなふうに置き換えられる叫びを発しながら、レノアは百八通りに形相を変化させながら、近くに置いてあった椅子やら何やらをやたら滅多に投げつける。最初はミオに向かって投げつけているかのようにも見えたが、次第に狙いをつけるという行動すらまともにできなくなったのか、もはや狙いも何もなくただひたすらに投げ続ける。
 真上に投げた椅子が自分の頭に当たっても、全く気にすることなく、レノアはひたすら奇声を発しながら暴れ続けた。
 これにはミオもただ呆然とするばかりで、手も声も出なかった。
 レノアは一分にも渡って暴れ続けた。しかし気性はともかく、彼女の体力は華奢な外見相応で、それは当然限界を迎えた。
「くうぃあーけーっ、くはっ、げはっ、ひぃっ、ひぃっ、け……」
 ついに酸欠を起こした体は動かなくなり、顔を白紫色にしたレノアはいきなり口から泡を吹くと、血走った目を裂けそうなほどに見開いたまま、体を震わせながら仰向けにひっくり返った。それまで恐怖に震えていた従者たちが、慌てて駆けつけて手当てを施す。
 そんな光景を目の当たりにして、ラータルトもミオも、あまりの成り行きに身動きすら取れなかった。
 そこに、いつの間にか刀を納め、しかも包帯で手首の止血までした氷室が、ゆっくりと歩み寄ってきた。
「……まことにお見苦しいところをお見せして、申し訳ございません」
「……えーと、何と言ったらいいのかわかりませんが、その、大変ですね、色々」
 ラータルトは、何とかそれだけを口にした。
「誠に勝手なお願いではありますが、何卒、今回のことはご内密に願えますでしょうか……ヨーデンブルク家と、お嬢様ご自身の名誉のためにも……」
 その言葉に、ラータルトはふと疑問を感じた。
 自分はこの戦いに、真剣に、そして必勝の覚悟で挑んだ――自分が負ければ大惨事になる、という確信があったからだ。しかし今になって思い出すと、氷室の方には、確かに真剣ではあったが、必勝の覚悟は感じられなかった。
「まさか……今のはわざと?」
 ラータルトの言葉に、氷室は一度レノアの方を気にして――泡を吹いて倒れたレノアがこちらの話を聞くどころではないことを確認してから――改めてラータルトに向き直った。
「あなたほどの方が相手なら、生きたまま負けることも可能だろうと思ったのです」
 すると、そこにミオが口を挟んだ。
「そうすることが、あの娘のためになる……そう考えてのことだな?」
 ミオの言葉に、氷室は頷いた。
「なぜそこまであの娘に尽くす? 今回負けたことにより、お前は苦しい立場に立たされるはずだ。それ以前に、一歩間違えれば決闘で命を落としていたかもしれぬ。何がお前をそうまでさせるのだ?」
 氷室は少し考えた後、さらに声を小さくして答えた。
「お嬢様のご両親は、金銭で買える全ての物を、お嬢様にお与えになりました。私自身もその一つです」
 一息ついて、氷室はさらに続ける。
「しかし、ご両親は金銭で買えないものは、何一つお与えになりませんでした。お嬢様と顔を合わせるのも月に一度程度……。金銭で買えないものをお嬢様にお与えすることができるのは、今のところ私しかいないのです」
 ミオはしばらく考え込んでいたが、やがて口を開き、こう言った。
「なあ、バートン氷室……だったか? 私の家臣にならぬか? ラータルトに加え、お前の力が得られれば百人力なのだが」
「天帝陛下にそのようなお言葉を頂けるなど……もったいない話でございます。ですが私は、命を賭してお嬢様をお守りすると誓った身でございます」
「そうか。ならば近いうちにあの娘ごと私の家臣として迎え入れよう。そうすれば何の問題もあるまい?」
 その言葉に、氷室はここに来て始めて、困ったような苦笑を浮かべた。


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