翌日――
 新たな任務を受けたセレス達一行は、早速その指定された場所に赴いていた。
 管理局の職員によると、今度こそ危険の少ない初心者向けの任務であることを何度も確認したという。ギリギリとはいえ中級者向けの任務を達成してしまったセレスのパーティにとっては、いささか簡単すぎる任務かもしれない、とすら言われている。
 もちろん、だからと言って油断できるわけではない。たとえ一日前におこなった管理局の調査が正しかったとしても、今日もそのままの状況である保証などどこにもないからだ。
「で、今度の魔獣はこの辺に出るんだよね? 今度こそ本当に一匹だといいなぁ」
 断崖に囲まれた陸の孤島、その中心部にある丘の上で、セレスはつるはしを片手に呟いた。
「さすがに二度連続で手違いってことはねーだろ」
 そう呟くアルコンの手には、真新しい長剣が握られていた。無銘とはいえかなりの実戦向け高級品で、今朝買ってきた、もといセレスに買い与えられたばかりの新品である。セレスが半ば強引に武器屋にアルコンを引っ張っていき、この剣がアルコンの目に留まったのをすかさず嗅ぎつけ、その場で店主相手の激しい値段交渉が繰り広げた挙句、アルコンが気付いた時には既にこれを手に握らされていた――そんな成り行きに、結局最後までアルコンは抵抗できなかったのだ。
 ちなみに、ネーベルは今この場にはいない。断崖にかけられたつり橋を馬車が通れなかったため、今頃つり橋の向こうで馬車と一緒に待機しているはずである。昨日は戦いの真似事などさせてしまったが、本来の彼の仕事はあくまで馬車の番と助言と雑用なのだ。
「どう? その剣使えそう?」
「使えるも何も……こんなもん、普通は俺みてーな三流が持っていいような代物じゃねーぞ? 一体いくらしたんだ」
「えっと、ワイバーン金貨で百枚……」
 予想していたとはいえ、とんでもない金額にアルコンの意識が遠くなる。
「のところを値切りに値切った挙句半額で」
「すごっ、あの店で半額まで値切るなんてありえねー……じゃねーよ! どっちにしても高すぎだろ! そりゃこの剣の値段としてはとんでもない安さだけど――」
「商売道具はやっぱりいいのを使わないとね。石とか掘るときも今のつるはし使うようになってからとんでもなく効率上がったし。せんこーとーし、ってやつ?」
 とはいえ、新米勇者が三流剣士に買って与える品物としてはあまりにも高価すぎる。
 なおもアルコンが抗弁しようとしたその時、どこからともなく唸り声のようなものが――

「あっち!」
 聞こえてきた瞬間に、セレスがその場所を正確に指し示した。その声に応えて、アルコンとリュミもそちらに向き直る。
「虎……みてーだな。見たとこステージUって感じか?」
「情報通りだね。他に魔獣の影は見当たらないし」
 今回、見晴らしの良い丘の上を待ち受け地点に選んだのは、昨日のように知らない間に囲まれていた、などという事態を防ぐためであったが、結局のところその心配は要らなかったようだ。
「とりあえず予定通りの作戦で行くよ」
「わかった」
 セレスが正面で待ち構え、その少し右からアルコンが先行する。魔獣がどちらを狙ってきても、すかさず二対一の戦いに持ち込めるような陣形である。セレスの背後にはリュミが控えており、いざという時には魔術を使ってもらうことになっているが、今回はおそらくその必要はないだろう。
 人間の匂いに気付いた虎の魔獣は、一直線に丘を駆け上がってきた。白銀の毛並みを持つ巨大な虎である。大きさだけなら昨日の熊の魔獣をも上回るかもしれない。
「ステージUにしては、なんか普通の動物っぽく見えなくもないよね」
「まあな……体があと二回りくらい小さくて、毛皮が変な光を放ったりしてなけりゃの話だが」
