腹を切り裂かれたミオの体が、砂浜に横たわっている。
 胸を貫かれたラータルトの傷は、傍から見ればどう見ても致命傷に見えたが、心臓も外れており適切な手当てをすれば命は助かる可能性は高い。肺が多少傷ついてはいるが、太い血管はほとんど傷ついておらず、傷から流れる血もすぐに命に関わるほどの量ではない。水鏡の剣のあまりの切れ味のよさが、逆に幸いした形だ。
 一方、ミオの容態は深刻だった。
 腹を切り裂かれた傷自体は、ラータルトと似たり寄ったりだ。傷は腹膜にまで達しているものの内臓までは傷つけておらず、出血は多いものの即座に失血死するほどではない。
 だが、ミオの使っていた『武神降臨』の奥義は、もともとそれを使用すること自体が命に関わるような技なのである。そんな状態での一撃は、ミオに一瞬で意識を失わせ、さらに生死の境をさまよわせるほどのショックを与えていた。このまま放っておけば、まず間違いなく死ぬだろう。
 こうなることはわかっていた。だがこの方法に賭けるしかなかったのだ。
 あえて一撃を受けることにより、ミオの攻撃を封じる。その瞬間にできたほんのわずかな隙に、ミオに戦闘不能になるような一撃を与える。
 殺さずに勝つためにはこれしかなかったとはいえ、あまりにも危険な賭けだった。一撃を受ける時に急所をかわしきれなければ当然自分が死ぬし、反撃に成功したところでその一撃がミオを殺してしまわない保証などどこにもない。

 傷自体の応急手当は終わっている。とりあえず血は止まった。
 しかしミオの意識は一向に戻る気配がない。
 普段のラータルトならミオを背負って人里まで走ることもできただろうが、瀕死なのはラータルトも同じだ。この状況では人一人を背負って歩くなどどう考えても無理である。
 とにかく人を呼ぶしかない。幸い、走って数分のところに村があったはずだ。満足な治療は望めないが、医者の一人もいないということはないだろう。
 砂浜の地面に寝かせたミオの手を握り、ラータルトは語りかける。
「今から人を呼んでくる。それまで我慢してくれ――」

 ラータルトは村に向かって走り出した。
 こんなことでミオを死なせるわけにはいかない。いかにミオが強靭な生命力を持っていたとしても、あのまま放置して生き延びられるとは思えない。
 ミオの腹を斬った感触が、いまだに手に残っている。
 このままミオが死ぬようなことがあれば――その想いが、既に限界を越えたはずのラータルトの足を前に進めさせる。
 だが――
「あれ……? 昼なのに、なんか暗いなぁ」
 口からよだれが垂れたと思ってぬぐってみると、それは赤くて鉄の匂いがした。
 さらに一歩踏み出すと、そのまま膝がかくんと曲がり、上半身が前のめりに倒れたらしいが何の感触も伝わってこない。
「だめだ、こんなところで倒れちゃ。あのままミオを放っておいたら――」
 自分を殺させないためにミオを斬ったのだ。そのせいでミオが死んでしまっては本末転倒どころの話ではない。
「あと少し――村はもう見えて――いけない、だんだん見えなくなって――!」
 村の門が見えている距離で、ラータルトはついに意識を失った。

 *

 ラータルトが目を覚ましたのは、見慣れない部屋だった。
 かなり大きな部屋で、ベッドの上に寝かされていたらしい。上半身を起こそうとして胸の傷が激しく痛んだので、首だけを起こして辺りを見回す。
 生活感の感じられない清潔な室内、薬品らしく瓶の並んだ棚、白衣を着た若い女性の姿――どうやらここは病院の治療室らしい。
 白衣の女性が告げる。
「あっ、目が覚めたんですね? そのまま体を動かさないでじっとしていて下さい。今先生を――」
 その声に反応して、一人の体格のいい白衣の男が部屋に入ってくる。
「おおよかった。思ったより早く目を覚ましたようだ」
「ここは……?」
「王都の病院だよ。なんでもあんた、村の目の前で倒れてたらしいじゃないか。村の先生の手に負えないっていうんでここまで運んできたんだ」
「村……そうだミオは? ミオはどうしたんですか!」
 慌てて身を起こそうとして、再び胸に鋭い痛みを覚えてラータルトはベッドの上にひっくり返った。
「おお待て待てまだ傷は塞がりきっていないんだ、無理をすると開いてしまうぞ」
「だってミオが――」
「落ち着け。落ち着いて、な。あんた二日も気を失ってたんだ。今から慌ててどうにかなるものでもあるまい?」
「そんな……」
 目の前が真っ暗になった。もしもミオがあのまま放置されていたとしたら、とっくに命はないだろう。
「ところでミオというのは海岸近くに倒れていた娘さんのことかな?」
 今度こそ一気に身を起こした。激しい痛みを感じたはずだが気にする余裕などなかった。
「知ってるんですかっ! 教えてくださいミオは今どこに」
「落ち着け。落ち着いて、な。どっちかといえばあんたの方が重傷だったんだ。まず自分の心配をするべきだろう」
「それじゃあ――助かったんですね!」
「それが……」
 医者はあいまいな表情のまま、深くため息をついた。
「村の人の話だと、あんた気を失ってからもうわごとみたいに何か呟いてたらしくてな。あんたの言葉をたよりに海岸に行ったら、本当に娘さんが倒れていてな。あんたと一緒にここまで運ばれてきたんだ」
「ミオは無事なんですか? 今どこに――」
 そう言いかけてラータルトははっとする。
 仮にミオが助かったとして、一体どの面を下げて会えば良いのか。いくら決闘を演じたところで、自分がミオの家族を殺した事実に変わりはないし、おまけにミオ自身をも傷つけてしまったのだ。
 もう二度と会わないこと――今の自分にできることはそのくらいだとラータルトは思った。家族を殺した仇に対する憎悪も、共に旅するうちに育まれた情も、顔さえ合わせなければ時間が流してくれるだろう。あの決闘はそのための儀式だったのだ。
 だとすれば、自分がこうして傷ついたのも、ミオをああして傷つけてしまったことも、あながち無駄ではなかったのかもしれない。
「それが……あの娘さん、ここに運ばれてあんたと同じように手当てしたんだが、ふと目を離した隙に姿を消してしまったのだ」
「姿を消した?」
「持ち物も一緒になくなっていたから、目を覚まして自分の足で出て行ったのは確かだが、しかし普通ならまだまともに動ける状態ではなかった。どこかで倒れていなければ良いが……だから私はあの娘さんとは全く言葉も交わしていなかったのだ。そうかミオという名だったか」
 一人で呟く医者をよそに、ラータルトは再びベッドに身を横たえた。
 おそらくミオもラータルトに顔を合わせたくなかったのだろう。だからこそ、黙って姿を消したのだ。そう考えるのが一番自然だった。
 とにかく、ミオが無事で良かった――安心したラータルトの意識は再び闇に落ちた。


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