翌日になっても、翌々日になっても、ラータルトは戻らなかった。
 王都のホテルの一室で、ひたすら窓の外を見つめるミオの部屋の扉が叩かれる。
 立ち上がり、ドアを開けたミオに向かって浴びせられた第一声はこれだった。
「酷い顔ですわね」
「そんなに私は不細工か? 自分では割と気に入っているのだがな」
 声の主はレノアだった。レノアは大げさにため息をつくと、やれやれといった様子で首を横に振った。
「目の下にものすごい隈ができてますわよ。それさえ除けばあなたは別に不細工ではありませんわ、まあさすがにわたくしと比べてしまっては多少見劣りするのも仕方ないことではありますけど」
「ところで何の用だ? まさか自慢しにわざわざ来たわけではないだろう」
「ずいぶんと切羽詰っているようですわね、わたくしの冗談を真に受けるなんて」
 そう言うと、レノアはずかずかと部屋に入ってきて、勧められてもいない椅子に当然のような顔で腰を下ろした。
「ラータルトの行方が気になりますの?」
「い、いや別に心配はしておらぬ。ただ戻りが遅いから気になるだけだ」
「やはりそういうことですのね。ところであなた方、どこまで行ってますの?」
「どこまで、とはどういう意味だ?」
「もうキスくらいはしたのかという意味ですわ」
 いきなりの指摘に、ミオは目に見えてたじろいだ。
「な、何を言うか貴様! 私とラータルトとは別にそういう関係ではなくてだな、一昨日のあれも別にそういう意味でしたわけではなく――」
「え……まさか本当に? 冗談のつもりで言いましたのに、あなた何そんなに赤くなって……」
 おほん、とレノアは咳払いをした。
「忘れるところでしたわ。今日は別にそんな話をしに来たわけじゃありませんのよ」
「では何の用だ?」
「あなたが追っているという、仇についてですわ」
 それまで赤くなっていたミオの顔が、一転して真剣そのものの表情に戻った。
「我がヨーデンブルク家がこれまでに集めた教会に関する資料、そして今回は特別に王家にもお願いして膨大な資料を集め、その中からエンジェルハンドに関する資料を抜粋し、調査する作業を氷室に進めさせておりますの」
「では――」
「おそらく明日には何らかの調査結果をお教えできるはずですわ。エンジェルハンド十三人のうち、帝国に渡り、あなたの街を襲ったのが誰であるか。何しろ氷室は若い頃、あなたの住んでいた神有月家の屋敷のある街に住んでいたことがあるらしいですわ。だから、あのあたりの事情に詳しい氷室に任せればきっとすぐにわかりますわ」
「実に有難い話だ。だが、なぜ私のためにそこまでしてくれるのだ?」
 ミオの質問に、レノアは目を逸らした。
「べ、別にあなたのためにしているわけではありませんわ。これはわたくしの個人的な復讐――何しろわたくし、教会によって二度も命を奪われかけたのですから。教会に敵対する者であれば誰でも応援しますわ、おおっぴらにというわけには参りませんけれど」
 ミオの仇について調べたところで、これっぽちも教会に対する復讐になるとは思えなかったが、あえてそのことは追求しなかった。
 代わりに、ミオはこう言った。
「一緒に食事でもどうだ? いい店を見つけたんだ、たまには私におごらせてくれ」

 *

 その頃、ラータルトは――
 中央神殿の図書館に忍び込むこと数回。中央神殿の警備は以前よりはるかに厳重になっていたが、記憶を取り戻しつつあるラータルトにとって、忍び込むことなど朝飯前だった。
 記録自体は、おおっぴらにされているものもあれば、隠されているものもあった。中でも特に厳重に隠されていたのは、エンジェルハンドがどのようにして作り出されたか、というものだった。
 調べてみて、その理由がはっきりした。
 エンジェルハンドとは、元々は守護聖皇ロートルジェム一世自らが提唱した少数精鋭集団で、本来は『天使』が塔の外に出る際、あらゆる外敵から守る護衛団という位置付けだった。天使エリシアが塔で二人に語った、まさにその通りのことが書かれている。
 だが、なぜその育成法が厳重に隠されなければならないのか――それは、資料を読み進めるに従って、次第に明らかになっていった。