 もちろん二人とも見た目で油断したりはしない。そもそも虎というのは、仮に魔獣化していなかったとしても人間が立ち向かうにはかなり手強い相手である。
 雄叫びとともに一瞬にして距離を詰めてきた虎に向かって、アルコンが作戦通りに飛び出し、斜め方向から攻撃を仕掛ける。
 どうやら虎はセレスか、もしくはその背後にいるリュミを狙っていたようで、突然飛び出してきたアルコンに対する反応がわずかに遅れる。
 そんな隙を見逃すアルコンではない。新たな剣の切れ味を試すかのごとく、容赦のない一撃、そして勢い余ってもう一撃をお見舞いする。
 首を跳ね飛ばされた挙句、さらに胴体を真っ二つにされた虎の体が、三つに分かれて斜面を転がっていく。

「すっごーい!」
 セレスは思わず感嘆の声を上げる。
「……いや、やばすぎだろこの切れ味」
 魔獣の骨を両断しながら、刃こぼれ一つ起こしていない剣を凝視しながら、アルコンは呆れたような口調で呟いた。
「一体何なんだよこの剣は……確かに店で見て、前の剣に形が似てたから気にはなってたけど、正直これは予想外っつーか……」
 実際のところ、この剣を強く推し、強引に購入まで持って行ったのはセレスである。そんなアルコンの視線に気付いたのか、セレスは真相を告げた。
「この刃の部分の色に見覚えがあって、それで店の主人にも確かめたんだけど、やっぱりデルニエ産の鉄鉱石を原料にした鋼を使ってるんだってさ」
「……そういや聞いたことがあるな。デルニエ産の鉄製品は値段の割に異常に質がいいとか何とか。てっきり都市伝説だと思ってたが」
「製品自体は村じゃなくて麓の街で作ってるんだけどね。へーっ、こっちでも評判になってたんだ」
 セレスは感心したような表情を浮かべる。
「しかし逆に考えれば当然だよな……普通はデルニエなんて名前がついてたら避けるもんだし、そうなりゃ質の割に値段が落ちるってのは。いや、しかしさすがにこれは……」
「このつるはしも同じ鋼でできてるからね。頑丈さだけなら折り紙つきだよ。掘った本人に似たのかな」
 何気なくセレスが告げたその一言に、アルコンの表情が目に見えて引きつる。
「……ちょっと待て、するとあれか、デルニエの鉄鉱石は実は女の子が一人で掘っている、っていうあの都市伝説は……」
「あたしが小さい頃には他にも掘ってる人いたんだけどね。今は、あたしが村を出ちゃったからたぶん誰も掘ってないんじゃないかな」
 そう言いながら、セレスは深くため息をつく。
「それにしてもアルコンの話聞いてると、あたしの村って世間にあんまりいいイメージで見られてないみたいだね。ちょっとショックだなぁ」
「イメージも何も……そもそもデルニエの村っつったら」

 そうアルコンが言いかけた瞬間だった。
 別に二人が周囲に注意を払っていなかったわけではない。何しろ昨日の今日である。なんだかんだ話しながらも、絶えず周囲の気配を窺ってはいたつもりだった。
 だがそれは唐突に、何の脈絡もなく、何もないところから現れたとしか思えなかった。
「……猿?」
「……十匹やそこらじゃねーな。猿みたいだが、しかし様子がおかしいぞ」
 猿の魔獣、というなら話は簡単だっただろう。しかしそれにしては、姿形があまりにも普通の猿に似すぎていた。おそらく体重はセレスの倍近くあるだろうから、相当大型の種類ということになるが。
 しかし、だからと言って普通の猿では有り得ない。毛も肌も何もかもが真っ白な猿など聞いたこともないし、そもそも普通の猿は何もない空間から突然現れたりはしない。
 そのうちの一匹が、突然セレスの背後に立つリュミに向かって襲い掛かってきた。
「危ないっ!」
