人気のない海岸だった。
 ラータルトがこの場所を選んだ理由はただ一つ、人がいないということだった。
 ありのままを打ち明ければ、ミオはおそらく自分を殺そうとするだろう。しかし人のいるところで流血沙汰というのは、誰にとっても幸福な結果になり得ない。
 手紙屋を使って、今も王都のホテルに滞在しているはずのミオに手紙を送った。内容は至って簡単。
 大事な話があるからすぐに来て欲しい。
 たったそれだけの一文と自分の署名、そして場所を記した地図。そしてミオから預かっていた紅い石を同封した。
 それ以外の詳細は一切記していない。
 手紙には「すぐ」と書いたが、手紙を送ってから届くまでの時間を考えると、ようやくミオの手元に届いたあたりだろう。仮にタマに乗って全速力で駆けつけるとしても、彼女がここにたどり着くまであと数時間はかかる。
 ラータルトは無言で海を見やった。
 今の心を映しているかのような灰色の海。
 ミオには何と言って説明したらいいのだろうか。いきなり「ミオが探してた仇っていうのは僕のことなんだ」と言ったところで、すぐに理解してもらえるとは思えない。
 もっとも、どのように説明したところで、ミオが素直に受け入れるとは思えないが。
 ミオはラータルトに全幅の信頼を寄せていた。だからこそ逆に、ミオはラータルトの言うことを信用しようとはしないだろう。

 ラータルトは目を閉じて、これまで自分が斬ってきた者達の姿を思い浮かべる。
 最初に斬ったのは、自分と同じ立場だったエンジェルハンドの候補生だったはずだ。二十名ほどの仲間を殺し、その後正式に任命されてからは、百人殺したところで数えるのをやめた。
 エンジェルハンドになってからはいくつもの戦場に送られたが、他にも教会の戒律に反して魔法を使う異端者の抹殺、すなわち「魔女狩り」に派遣されることも多かった。正直、ラータルトが苦戦した相手といえば、最後の二回――ミオの母親との戦いと、ミオ自身との戦い――を除けば、残りの全てがそういった一流の魔法使いたちだった。
 だからこそ、魔法使いとの戦いには慣れている。そもそも魔法というのは一対一の決闘の手段としてはあまり向いていない代物だ。詠唱に時間がかかる上に、物理的な効果を及ぼす魔法であれば物理的に回避できるし、催眠のような直接効果を及ぼす魔法は対処法さえ知っていれば精神力で撥ね退けられる。先日はマクシス相手に不覚を取ったが、記憶を取り戻した今であればあの程度の魔法などどうということはない。
 この上あの石を持っていれば、自分は魔法使いに対して無敵になれただろう――今まで戦ったどの魔法使いよりも強大な力を持つミオが相手であろうと例外ではない。しかしそれでは明らかにフェアではないので、せめて元々ミオの所有物である石くらいは返そうと思い、手紙に同封したのだ。
 ふとラータルトは考える。もしもミオの仇が自分でなく別のエンジェルハンドの誰かだとしたら、ミオは勝てたのだろうか?

 その時だった。今度こそ、背後に誰かの気配を感じた。
 ゆっくりと振り返る。
 その先には――
「……ミオ、早かったね」
 正直、こんなに早く来るとは思っていなかった。
 ラータルトは思わずミオの姿をまじまじと見つめる。
 それまで見たことのない姿だった。服装はいつもの袴姿ではあるのだが、上が純白、下が朱色というのは初めて見る組み合わせだ。額にはハチマキのようなものを巻き、持っている物といえば『水鏡の剣』一振りだけ。タマは連れていないようだ。
 しかし、ラータルトはすぐに気付いた。異様なのはその格好ではなく、表情を含めた雰囲気の方だということに。
 そして同時に察した。
 おそらくミオは全てを知っているのだ。ラータルトがミオと別れてから今までの間に、何らかの経緯でラータルトの正体を知り、そしてラータルトがミオを呼び出した目的も理解しているのだ。
 全てを承知の上で、この格好でしかもタマを連れずにわざわざ一人で来たということは――
 ラータルトは確信した。ミオがこの場に来たのは、話し合いをするためでもなければ一方的に闇討ちするためでもなく、正面から命を賭けた決闘を挑むつもりなのだ。

 重苦しい空気が流れる中、ミオが口を開く。
「私が来た目的はわかっているな?」
 ラータルトは頷くことしかできなかった。
「お前には感謝している。お前が私の家臣となってから今まで、私はお前と出会ったおかげで――」
 しかし、その先は言葉にならなかった。ミオは何かを振り払うように首を振り、表情を改める。
「最後に聞いておきたい。私が母と祖父母の仇を討つと決めて以来、何が何でも聞き出さねばならないと思っていたことだ」
 その表情から、彼女の感情は推し量れなかった。ただ精神的な鉄の面を被り、複雑な感情をひたすらに押し殺そうとしていることだけはわかる。
「お前は何のために、何を思ってあんなことをしたのだ? なぜ私の家族は殺されなければならなかったのだ?」
 ミオの問いに、ラータルトは苦しそうな表情を見せたが、しかしはっきりと正直に答えた。
「『天使』を守るために邪悪な異教徒を殺す。あの時は、心の底から正しいことだと思ってたんだ」
「そうか」
 ミオはそれだけ呟くと、腰の刀に手をやり、静かにゆっくりと抜き放つ。
 神宝の一つにして天帝の証である『水鏡の剣』――透き通った刀身が、雲の間からわずかに顔を覗かせる太陽に照らされ、澄んだ色合いの光を放つ。
「全力で勝負しろ。私は持てる力の全てをもってお前を倒す。私はお前を殺すためだけに、この力を手に入れたのだから――」
 決意を込めた瞳で、ミオはラータルトを睨みつける。ラータルトは静かにミオを見つめ返す。
 それが、戦いの合図だった。


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