一泊した後、二人は街を離れた。
 猫車の荷台に二人で肩を並べて座り、木々の立ち並ぶ街道をひた走る。走る、という表現は正しくないかもしれない。これが馬車であれば全力疾走に近い速度であろうが、タマにしてみれば「ちょっと速く歩いている」に過ぎない。
 長い黒髪を風にたなびかせつつ、ミオは大きく伸びをした。そんな様子を横目で見ながらラータルトは尋ねる。
「で、どこに向かってるの?」
「知らぬ。このまま進めば何やら街だか大きな教会だかあるらしいが、まあ適当に目に付いたところに立ち寄って――」
「偵察という名の食べ歩きをするわけだね?」
 皮肉を込めたラータルトの質問にも、ミオは平然とした態度を崩さなかった。
「実に有意義なことだ。おかげであの港町ではとても面白いものが見られたしな」
「面白いものって……僕と氷室さんの決闘のこと?」
「いやそれもそうだが、むしろ私としてはあの娘の存在そのものが面白い」
 でも「あの娘」にしてみればミオの存在は面白くなかったんじゃないかな、とラータルトは言おうと思ったが、なんとなく黙っていた。
「しかし王国貴族の令嬢というものは、どいつもこいつもあんな感じなのか? だとしたら……面白くて面白くて仕方ないぞ」
「まああの子は極端にしても、大なり小なりそういう傾向はあるんじゃないかな、特権階級の人って。でも本当にあの子みたいなのばっかりだったら、物珍しさとか薄れてあんまり面白くなくなるんじゃないかなぁ」
「それは残念だな」

 途中で滝を見つけては水浴びをし、美味しそうなりんごの木を見つけては休憩し、平和な一日は瞬く間に過ぎていく。
 そして気付いた時には、真っ赤な夕日が地平線に沈もうとしていた。
「もう日が暮れちゃうよ。夜道を進むのもなんだし、どこか泊まれる所ないかな?」
 しかし、先を見渡しても街のようなものは見つからないし、後ろに戻ってもそれは同じだ。もしかして野宿する羽目になるのか、とラータルトが考えた時、不意にミオが口を開いた。
「確か地図によると、この辺に大きな教会か何かがあるらしいが……教会というのは、見知らぬ旅人を泊めてもらえるものなのだろうか?」
「あの……教会って、ユニ教の教会だよね?」
「まあこの国に、それ以外の教会が堂々と立っているはずもないからな」
「平気なの? だってユニ教っていえば、ミオのお母さんとかを殺した仇じゃないの?」
「仇だからこそだ。戦う前に敵を知るのは、極めて重要なことだ」
 ミオの言葉に何か釈然としないものを感じながらも、野宿は勘弁して欲しいという気分のほうが勝り、ラータルトはそれ以上異を唱えることはしなかった。
 しばらくすると、街道から少し外れた森の中に、何やら大きな建物がぽつんと建っているのが見えてきた。その大きさの割に、ふとすると見落としてしまいそうなそのたたずまいは、あえて人目を避けているかのようにすら見える。