 反射的にセレスがつるはしを振るう。その先端は見事に猿の体を捉え、明らかに致命的とわかる一撃を与えていた。
 確実に手ごたえがあった――そう感じたのもつかの間、その手ごたえは一瞬にして希薄となり、同時に猿の姿そのものが希薄となり、そのまま跡形もなく消え失せる。
「これって幻? でも手ごたえが――」
「手ごたえがあったってことは、逆に言えばやられりゃ傷つくってことだ」
 つまり、幻と決め付けて無視するわけにはいかない、ということである。さらに襲い掛かってきた一匹に対して、セレスは柄の尻による一撃を加えるが、相手は跳ね飛ばされたものの今度は消えることはなかった。
「衝撃を与えるだけで消える、ってことはないみたい」
「つまり本物の猿と同じに見ていいってことか。だったら」
「片っ端からやっつける!」
 セレスとアルコンは同時に頷くと、背中合わせにリュミを挟むような形で構える。それに応じて猿達が一斉に襲い掛かってきた。
 一匹、もう一匹と撃退しながら、セレスは背後のアルコンに告げる。
「魔獣にしては弱すぎる……」
「普通の動物に毛が生えた程度って感じだな。だが問題は数だ」
 ぱっと見渡した限りでは、視界に入るだけでも百匹近くいるのではないかと思われた。全部倒すことは不可能ではないだろうが、体力が続くかどうか微妙なところではある。
「それに魔獣とか普通の動物とかと違って、本能で動いてるって感じがしない――」
「それは俺も気になってた。動きが単調っつーか、ただ俺達に襲い掛かることだけしか考えてねーっつーか」
 そう言いながらも、襲ってくる猿を二人は片っ端から倒し続けている。
「しかし一体何匹いやがるんだ、これじゃ本当にキリがねぇ。セレス、お前の爆弾で吹っ飛ばせないか?」
「これだけ散らばってると難しいかも。一発でせいぜい一匹か二匹しか巻き込めないし、それに魔獣と違って爆発で驚いてくれるとは思えないからあんまり意味なさそう。リュミ、何かいい方法は――」
 そうセレスが言いかけた瞬間だった。
 いつの間にか地面に置かれていた熊のぬいぐるみが、大きく息を吸うような仕草をしたのを、セレスは視界の隅で捉えていた。
 くまさんフレ――おそらくリュミの口から発せられたと思われるその声が最後まで聞こえる前に、突如として辺り一面が紅蓮の炎に包まれる。熊のぬいぐるみが、まるでブレスのような火炎を口から吹きつけ、猿だろうと草木だろうとお構い無しに焼き払う。
 放射熱の凄さに顔をそむけながら、セレスは周囲の様子を窺う。
 焼け野原となった一帯からは、猿の姿は残らず消え失せていた。丘の斜面にぽつんと立っていた大木だけが、いまだに煙を上げながら燃え続けている。
「よし、これで一気に半分! 残りは――」
 そう告げながらセレスが逆方向に振り向くと――先程と比べて、心なしか猿の数が増えているようだった。
「なんでっ? さっきからあんなに倒してるのに――」
「ちっ、こっちにも沸いてきやがった」
 アルコンが舌打ちした方向に振り向くと、なんとリュミが焼き払ったばかりの場所に、ぽつりぽつりと猿の姿が現れ始めている。
「……これじゃキリがないね」
「ああ。どうする?」
 アルコンが訊ねてくる。もちろん撤退するかどうかを訊いているのではない。既に撤退することは前提で、そのためにとるべき手段を問うているのだ。
「つり橋まで一気に駆け抜ける。アルコンが先頭で退路を切り開いて。リュミはその後ろを追いかけて。あたしは最後に行く」
「大丈夫か?」
 どう考えても一番危険な役回りを引き受けたセレスに対し、アルコンは確認の意味で問う。
「いざとなれば新型があるから。攻撃の役には立たなくても、逃げるのに便利なやつがね」
「わかった」