 守護聖皇からエンジェルハンドの育成を任せられた当時の智神官マグナルダ・カーンは、全てを秘密裏に進行した。表沙汰は「弱点などが敵に知れるのを防ぐため」ということであったが、実際にはそんな問題ではなかった。
 彼が目をつけたのは、教会に引き取られる孤児達だった。大陸のどこかで、毎日のように引き取られる孤児の中から、特に素質があると思われる子供だけを集め、一つの訓練施設に押し込んだ。
 そこで徹底的な戦闘訓練をはじめ、教会と教義に対する絶対的な忠誠、そしていついかなる時でも『天使』を守ることを最優先に行動する、ということを半ば洗脳まがいの方法で刷り込まれた。資料として、その時に使われた『天使』の肖像画が載っていたが、翼の枚数やら頭上の光輪などの誇張表現を除けば、確かにエリシアそっくりだった。おそらく、本物を見たことのある守護聖皇が自ら描いたものなのだろう。
 当初、エンジェルハンドとして予定されていた人数は十二人。それに対し、集められた孤児達は数百人。さらなる選別が必要だった。
 まずは過酷な訓練で多くの者が命を落とした。さらに、見込みなしと判断された者が消されていった――これも秘密を守るためらしい。さらに選別と訓練を兼ねるために、候補生同士で殺し合いなどもさせた。
 最終的には、予定より一人多い十三人に落ち着いた。さらに何人かの候補生が、欠員に備えて訓練施設に残されることになった――もちろん秘密裏に。
 こうして生み出されたエンジェルハンドは、神官戦士が数十人束になってもかなわないほどの化け物だった。この功績によってマグナルダ・カーンは熾神官に昇格し、さらに彼らを指揮統率する役に任じられた。

 確かにこんなのが表沙汰になったら大問題だ。
 仮にも人道を説く立場にある教会が裏でこんなことをしている、などという情報が流れたら、レノアあたりは喜んで利用し、教会の権威を引きずり降ろそうとするだろう。
 別の資料に、エンジェルハンドの一覧が載っていた。こちらはそれほど厳重に隠されてはいなかった。驚いたことに、エンジェルハンドの中には女性も混じっているらしい。
 最後のページに目が留まった。
 十三番目のエンジェルハンド。十三人の中で最年少でありながら、教会の記録に残る限りでは疑いなく最強の剣士。名前はラータルト・アルスタイン。生みの母は亡くなっており、父親の所在は不明。
 十二歳の時に実戦に投入され、以来比類なき成果を上げる。そして十三歳の時、帝国での戦いに参戦。最重要目標である天帝の孫を取り逃がすものの、結果として彼の働きのおかげで街は陥落。だがそれ以来、彼はあらゆる命令を拒否。投獄されても態度は変わらず、そのためマグナルダ・カーンは彼の処刑を指示するが、執行直前に脱獄。それ以来、彼はエンジェルハンド初の、そして今のところ唯一の裏切者として手配されることになる。
 最後には著者の注釈として、「彼を見つけたとして、最強のエンジェルハンドである彼を捕まえようなどと馬鹿なことを考える神官戦士がいるはずもない。追跡に複数のエンジェルハンドを投入でもしない限り、今後教会が彼を捕まえられる可能性は極めて低いだろう。教会は本気で彼を捕まえる気があるのだろうか?」などと書かれていた。
 ラータルト・アルスタイン。自分の名前。
 その名前を鍵として、ラータルトの中に封じられていた記憶が一気に蘇る。選別で親友を手にかけた時のこと、幾多の戦場で異教徒を血の海に沈めたこと、そして帝国で遭遇した最強の敵との戦い――そして唯一の敗北。
 あの敗北がなければ、自分は今でも異教徒の血を流し続けていただろう。思えばあの少女こそが、どこまでも堕ちていく自分を止めてくれたのだ。だがその少女に自分は何をした?
 この場で自らの腹を切って死にたいと思った。いや、もっと楽な方法もある、塔に行って『裁き』を受ければいい。ミオからもらったメイデン・ブラッドさえ捨てれば――
 ふと、ラータルトは懐からその石を取り出す。
 透き通る血の赤。自ら光を放つと同時に、黒いオーラがその光を呑み込む。ミオがラータルトを助けるために、文字通り身を削って作り出した究極の魔法石である。きっとこの黒いオーラは、彼女の抑え切れない憎悪の感情を表しているのだろう。
 そしてその感情は、ミオの家族を殺した仇に向けられているのだ。そして、おそらくミオはまだ気付いていないだろうが、これまで共に旅をした臣下であり仲間であるラータルトこそが、その仇なのだ。
 あの敗北から八年間、今までさんざん逃げてきたのだ。せめて、最後くらいは立ち向かおう。
 決意とともに、ラータルトは立ち上がった。


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