「いろいろと、お世話になりました」
 王都の城門前で、ラータルトは二人に頭を下げた。
「私は別にあなたに世話などした覚えはありませんわ。治療費のことなら、あんなはした金で頭を下げられても困りますことよ」
 相変わらずの調子でレノアは告げる。その横で、氷室はラータルトに深々と頭を下げる。
「この度は私のせいでこんなことになってしまい、誠になんとお詫び申し上げたら良いか……」
「ああ、別にいいんです元々ミオには僕の口から事実を告げるつもりだったし」
「でもまあ無事で何よりですわ。あなた達が戦えばどちらかが命を落とすと思って、それで隠し通そうと思ったのに……ひょっとしてこれが『天使』の加護というものではありませんこと?」
 天使の加護。
 あの時、塔の中にミオと二人で飛び込んだ時、そこで本物の『天使』エリシアに出会った――という話は、今のところ誰にもしていない。目の前にいるレノアと氷室にもだ。どうせ誰にも信じてもらえないだろうし、信じられたら信じられたで今度は大騒ぎになるだろう。
 その時エリシアにもらった剣も、あの砂浜で失われてしまっている。今は鞘だけがラータルトの腰に下がっている。
 もっとも、あの剣はミオの持つ神宝・水鏡の剣と打ち合ったことにより刀身が大きく欠けてしまっていて、もはや修復は不可能だろう――それこそ作った張本人のエリシアにでも頼まない限り。
 あの剣でミオの腹を斬った感触は、今でも手に残っている。ミオの血で汚れたまま、あの剣は今でも砂浜に転がっているのだろうか。
 かつてラータルトが持っていた同じ形の剣は、『天使』を守るために教会から与えられたものだった。それは結局熾神官マグナルダ・カーンの手によって奪われた。そして代わりに新しい剣を与えられた――ミオを守るために『天使』から与えられたのだ。
 そして今度はそれを失った。同時にラータルトは生きる目的をも失ったのだ。誰かを守るために戦う、それ以外のために生きる術など知らない。
「で、あなたこれからどうするつもりですの?」
 レノアの声に、ラータルトの思考は現実に引き戻される。
「――旅に出ようと思うんだ」
「旅?」
「僕は今まで、エンジェルハンドとして数え切れないほどの命を奪ってきた。ミオの家族もそうだけど、他にもたくさんの悲しみを作ってきたんだ」
「もしかして、それを償うために旅に出るつもりですの?」
「一度失われた命は絶対に取り戻せない。だからどうやったって償いきれるわけがないんだ。でも、もしほんの少しでも償うことができるなら――今まで僕が戦った各地を巡って、自分が何をしてしまったのか、これから何ができるのか、それを探すんだ」
 そう告げると、ラータルトは二人に背を向けた。
「それじゃあ……さよなら。二人ともお元気で」
「まあせいぜい頑張りなさい。そして必ず戻ってきなさい。いつでも待っておりますわよ」
「教会はあなたを裏切者として追い、かつての敵はあなたを悪魔と罵るかもしれません――それでも我々はあなたを応援しています。それを忘れないで下さい」

 二人の声を背に、ラータルトは王都を後にした。

 隣の街までは、馬で数時間かかる距離だ。歩けば丸一日はかかるだろう。
 まだ傷が癒えきっていないラータルトには辛い距離だが、馬を買う余裕などない。レノアにいくばくかの金を借りてはいるがあくあまで借りた金である。無駄遣いはできなかった。
 林の中をうねるように伸びる街道を、ラータルトはゆっくりと歩く。
 実にのどかな天気だった。林の間を通り過ぎる風が気持ちいい。叶わぬ夢とはわかっているが、できればミオと二人で並んで歩いてみたかった。
 自分にとって、ミオはどんな存在だったのか。
 結局わからずじまいだったが、あの時、ミオを守るために戦うと誓った時に出せたあの力は本物だと思う。文字通り武神と化していた彼女を止めることのできる人間が存在するとは、しかもそれが自分だったなどということはにわかには信じられないが、事実である。
 もしも、ミオと異なる出会い方をしていれば。仮定を語っても仕方のないことではあるが、どうしてもそう考えてしまう。もう会わないと決めたのに、ふと気を抜くとミオのことばかり考えてしまう自分に苛立ちが募る。
 道の向こうに誰かが立っている。ミオのことばかり考えていたためか、その人影が一瞬ミオに見えてしまった。もちろんそんなはずはなく、単に王都を目指してラータルトと逆向きに歩いているだけの旅人だろう。
「……やっぱ病んでるよなぁ」
 ラータルトはぽつりと呟く。そして改めて顔を上げる。
 確かにその人影はミオと見間違えても仕方なかったかもしれない。若い女性で黒い髪で、背の高さはラータルトと同じくらいで変わった服装をしていて抜き身の剣を携えてこちらの様子をじっと窺っていて、