 アルコンは頷くと、逃げるべき道筋を一瞬で確認した。何の小細工もなく一直線につり橋に向かう――それ以外に取るべき選択肢は存在しない。
「行くぞ!」
 掛け声とともに、アルコンは駆け出す。そして行く手に待ち受ける猿に向かって剣を振り下ろし、一撃で二匹を同時に片付ける。
「リュミ、走って!」
 セレスの合図を受けて、リュミがアルコンを追って走り出す。ぱたぱたとした足取りは、どう見ても走り慣れていない者のそれだったが、先頭のアルコンが猿を倒しながら進んでいることを考えると、ある意味この程度の速さでちょうどいいのかもしれない。
 そんなリュミの背後から襲い掛かろうとする猿に、セレスは容赦なくつるはしの一撃を叩き込む。だがその時、セレスの前を走っていたリュミが、突然足をもつれさせるようにして地面に倒れ込んだ。
「ちょっ――どうしたのリュミ!」
 慌てて駆け寄り助け起こすと、リュミはその表情こそほとんど変えていなかったが、その呼吸は明らかに苦しげで、酸欠症状をきたしているのは明らかだった。リュミの胸は空気を渇望するかのごとく激しく上下するが、しかし実際の呼吸は浅く、効率的に空気を取り入れられていないのは一目瞭然である。
 その様子を見てセレスは後悔する。思わず自分の体力を基準に考えてしまったが、あの丘からつり橋までの距離は実はそれなりに長い。アルコンのような職業戦士ならともかく、普段鍛えていない者が全速力で駆け抜けるには相当辛い距離だということを、すっかり失念していたのだ。ましてやリュミの体が人一倍貧弱であろうことくらいは一目見るだけで分かる。
 それでもリュミはセレスの最初の指示を守るべく、なんとか自力で立ち上がってアルコンを追おうとするが、その細い足にはまったく力が入らず、再び地面に倒れ込む。そうしている間にも、背後からは何匹もの猿たちが距離を縮めてくる。
「ああもう、こうなったら!」
 セレスは半ばヤケになったように叫ぶと、つるはしを大きく振りかぶり、そして先行するアルコンに向かって思い切り投げつけた。
 その重量からは考えられないような距離を飛んだ末に、つるはしはアルコンの横を通り過ぎ、目の前にいた一匹の猿の頭に突き刺さり、そのまま消滅させる。そして、青ざめた顔を引きつらせるアルコンの足元に、音を立てて転がった。
 だがアルコンが文句を言うより早く、セレスの指示が矢のように飛んだ。
「それ持ってって! あとはもう進路とかどうでもいいからとにかく全速力でつり橋超えて!」
 その指示にアルコンは一瞬戸惑ったが、ここで悩んでいても仕方ないと判断したのだろう、言われた通りにつるはしを拾うと、それを持って全速力でつり橋に向かって駆け出した。
 しかしセレスにはその様子を見届ける暇はなかった。空いた両手で、再び立ち上がろうとしてるリュミの体をしっかりと捕まえて抱き寄せ――俗に言う『お姫様だっこ』の形で持ち上げたリュミの体を、セレスはしっかりと引き寄せる。
 見た目からそれなりに軽いだろうと予想はしていたが、実際に抱き上げてみるとその軽さは予想以上だった。どうやら骨格からして細いらしく、さらに肉付きもあまり良くないようだが、その割には不思議なほどに感触が柔らかい。筋肉が少ないためか全体的にふにゃふにゃしていて、腕の中で姿勢を維持させるのに苦労する。
 自分とは正反対だな、などと感慨にふけりつつ、セレスはそのままの姿勢でつり橋に向かって全速力で駆け出す。人一人抱えているとは信じられないほどの速度で、後ろから追いすがる猿たちを突き放し、前方に立ちふさがる猿の攻撃をかいくぐりながら、ただひたすらに走り続ける。


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