 *

 近くに来ると、その建物は予想以上に大きかった。
 見上げると首の痛くなりそうなステンドグラスをはじめ、二人がかりでようやく抱えられる太さの大理石の柱、そして中に数人は入れてしまいそうなほどの巨大な鐘。
「教会っていうより、大聖堂って感じだね」
「おそらく数十人、下手すると百人単位の神官とやらが暮らしているのだろうな」
 すでに日はとっぷりと暮れ、ステンドグラスから漏れる光だけが頼りだった。ミオは大きな扉の前に立ち、訪問者を知らせる小さな鐘から垂れる紐を力強く引いた。
 鐘の音が鳴り響いた後、少し遅れて中から足音が聞こえ、扉に拵えられた小窓が開けられた。中からは、ラータルトとそう歳の変わらない、若い神官が顔を覗かせた。
「今日はもう遅い。礼拝なら明日にしろ」
 若い割に横柄な態度でそう告げると、神官はそのまま小窓を閉じようとした。
「待て、別に礼拝に来たわけではない」
「じゃあ何をしに来たんだ? ここ数年、毎日のように腹すかせた農民どもが食べ物とかをたかりに来やがるんで、こっちもいい加減イライラしてるんだ。まさかあんたらもそういう手合いじゃないだろうな」
「当たらずとも遠からずだな。実は泊めてもらえるところを探している。ここに泊めてはもらえないだろうか?」
「あいにくだが、このヴァルゴ大聖堂は由緒正しい神殿なんでな。素性の知れない怪しい旅人を泊めるわけにはいかないんだよ。そこらで野宿でもするんだな」
「素性ならはっきりしているぞ。私は太夢帝国から来た第七十七代天帝・神有月ミオ。そしてこちらの男は私の従者でラータルトという」
 ミオの自己紹介に、若い神官はしばしあっけに取られていたが、やがて腹を抱えて笑い出した。
「あひゃひゃひゃひゃひゃひゃ、な、何を言い出すかと思えば、帝国の天帝だって? 帝国はとっくの昔に滅んでるだろうが。お前知らないのか? 帝国ってのは教会と戦争したんだぞ? その天帝が宿敵である教会にのこのこやって来て、挙句の果てに泊めてくれだぁ?」
「帝国と教会は和平協定を結んでいるはずだ。別に問題はなかろう?」
「いいからいいから、俺をこれ以上笑わせるなよ。とにかくだ、頼むからおとなしく帰ってくれ。毛布がないなら貸してやるから、な?」
 そんな神官に、ミオはさらに言い募ろうとする――そんな様子を見ていたラータルトは、ふとあることを思いついた。
「何か、身分を証明できるようなものがあればいいんだよね?」
「そうか、ならこの『水鏡の剣』があるぞ。天帝の証として太古から伝わる神宝で、代々の天帝が常にこうして身に着けて――』
「いやそんなの知らない人にはわからないってば。僕が言ってるのはこっち――」
 そう言いつつ、ラータルトは入国の時にプリメーラからもらった、小さな桜の紋章を取り出した。
 途端に、神官の顔色が変わる。それはラータルトにとっても予想以上の変わりようだった。
「それは――最高使節の警護役だと? 一体それをどこで……」
「なんだ、この花の紋章がどうかしたのか?」
 そう呟きながらミオが取り出した大きな桜の紋章を見て、神官はいよいよ顔色を失った。
「ちょ、ちょっと待っててくれ。俺の一存じゃ決められない。マクシス様にお伺いを立ててくる。いいか、ちゃんと待っててくれよ、勝手にどこか行くなよ!」
 そう告げると、神官は小窓を閉めるのも忘れ、大慌てで奥の部屋へと駆けて行った。
「……どうしたんだろう。なんか歓迎されてるわけでもないみたいだし」
「おおかた、王国と教会の間柄に関係あることなのだろう。どうやらこの紋章は王国内では絶大な意味を持つらしいが、あのレノアとやらに見せてやったらどんな反応を示すのであろうな?」
 そんな話をしていると、例の若い神官が戻ってきた。しかしその足音は一つではなく、何人も連れだって来ているようだ。
 間もなく大扉が開けられた。その内側には、十人ほどの神官がずらりと立ち並んでいた。彼らは皆、腰から剣を下げている。若い神官が、緊張した面持ちで口を開いた。
「先程は失礼いたしました。ヴァルゴ大聖堂へようこそ。智神官マクシス神殿長が是非、あなた方にお会いしたいと申しております。こちらへどうぞ」

 二人が連れてこられた部屋は、神殿の中の一室ではあったが、目が眩むほどの豪華絢爛な部屋だった。
「遠路はるばるご苦労であった。ミオ殿にラータルト殿」
 純金で縁取られたテーブルの向かいには、極度に肥満した中年の男が座っていた。彼が体を動かすたびに、豪奢な神官衣に包まれた脂肪がぶるんぶるんと動くのが見える。
 ラータルトは、港町の高級レストランに入った時と同じように、思わず辺りを見回した。調度品のどれもが黄金色に輝いていて目に痛い。あのレストランのような落ち着きは微塵も感じられない、いかにも成金趣味の見本のような空間が、確かにそこにはあった。床にはよく見ると虎の毛皮まで敷いてある。目ばかりでなく頭まで痛くなってきたので、ラータルトは見るのをやめた。
 しかし、どうしても気になるのは、この智神官マクシスとかいう神殿長の後ろにずらりと立ち並ぶ、腰に剣を差した神官たちだ。彼らはこの応接間にまで入ってきて、神殿長を守るように――見方によっては二人を威圧するように――立ち並んでいる。
 見たところ、一人一人の実力は玄人としては二流で、一対一の戦いなら自分はもちろん、ミオでも十分に勝てるだろう。しかし二流とはいえ玄人であるのは確かだ。十対二ではいくらなんでも勝ち目はない。まあ、別に荒事を起こさなければいいわけだ――そう考えて、ラータルトは落ち着くことにした。
 一方ミオはというと、一泊しにきたつもりがこんな所にまで連れて来られて、素直に困惑しているようだった。
「私はただ、一晩泊めて欲しいと言っただけなのだが」
「何をおっしゃる特使殿――いや失礼、天帝陛下でしたな。そなたのような方を迎え入れるにあたって失礼があってはならぬ。最高の部屋をご用意するので、存分に疲れを癒してくだされ」
 丁寧なのか偉そうなのか微妙に判断しかねる口調で告げつつ、マクシス神殿長は二人に向かって頭を下げた。