「……えっ?」
 信じられなかったが信じるしかなかった。似ているにも限度がある。ミオに双子の姉妹がいるという話は聞いたことがないから、考えられるのは一つしかない。
「ここで待っていれば来ると思って、ずっと待っていた」
 口を開いた少女は、間違いなく本物のミオだった。
 ミオは静かに剣を構えている。それに対して、ラータルトは完全に丸腰で寸鉄すら帯びていない。
 決着をつけるつもりなのか――もしそうだとしたら、ラータルトにできることは何もない。たとえ武神降臨を使わずとも、剣を持ったミオに丸腰で勝負になるはずがない。おまけに傷もまだ癒えていないのだ。おとなしく殺される他ない。
「一つだけ聞いておきたいことがある」
 ミオは厳かに告げた。
「お前はまだ、償う気はあるのか? 己が生命を賭けてでも、今までに重ねた罪を償おうという意志はあるのか?」
 答えは決まっていた。わかりきった質問だった。
 ラータルトは黙って頷く。
「ならばそこにひざまずけ」
 言われた通りにラータルトはひざまずいた。左の膝を地面につき、右の膝を立てる。そして、両手の拳を地面に押し付け、軽く頭を下げて差し出す。
 王国騎士や神官戦士が、主に完全恭順の意を示すために取る姿勢である。そしてそれは、断首刑に処される罪人が、処刑場で潔く首を刎ねられる意志を示すための姿勢でもあった。
 ミオは右手に提げた剣を前に差し出し、その刃をラータルトの首の横にぴたりと構えた。
「お前の命は私が貰い受ける」
 そう告げると、ミオは剣を振り上げ――
 そして真っ直ぐ振り下ろした。
 剣の平が、ラータルトの肩を叩く。
「ラータルト・アルスタインよ。貴殿に太夢帝国近衛将軍の任を命ずる」
「……え?」
 きょとんとした表情で、ラータルトはミオを見上げる。
「お前は今日から太夢天帝である私のために命を賭して働くのだ。私の目的は全世界に君臨する真の帝となること、それはつまりお前が駆り出されたような無益な争いに終止符を打つことに他ならない。お前は私の右腕となりそれを助ける。これ以上の贖罪はあるまい?」
 ラータルトはしばらく呆然としていたが、やがてぽつりと呟いた。
「……建前としてはそうだけど、なんか無理矢理っぽくない?」
「まだ返事を聞いていないぞ? 受けるのか受けないのか?」
「……ミオは、僕のことを許すつもりなの?」
 ラータルトの素朴な疑問に、ミオは複雑な表情を見せた。
「お前は私の大切な母の、それに祖父と祖母の命を奪った。残された私たち姉弟は悲しみの淵に突き落とされた。だから私は仇を討つ――つまりお前を殺すと誓ったんだ」
 そう言いながら、ミオはラータルトの方に一歩近づいた。
「だが、ようやく仇を討てる――そう思った時に気付いてしまったのだ。私がお前を殺したとして、それが何になる? 再び同じ悲しみを生み出すだけではないのか?」
「……それはないんじゃないかな。教会を裏切ってから、僕はずっと一人で生きてきたんだ。僕が死んだところで悲しむ人なんて誰もいないよ」
「ああ、私と出会うまではそうだっただろうな」
 その言葉の真意を悟るのに、ラータルトはしばしの時間を要した。
「お前が死ねば悲しむ者はいる。少なくともここに一人いる」
「それって――」
「ここまで言わせたのだ。今更断るなどとは言わぬだろうな?」
 断ればこのまま首を切り落としかねない勢いのミオに向かって、ラータルトは静かに頭を下げる。
「謹んで、お受けいたします」
「ならばこの剣を手に取れ」
 ミオはそれまでラータルトの肩の上に乗せていた剣を引き、逆向きにしてラータルトに柄の側を差し出す。
 言われるままに手を取り――ラータルトの目が驚愕に見開かれる。
「これは――僕の剣? あの時エリシアにもらった剣だ。でも刃こぼれとかなくなって、また新品に戻ってる……それに……」
「これを直すために病院を抜け出していたのだ。最初は私の手で直そうとしたのだがさすがに無理だったので、あれから再び塔に潜入してエリシアに会ってきたのだ。今度のはすごいぞ、何しろ二人がかりであらゆる手段を使って強化した剣だ。水鏡の剣と打ち合ってもそう簡単には壊れぬはずだ」
「だったら……この剣に誓う。僕は命ある限り、ミオを守るために生きていく。それが僕の義務で、僕の望みだ」
「そんなお前に最初の任務だ」
 そう前置きして、ミオはラータルトの手を取って立ち上がらせる。
「……この道の向こうに猫車を止めてある。護衛として私をそこまで連れて行け」
「仰せのままに」
 そう言うと、ラータルトはミオの手を取ったまま、林の中をうねるように進む街道をゆっくりと歩き始める。
「ところでこれって……」
「別に二人で並んで歩いてみたかったわけではないぞ」
「いやどっちでもいいんだけどね。ところでもう傷は大丈夫なの?」
「塔の中であの水を飲んだから大丈夫だ。水筒に汲んできたのが猫車に積んであるから後でお前にも飲ませてやる」
 言われてようやく、ラータルトは自分の胸の傷のことを思い出した。一人で歩いていた時には重荷になっていた傷が、こうして二人で並んで歩いていると不思議と気にならなかった。

 曲がりくねった林の街道を、互いに手を繋いだ二人はどこまでもどこまでも歩いていく。

 

Angel Hand - The END -


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