実際、目的地までは三十分どころか二十分もかからなかった。
管理局支部は、これまで巡った戦士斡旋所や魔術師ギルドのどちらとも異なり、石造りの無機質な、悪く言えば面白みのない建物だった。それでもそれなりの規模はあるようで、無理に詰め込めば数百人は入るかもしれない。
「お役所の建物に面白みとか求めてもしょうがねーよ」
とはアルコンの弁である。
リュミの手を引くセレスを先頭に、一行は建物内へと足を踏み入れた。
磨かれた石材が基調となった室内は、清潔感にあふれてはいるものの、暖かみといったものは一切感じさせない造りになっている。気温とは関係なくわずかな寒さを感じながら、セレスは目の前のカウンターへと向かう。
「いらっしゃいませ。ご用件は?」
職員は無表情かつ無感情に、それでも礼儀だけは保ったままセレスに告げる。
「えーと、仲間の登録をしたいんだけど」
「登録ですね? かしこまりました。まずはリーダーのお名前からお願いします」
そんなやり取りを経て、アルコンとリュミの二人は無事に登録を終えた。
最後に登録される本人が書類にサインをする必要があり、アルコンは当然問題なかったものの、リュミの時にはやはりと言うべきか少々手間取ることとなった。職員がいくら説明してもリュミはぴくりとも動かず周囲をやきもきさせたが、同じ説明をセレスが繰り返し、最後に書類にサインするように頼むと、リュミはあっさりとペンを手に取り、すらすらと自分の名前を書いた。もちろんペンを持つ手以外の場所はぴくりとも動かさなかったが。
登録が終わったところで、ネーベルが提案する。
「閉館までまだ少し時間がありそうですね。せっかくですから、今のうちに仕事の方も探しておきますか?」
「仕事って、あれのこと?」
セレスが指差した先には、何やら木製の掲示板のようなものが何枚も立てかけられていて、そこに何十枚もの書類が並べてピンで留めてある。
「そうです。基本的に勇者の仕事は管理局の窓口を通して受けるのが原則です。もちろん突発的な事態などの場合は例外もありますが、基本的には管理局で依頼を選び、引き受けの手続きをして、それから現場に向かって実際の任務に当たり、成功・失敗に関わらず管理局に報告し、成功度合いに応じた報酬を受け取る、という流れの繰り返しとなります」
「へー。この中から好きに選んでいいの?」
「ランクによって選べる仕事が決まっています。例えばこの依頼書には青、赤、銅の印がつけられていますから、同じ色の紋章を持つ勇者だけがこの依頼を受けられる、ということになります」
「確かランクって下から順に緑、青、赤、銅、銀、金、黒、虹って順番だったよね。低すぎても高すぎても駄目なんだ?」
「ええ。駆け出しの勇者にはあまり難易度の高い仕事は危険ですし、逆に難易度の低い仕事を高位の勇者に任せるのは勿体無いだけでなく、他の勇者の食い扶持が減ってしまいますからね」
セレスは自分の胸元の紋章に目を落とす。それは任命されたばかりの新人を意味する緑色である。一方、依頼書のほとんどは青もしくは赤以上を対象としており、緑の印がついた依頼書は見当たらない。
「うーん、緑ないなぁ」
「そうそう、申し遅れましたが、新人の場合は基本的に任務を自由に選ぶことはできず、窓口の方で簡単そうなものを割り当ててもらい、それをこなしていく形になります――支部によって微妙に異なりますが、王都の支部は三つともその方針のようです。順調に完遂すれば、十回くらいで次のランクに上がれるはずですよ」
「そうなんだ。じゃあここは素直にお願いしようかな?」
セレスが告げると、話を聞いていた窓口の職員が立ち上がり、カウンターの外に出てこちらへと向かってきた。
「仕事の斡旋をご希望ですか?」
セレスが頷くと、職員は掲示板の前に立ち、端から順に眺めていく。
最後まで眺め、しかしふさわしい内容のものがなかったのか、一度カウンターの奥へと戻って何やら書類の束を探り、そこから一枚の依頼書を引っ張り出してセレスの元へと持ってきた。
