「かんぱーい」
 三つの杯が音を立てて合わせられる。残りの一つはリュミの手に握られたままテーブルの上に置かれている。
「いやーみんなお疲れさま! 今回かなり危なかったけど、でもこのパーティって想像以上に凄かったんだね。アルコンも凄かったし、ネーベルも頑張ってくれたし」
 グラスの中身――この辺りで庶民に最も親しまれる酒であるエール、に良く似た謎の絞りたて果汁を飲み干すと、ぷはーっと豪快に息を吐いてからセレスは続ける。
「でも今回何と言っても一番凄かったのはやっぱリュミだよね! 幻術があんなに凄いものだなんて知らなかったよ。でも凄いのはやっぱり幻術じゃなくてリュミなのかな?」
「いやお前さ、さっきから凄い凄いって連発してるけど……」
 アルコンが呆れた表情で、テーブルの上に鎮座する凄いものを指差す。
「こっちの方がよっぽど凄いと思うぞ、俺は」
 豚の丸焼きである。
 子豚の、などという生易しいものではない。少なく見積もってもセレスの倍以上の重さはありそうな、成豚の丸焼きである。厨房からテーブルまで大の男が四人がかりで運んできた程だ。
「いや、本当は祝勝会はニワトリの丸焼きにしようと思ってたんだけどさ、一人一羽ずつ」
 それが豚に化けてしまったのには理由がある。

 ――セレスは遠い目で、管理局に任務の達成報告をした時のことを思い出す。
 討伐を終えて王都に戻り、報告のために管理局の建物に入った瞬間――事務員が血相を変えてセレスに詰め寄り、今回の任務をキャンセルするよう言ってきたのだ。
 どうやら本部側の手違いか何かで、本来なら銅以上のランク限定になるはずの依頼書の内容が書き換えられ、初心者向けの依頼としていくつかまとめて出回ってしまったという。
 王都にある他の二つの支部で、同じ日に出回った別の依頼を遂行しようとした初心者パーティが双方ともに、明らかに勝ち目のない敵と戦った末に無残な敗北を喫した――生存者の証言によりそんな状況が判明し、慌てて対処に走っている最中らしい。
 既に目標の魔獣は倒したこと、そして待ち構えていた魔獣の詳細などをセレスがありのままに報告すると、普段冷静沈着と評判の事務員が土下座せんばかりの勢いで謝罪し、予定の二十倍の報酬をその場で支払った――これが本来、このレベルの任務に対して支払われる相場らしい。

「報酬は二十倍、でもニワトリ四羽に比べて豚一頭は二十倍もしないっていうからさ。どうせなら派手に行こう! って思ってね」
「一人一羽のニワトリでも厳しいものがあるけどよ、さすがにこれはどう考えても食いきれるわけねーだろ……」
「うーん、そうだね……」
 そう言いながら、セレスは回りを見渡す。
 宿の一階部分丸ごとが食堂となっているこの店は、こうして見渡してみると結構広い。周囲のテーブルからは、何事かといった視線がセレス達一行に、より正確に言えばその中心にあるテーブルの上にある物体に注がれている。
 客の多くは同業者――さすがに勇者は含まれていないが、用心棒や傭兵など腕っぷしで食っているような連中と思われる――彼らは決して貧乏というわけではないが、肉体が資本だけに必要とされる食物摂取量も多く、つまりはいつでも腹ペコだ。
「みんなー! 好きなだけ食べちゃっていいよー!」
 セレスがそう宣言すると、店中から歓声が沸き起こった。そして瞬く間に皆が豚の鎮座するテーブルに殺到し、激しい奪い合いが始まる。その数総勢二十名ほど。どいつもこいつも厳つい大男たちである。
 その様子を見ながら、セレスはしまったという風に呟く。
「うーん、これじゃすぐになくなっちゃうかな。二頭にしておけば良かったかも」
「……お前じゃあるまいし、一頭でも全部食い切るのは大変だと思うぞこの人数じゃ」
「そう? あっ、リュミの分取ってこなきゃ。さすがにリュミが一人であの中に突撃したら潰されそうだし。よっと」
 セレスはテーブルに群がる人々の間に身を躍らせると、ある時は巧みに隙間を潜り抜け、ある時は強引に人波を掻き分け、あっという間に豚に到達すると一気にナイフを振るって豪快に肉を削り取っていく。
「いやー、セレスティア様が元気になって良かったです」
 そんな様子を見ながら、ネーベルが誰にともなく呟いたのに対し、アルコンは苦笑を浮かべて応じる。
「元気すぎるのもどうかと思うけどな」
「アルコン殿はお召し上がりにならないのですか?」
「どうせ余るだろ。最後にゆっくり頂くとするさ」
「……しかし解せないですね」
 深刻な表情で考え込むネーベルに、アルコンは訝しげな視線を向ける。
「依頼の間違いのことか?」
「それもあるのですが、私が気になっているのはむしろリュミエール殿の幻術についてです」
「幻術? 確かにありゃ幻術ってイメージじゃなかったが……」
「ほう、あなたもお気づきになられましたか」
 ネーベルは目を丸くする。
「本来、幻術すなわち幻影魔術というのはその名の通り、幻の感覚で相手を惑わせることを最も得意とする魔術です。その応用として物体を操作したり、あるいは仮想現実による破壊を引き起こすといった使い方も、なくはないのですが……」
「有り得ねー、ってわけじゃねーんだな」
「しかし本来の使い方に比べると非効率的です。実際、リュミエール殿も発動のためにかなりの準備時間を要していたようですし……あの魔術の使い方は、幻術士というよりむしろ――」
「ふったりっともー! ちゃんと食べてるー?」
 酒を飲んだわけでもないのにやたらとテンションの高い少女が、二人の間に割り込んでくる。
「ほらー早くしないと冷めちゃうよ? それにしてもみんな案外少食なんだね。体大きい人多いからもっと食べるかと思ったけど」
 見ると豚は既に半分以上食べられているが、ほとんどの男達が腹を抱えてひっくり返っている。食べられる時に食べられるだけ食べる、というのは彼らのような職業の者にとっては常識であるが、どうやら気合いが入りすぎてしまったらしい。それでもせっかく食べた物を吐き出さないように必死で頑張るあたりはさすがである。
「一つ言っておく。……他人の胃袋を自分と同じ次元で語らないほうがいいぞ」
「あー、あたしも実はそろそろいっぱいいっぱいだったり。もっと食べたい気持ちはあるんだけど物理的にちょっと」
 確かに、今にもはち切れんばかりになっている腹の様子がシャツの上からでも見て取れる。
「一休みすればもう少し入るかな? ああ、でもみんなはあたしに遠慮しないでどんどん食べちゃっていいよ」
 その言葉に、誰が遠慮するかと言わんばかりの視線が周囲の皆から集中する。


Prev<< Page.17 >>Next