近くで見てみると、その女性は見るからに魔術師といった格好をしていた。しかしローブ姿ではなく、かなり露出の高い儀式装束の上に、申し訳程度にマントを羽織っているといった扮装である。
年齢はおそらく二十代後半、あれほどの術を行使した技術から考えると異様なまでに若い部類に入るが、セレスティア率いるパーティに囲まれてしまうとむしろ年増にすら見えてしまうかもしれない。これだけ露出した服を着ているだけあってスタイルは抜群で、小麦色の肌は性欲よりむしろ食欲に訴えかける魅力を持っている。ウェーブのかかった黒髪も相まって、衣装の雰囲気をもう少し明るくすればショーダンサーにしか見えないだろう。
「さて、あなたに二つお訊ねします」
ひっ、と女性は小さく声を上げる。完全に怯えきった視線を、自分よりはるかに小さな少女に向けながら、手足の震えを隠そうとすらしない。
「一つ目の質問です。あなたは誰ですか?」
ようやく追いついてきたネーベルが、その女性の姿を見て驚きのあまり目を見開く。
「この方は――!」
「なんだネーベル、この女知ってるのか?」
ほぼ同時に追いついてきたアルコンが訊ねると、ネーベルは緊張の面持ちで頷いた。
「人違いでなければ良いのですが、いえ、むしろ人違いであれば良いのですが……この方はミヌレ殿。あのレオパルド・グロリア殿の率いるパーティに所属する上級幻術士――魔生物の召喚を得意技とする、俗に『召喚士』と呼ばれる流派の使い手と聞き及んでおります」
「――間違いありませんか?」
ネーベルの言葉を受け、リュミが女性に向かって確認する。女性は震えのあまり歯をかちかちと鳴らしているが、なんとか頷こうとしている様子が見て取れた。
「レオパルドのパーティだって!?」
アルコンが思わず声を上げる。
「知ってるの?」
セレスの問いにアルコンは頷く。
「知ってるも何も、王国じゃよっぽどの田舎者でもない限り、知らない奴なんてほとんどいないだろう。魔獣だけじゃなく魔王の配下の魔族をも大勢討ち取って、今は王国で唯一、黒の紋章を持つっていう最強の勇者だ」
「その功績は、現役としては当然並ぶ者はなく、それどころか四百年近い勇者史においても一、二を争うものだと言われています。彼に対抗しうる勇者が存在するとしたら、あの伝説の勇者――ティエラ・レジェンダ殿くらいのものでしょう。もっともティエラ殿はだいぶ前に亡くなられていますが」
ネーベルの補足に、セレスは腑に落ちない表情を見せる。
「でも、そんな凄い人の仲間が、どうしてこんなことを?」
「二つ目の質問です」
リュミの全く温度を感じさせない声に、その場の空間が一瞬にして凍りつく。
「あなたは、何の目的で私たちを襲ったのですか?」
「ひっ! そ、それは……」
そう言ったきり、ミヌレと呼ばれた女性幻術士は黙ってうつむいてしまう。どうやら、目の前のリュミを恐れると同時に、何か別のものに恐れを抱いているらしい。
そんな様子を見て取ったのか、リュミは右手を軽く動かし、空中に小さな魔法陣を描いた。それが完成すると同時に、ミヌレは悲鳴に近い叫びを上げた。
「きゃっ! お、お願い、やめ――」
ミヌレの叫びも空しく、彼女を中心とした地面に光る魔法陣が現れ、同時に彼女の肌が妙な色に淡く光り始め、そして徐々に所々が黒ずんでいく。
それが、腐っているのだと最初に気付いたのはセレスだった。軟化した皮膚からは変な泡が生じ、内側の肉に向かってゆっくりと浸透していく。
「ちょっと、リュミ!」
「二つ目の質問です。何の目的で私たちを襲ったのですか?」
セレスの声を無視して、リュミは全く同じ質問を繰り返す。
「知らない、私知らない! アギラがそうしろって! 襲って、男の子を連れて来いって! 他のやつはどうなってもいいって、でも私は殺すつもりは――」
「アギラというのはあなたのパーティの仲間ですか?」
「そう、アギラ・エスパーダって名前の剣士! レオパルド様の右腕! お願い、この魔術を止めてえぇぇぇぇ」
腕ばかりでなく、首筋や顔にまで腐食が広がったミヌレは、まさに悲痛としか言いようのない叫びとともに懇願する。
その願いが通じたのかどうかはわからないが、彼女を囲んでいた魔法陣が解除され、皮膚を侵していた腐食の進行が止まる。虚脱状態となったミヌレはそのまま失神し、地面にくたくたと崩れ落ちる。
「質問は終わりです。それでは、ごきげんよう」
リュミの声が機械的に響き渡る。
そして右手が動き、新たな魔法陣を――
宙に描こうとしたところで、動きが止まった。
「――邪魔をしないで下さい」
表情を微塵も動かさずに、首だけをそちらに向けてリュミは告げる。