「とりあえず、食事は美味かったな」
 満足そうな表情を浮かべつつ、バスローブ姿のミオは客室のソファーに身を沈めていた。いつもは後ろで結んでいる髪を今は垂らしている。わずかに湿った黒髪は伸ばすと腰の辺りまであるらしい。
「あと浴室が広々としていて気持ちいい。王国の人間はあまり風呂に入る習慣がないと聞いたがそうでもないのか?」
「聖職者特有の文化、ってやつじゃないのかな?」
「聖職者、か。しかし解せない話だ。食べ物を作っているはずの農民が食料不足で、そういう者たちを支える立場の僧が贅沢三昧とは」
「うーん、ぱっと見る限り、神官たちがそれほど贅沢してるようには見えないけどなぁ。特に下の人達は」
「少なくとも、神殿長のマクシスとやらは贅沢三昧だろう」
 そう言われて、ラータルトはマクシスの姿を――肥満しきって歩くのも辛そうな――思い浮かべた。確かに否定できない。
「でもそう言う割には、ミオも料理が出てきた時にはめちゃくちゃ嬉しそうだったよね」
「それは誰でもそうだろう。解せる解せないと、嬉しい嬉しくないはまた別の問題だ」
 ミオは軽やかに立ち上がると、窓から外の様子を見下ろした。
 大神殿の周囲に人の住む建物はなく、周囲にはただ真っ暗な森が広がっている。その深い闇を貫くには、三日月の明かりではいかにも頼りない。
「野宿にならなくて良かったな。こんな闇夜に、外で寝るというのはあまり気分のいいものではない」
「暗いのが怖いの?」
「怖くなどはない。ただ、いろいろ思い出してしまうのだ。あの悪夢の夜のことを――」
 悪夢の夜とは何か、今更聞くまでもなかった。幼かったミオが住む街が教会の軍に襲撃され、ミオ自身と弟を除く家族全員が惨殺された日のことを指しているに違いない。
 あの日から、ミオは熾烈な生存競争を強いられてきたのだ――ラータルトと出会い、帝国を後にするまで何年間も。
「あの日、皆殺しにされたのは何も私の家族だけではない。後で知った話だが、あの街で生き延びることができたのは、私達姉弟を含めても両手の指に満たなかったそうだ」
 無表情に語るミオの横顔を伺いながら、ラータルトはふと思ったことを尋ねてみる。
「理由、他にあるんでしょ」
 唐突な問いに、ミオは「何がだ?」という表情でラータルトに向き直る。
「単に闇夜が嫌だ、なんて理由で、わざわざこんな神官戦士が――仇の仲間がたくさんいるような所に泊まる理由だよ」
「ああ、まだ言ってなかったな」
 悪びれずに言うと、ミオはそろそろ乾いてきた髪を掻き揚げ、いつものように後ろで結び始めた。まだ寝る気はないってことか――ラータルトはミオの行動をそう解釈した。
「おかしいとは思わないか?」
「……おかしいことはいっぱいあると思うけど、どれのこと?」
「桜の紋章を見せた時のあの若い神官の態度と、その後の神殿長の対応だ。美味い料理と豪華な客室で歓待されているようにも見えるが、神殿長の後ろにいたあの護衛の数は異常だし、この部屋も神殿の中央部からはだいぶ外れた場所にある」
「……うん」
「食事中の神殿長の態度で確信した。どうも私達のことを王国の手の者だと思っているらしい」
「言われてみればあのマクシスって人、食事中ずっと『帝国から来たというのは本当か』みたいなことを言ってたね。すっごく遠まわしに」
 ラータルトがそう話している間に、ミオはいきなり目の前でバスローブを脱ぎ始めた。
 慌てて後ろを向くラータルトの背後から、ミオは全く声の調子を変えずに語り続ける。
「あの神殿長には相当後ろ暗いことがあるらしいな。これはなかなか面白いことになりそうだ」
「まさか、探りを入れてみるつもり? 今から? そんなことして――」
 何になる、と言いかけてラータルトは思いとどまった。ミオは『面白いことになりそうだ』と言った。きっと、それ以外に理由などないのだろう。


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