「こちらは明日張り出す予定だった依頼ですが、最も典型的なパターンの依頼ですし、初任務に向いていると思うのですがいかがでしょう?」
セレスは書類を受け取って読んでみる。
文字を覚えたばかりということもあり、自分が書類が読んで理解できるのかどうか不安だったが、どうやら心配は要らなかったらしい。特に難しい言い回しもなく、わかりやすさ第一で書かれていたため、一度流し読みしただけで完全に内容を掴むことができた。
内容としては、王都から少し離れたとある村の近くに魔獣が出たため、それを討伐して欲しいという依頼だった。敵は狼の姿の魔獣が一匹、おそらくステージUと思われる、とのことである。報酬額はワイバーン金貨二十五枚。ちょうどアルコンの一月分の契約料に等しい。
ステージUの魔獣一匹なら、相当ギリギリではあったものの、セレス一人で倒したこともある。今回はネーベルを除外しても三人がかりだ。倒せない相手ではないだろう。
「それじゃ、これにしようかな。期限は……えっと、一週間後?」
「はい。成否に関わらず、期限内に報告をお願いします。理由なく報告が遅れた場合、報酬の減額やその他のペナルティが課せられる場合があります」
それから職員に細かい説明を受け、依頼書にサインをした時点で初任務が正式に決定した。
「さてと、暗くなる前に宿を探した方がいいかな――」
そう言いながらセレスが出口に向かって歩き出そうとした瞬間、何かがぶつかった音が聞こえてきた。
「おい! どこ見て歩いてやがる!」
見ると、セレスの目の前には大柄な男が立っていた。自分がぶつかったのかな、とセレスは一瞬考えたがどこも痛いところはない。しかしふと横を見ると、それまで真横にいたはずのリュミの姿が見当たらない。
「……あれ?」
辺りを見回すと、少し離れた場所に、なんとリュミがまっすぐ仰向けになって倒れていた。相変わらず焦点の合わない瞳が天井の方に向いている。
「うわっ! ちょっとリュミ大丈夫?」
慌てて駆け寄って助け起こす。あのひっくり返り方では相当痛かったはずだが、リュミは全くそんな素振りも見せず、ただ無表情に立ち上がる。
そんな態度に苛立ったらしく、男は声を荒げてリュミに迫る。
「おい人にぶつかっといて詫びの一つもなしか?」
男は胸元の紋章を見せ付けるようにしてリュミの前に立ちはだかっている。その色は赤――それなりに熟練を積んだ、一人前の勇者を示す色だ。
だがそんなものを目にしたところで、もちろんリュミは何一つとして反応を返さない。馬鹿にされたと感じたのか、男の頭に一気に血が昇る。
その時、突然リュミがはっと何かに気付いたように辺りを見回す。予想外の反応にセレスが驚くのを尻目に、リュミはきびすを返して数歩進み、その場でしゃがみ込んだかと思うと床から何かを拾い上げた。
それはいつも右腕で抱いていた熊のぬいぐるみだった。ぶつかった衝撃で飛ばされてしまったらしい。表情こそ変えなかったが、いかにも大事そうな手付きで抱きかかえ直す。
「……てめぇ、俺のこと完全になめてるだろう? こんなもん拾ってる前に言うことが――」
そう言いながら、男が熊のぬいぐるみに向かって手を伸ばす。そしてそれに触れた瞬間――
「やっ……!」
リュミは両腕でぬいぐるみを抱え、一歩後ずさった。
それはセレスにとって、初めて聞いたリュミの声だった。予想通り、澄み切った美しい声だった――などと浸っている場合ではないことを思い出し、セレスは男とリュミとの間に割って入る。
「ちょっと、乱暴しないでよ」
「何だてめぇは? 俺はこいつに話があるんだ。部外者はすっ込んでろ」
「部外者じゃないよ。リュミはあたしのパーティの一員なの。文句があるならあたしに言って」
そう告げるセレスの胸の紋章に、男の視線が向く。その色を見て、男は馬鹿にしたように鼻を鳴らしてから、声を荒げて迫る。