その視線の先では、セレスがリュミの右腕を強く掴んでいた。強く掴めば折れてしまいそうな腕を、折れる一歩手前のギリギリの強さで。
「リュミ、あなた――何しようとしてるの?」
感情を押し殺したような、しかし誰が聞いても押し殺された感情の激しさがわかるような声で、セレスはリュミに訊ねる。
そんな問いに、やはり全く感情を動かす様子を見せることなく、淡々とリュミは答える。
「この魔術師を消滅させます」
消滅、という表現は大げさでも何でもなく、実際に跡形もなく消してしまうという意味なのだろう。
「何考えてるの! 消滅って、要するに殺しちゃうってことでしょ!」
「彼女は我々の命を狙いました。ここで消滅させなければ、後日再び同じ行動に出る可能性が低くないと判断しました」
何の感情も交えずに事実を語るリュミの様子に、セレスは戸惑いの表情を隠せない。
「どうしちゃったのリュミ? 今のリュミなんか変だよ、っていうより本当にリュミなの?」
「それは難しい質問ですね」
その返答は、セレスが全く予想していないものだった。
「えっ?」
「リュミエールというのがこの肉体を指す固有名詞であるならば、ここにいる『私』は確かにリュミエールです。ですが、リュミエールというのがあなたの知っているリュミエールの人格を指す固有名詞であるならば、『私』をリュミエールと呼ぶのは不適当と思われます」
「一体どういうことなの? リュミだけどリュミじゃないって――」
かなり大幅に省略されていたが、それでもリュミには通じたようだ。
「私の存在意義は、リュミエールを守ること。ただそれだけです」
リュミエールの顔でそれを言われても、いまいちピンと来ない。
そんな様子を察したのか、彼女はさらに続けてくる。
「私は、とあるきっかけで生み出された、いわばリュミエールの別人格のようなものです」
「まさか――多重人格ってやつか?」
驚きの声を上げるアルコンに、リュミの姿をした別人格は首を横に振る。
「多重というほど多いわけではありません。あくまで本体たるリュミエールと、裏の人格である私、この二つのみが確認されています」
「えっと、つまりあなたがリュミであってリュミでないなら――何て呼べばいい? その、あなたのこと」
「……私の名前、ですか?」
この人格が現れてから初めて、質問に対する回答に遅れが生じた。
「そんなものを訊ねられたのは初めてです。ですが、以前から考えていた名はあります」
そう前置きしてから、彼女は告げる。
「オプスキュリテ――リュミエールと対をなすこの言葉こそ、私の名前にふさわしいと考えます」
「うーん、呼びにくいなぁ……オプス、オプたん、キュリテ、プーちゃん……」
「ええと、オプスキュリテ殿? あなたがこうして現れたのは、リュミエール殿の身に危機が迫ったから、ということですか?」
考え込むセレスの代わりに、ネーベルが訊ねる。
「普通はそのような場合にのみ現れます。無闇に私が表に出ると、彼女の精神に大きな負荷がかかりますから。ですが今回に限って言えば、どちらかといえばセレスティアの身に危機が迫ったからという表現が近いようです。これは極めて異例の事態です」
「なるほど……リュミエール殿にとってセレスティア様の身の危険は、リュミエール殿自身の身の危険に匹敵する重大事ということなのですね」
「その通りです。しかし理由までは私には理解できません。おそらく何かしらの感情がなせる業なのでしょう。ですがそんなことより、我々にとっては先に解決すべき大きな問題が存在します」
オプスキュリテの言葉に、三人の表情が引き締まる。
彼女が何を指して言っているのかは明白である。ここで気を失って倒れているミヌレという魔術師は、アギラという仲間の命令でこのような行動に及んだと言っている。ミヌレが失敗したとあれば、別の仲間を送り込んでくる可能性は十分にある。
「アギラって何者なの? 誰か知ってる?」
「アギラ・エスパーダ殿は……ミヌレ殿のおっしゃった通り、レオパルド・グロリア殿の右腕です。そしておそらく、現在生きている人間の中では最強の剣士であると思われます」
「最強? それってリーダーのレオパルドさんより強いってこと?」
セレスの問いに対して頷きながら、なおも浮かない表情でネーベルは続ける。
「若い頃ならいい勝負になったでしょうが、さすがにもう六十近いお歳ですから……。ちなみにアギラ・エスパーダ殿は、剣の名門中の名門と言われ、代々王室剣術指南役や北征将軍など国家の重鎮を数多く輩出しているエスパーダ家の次期当主でもあります」
「エスパーダ家……って――!」
その名前に、セレスはようやく気付いた。そもそもエスパーダといえば――