「新米の分際でいい気になってるんじゃねえぞ? 俺は他人になめられるのが大っ嫌いなんだよ!」
その時、男の背後から別の声がかかる。
「一体何事ですか?」
リュミを除く全員の視線が、一斉にそちらを向いた。
新たに現れたその声の主は、初夏だというのに全身をローブで包み、そして顔のほとんどをフードで覆った、見るからに怪しげな風体であった。姿勢からは少なくとも老人ではないだろうと推測できるが、かといって若いと判断する根拠もない。男性にしては小柄で、女性にしては大柄だ。
「何事もくそもねぇよ、このガキが――」
「ちょうど良かった。実はさっき――」
男の言葉に割り込むようにして、セレスがフードの人物に事情を説明する。
一通り聞き終わったフードの人物は頷き、大きくため息をついた。そしてリュミに向かって告げる。
「要するに、双方の不注意でぶつかったということですね。お怪我はありませんか?」
その声は何らかの方法で変えられているらしく、そもそも人間が発しているような声に聞こえない。ゆえに、どのような人物かを声から推し量るのは不可能に近いが、しかしリュミのことを労る様子だけは声色から伝わってくる。
「リュミ、怪我とかない?」
相変わらずリュミはぴくりとも動かないが、その様子から問題なさそうだとセレスは判断する。
「大丈夫みたい。ありがとう」
「そうですか。それでは、ここはどうか双方とも引き下がって頂けませんでしょうか? 管理局の玄関で勇者同士が争うというのは、いろいろと問題がありますから」
「ちょっと待ってくれよ、俺はこのガキに――」
そう抗弁しかける男に、フードの人物は冷たい視線とともに告げる。
「怪我をしたとでもおっしゃるのですか? あなたが、こちらの女の子とぶつかって? どうやらあなたは相当に深刻な虚弱体質のようですね。よろしければ良い病院を紹介しますよ」
そして、さらに告げる。
「どうしても納得いかないというなら、奥の部屋で私が話を伺いましょう。それが指導役である私の仕事ですから」
その言葉の、特に最後の部分に男は過剰に反応し、若干青ざめた表情で、一言も発することなくきびすを返して去って行った。
「穏便に収まったようで何よりです。ご協力に感謝いたします」
「ううん、こっちこそありがとう。おかげで助かったよ」
「しかし今回の場合は、いっそのことあなた方に袋叩きにしてもらった方が彼のためになったかもしれませんね。場所が場所なので止めさせて頂きましたが」
そしてフードの人物はセレスに向き直り、まっすぐに視線を向けてきた。フードの中からわずかに覗かせる目が一瞬だけ光を放つ。
「セレスティアさん、今回が初仕事とのことですが、気をつけてください。あなたに関するよからぬ噂を耳にしたものですから……それでは失礼」
それだけ告げると、フードの人物はローブを翻すと、まるで消えるようにその場から立ち去った。
「……なんであの人、あたしの名前知ってたんだろ?」
セレスの何気ない問いに、ネーベルが驚きの混じった声で答える。
「指導役、と名乗っていましたね。指導役とは、現役を退いてなお、後進の指導を行うべく尽力されている方々のことです。かつては高位の勇者として名を馳せていたはずですが、その素性を隠して行動する原則となっているので、ああいう格好で出てきたのでしょう。私も実際に間近でお会いするのは初めてです」
「なるほど、それでさっきの人あんなに慌ててたんだ。でも、あたしに関するよからぬ噂、って何だろう? あたし知らないうちに何か悪いことしちゃったのかな?」
「それは有り得ませんね」
セレスの疑問を、ネーベルは即座に否定する。
なおも不思議そうな表情のセレスに、それまで無関心を装っていたアルコンが、あらぬ方向に視線を向けたまま告げる。
「何かやらかせば悪評が立つのは別に普通だ。けど今回は、何もしてねーのに変な噂が立ってる――だからこそ、あいつは気をつけろって言ったんだろ」