「助けてくれてありがとうございます。今度こそ本当に死ぬかと思いました」
 安堵いっぱいの表情を浮かべながら、セレスは白髪の男に礼を述べた。
「礼を言われるような筋合いはない。むしろ謝るべきはこちらだ。部下の不始末で迷惑をかけた」
 そう告げる白髪の男の胸には、セレスのものと同じ形の紋章が輝いている。だがその輝きの色は黒。名実ともに真の英雄と呼べる者にのみ許される特別な色だ。
「えっと、あなたがあのレオパルドさんですか? あたしは――」
「確か、セレスティア、とか言ったか」
 名前を知られていたことに、セレスは驚きの表情を浮かべる。
「どうしてあたしのこと知ってるんですか?」
「十七年ぶりに女性の勇者が誕生したという話は、その筋の間ではそれなりに有名だからな」
「そ、そうなんですか……」
 困ったように呟くセレスに向かって、レオパルドはさらに告げる。
「正直言って、歴代の女性勇者というものはただ一人の例外を除いて、どいつもこいつも使い物にならない、単なる王国のプロパガンダ要員だったというのが実情でな。ゆえにどうでも良い話だと思って忘れていたが」
 はっきりと言い切られ、ショックを感じなかったといえば嘘になる。だが、そんなことを言われたくらいで落ち込んでいてはこの先身がもたないだろう。そう思って、セレスはなんとか意思を奮い立たせる。
「今までの人がどうだったかなんて関係ないです。確かに今回は散々な目に遭ったけど……って前回もですけど。でもあたしは――」
「……やはりな」
 何を納得したのか、レオパルドはあごひげをさすりながら重々しく頷く。
「どことなく似ていると思ったが、そなたなら将来的には一人前の――いや失礼した、これではまるで今が一人前ではないようだ。そう、一流の勇者として名を馳せるかもしれぬな」
 最強と謳われた勇者による思わぬ賛辞に、セレスは目を丸くすると同時に顔を真っ赤にする。
「そ、そんなおだてないで下さい。つい調子に乗っちゃいますから」
「というより、むしろ一流になってもらわねば困る。わしが現役として動けるのもそう長くはない……そうなれば、魔王の手先に対抗するための新たな戦力が必要となる」
「魔王の……手先?」
 魔王という存在については、セレスもおぼろげながら把握している。どうやら魔族たちの頂点に立ち、世界の転覆を狙う悪の親玉として扱われているらしいが、噂ばかりが先行するあまり、正確な実態については一般にはほとんど知られていないという。
「そなたはまだ緑だったか。それではまだ実感が湧かんだろうが……青、赤、銅、この辺までは単に依頼の難易度が上がっていくだけであるから問題はない。しかし銀に達すると依頼の内容が一変する」
 問題はないと言い切られてしまったが、昨日銅ランク向けの依頼で死にかけたばかりのセレスにとってはすんなり納得できる話ではなかった。それと比べてさらに一変するとは一体何事か。
「主な依頼の内容が、魔獣退治から魔族討伐へと移る。それはすなわち、魔王軍との戦争に加わるということを意味する。任務外でも常に命を狙われかねない、死と隣り合わせの日々が始まるのだ」
 レオパルドは淡々と語る。だがそれゆえに、その一言一言の重圧が余すことなくセレスにのしかかる。
「まあ、そなたらがそのような世界に足を踏み入れるのは当分先だろうから、それほど案ずることはない。もっとも、そなたがティエラに匹敵する化け物であれば話は別だが――」
「ティエラって、あたしの前に任命されたっていう女の勇者の人ですか?」
 レオパルドは頷く。
「彼女が築き上げた功績は、わしが今までの三十年で築き上げた功績と比べて、量でこそ劣るが質では比べ物にならない――何しろ魔王軍の元帥を一人、その手で倒しているのだからな。それも叙任からたった一年でだ。噂では魔王と直接刃を交えた上で敗れ命を落としたと言われているが――」
「そんなに凄い人だったんだ……」
「あれは本人も化け物だったが、何より強力で信頼できる仲間に恵まれてな。中でもバレーヌの奴などは、ふん、人間的には絵に描いたような駄目人間そのものであったが、その実力と主に対する献身ぶりに関してはわしも認めざるを得ないところだ」
 その時、ふとセレスの右に立っていたフードの老人が口を開いた。
「レオパルド殿、あまりここに長居するのはよろしくないかと」
 老人の言葉にレオパルドははっとした表情になり、太陽の高さを確かめてから小さく唸る。
「むう……そうだな、急がねば目的地に着く前に日が暮れてしまう。それではセレスティアよ、そなたの武運を祈っているぞ」
「ありがとうございます。レオパルドさんもお元気で」
 頭を下げるセレスに会釈を返すと、いつの間にか助け起こされていたミヌレを含む三人の仲間を連れて、レオパルドは足早にこの場を去っていった。
 その後姿を見送りながら、セレスはぽつりと呟く。
「……あれっ? 今レオパルドさん、バレーヌって言ってたような……」
 普段、名前で呼ぶことなどないのでつい聞き流してしまったが、その名前自体には聞き覚えがありすぎるほどにあった。
「まさか、偶然だよね。よりによって――」
「うーん……一体何が起こったのですか? 先程の男は?」
 声のした方を振り返ると、アギラに気絶させられていたネーベルがようやく目を覚まし、ふらつく足取りでなんとか立ち上がろうとしているところだった。
「ネーベル、大丈夫? そうだっ! リュミもあいつに思いっきり吹っ飛ばされて――!」
 そう叫びながらリュミが飛ばされた方向に視線を向けると、いつの間に目覚めていたのか、そこには相変わらず無表情のリュミが何をするでもなく立ち尽くしていた。
 セレスはその表情を見た瞬間、彼女がオプスキュリテではなく元のリュミエールに戻っていることを直感した。確かに人間らしい表情とはお世辞にも呼べないものの、もはや生物と呼ぶことすらためらわれるオプスキュリテの表情と比べれば雲泥の差である。よく見ると、真紅に染まっていた瞳も、元の焦点の定まらない緑色の瞳に戻っている。
「リュミ大丈夫? 怪我とかしてない? って、頭コブになってるじゃない! ネーベル、何か冷やすものとか持ってない?」
 そんな騒ぎの中――ただ一人アルコンだけが、魂の抜けたような表情のまま、いつまでも地面に座り込んでいた。

 *

 その日の夜は、とても祝勝会などといったムードではなかった。
 任務自体は大成功であり、負傷者といってもせいぜいリュミが頭にコブを作ったくらいでどうということはない。にも関わらず四人の間には重苦しい空気が流れており、支部で新たな依頼を探すこともなく、報酬だけもらってそのまま宿屋に戻ったのだった。
 そんな空気の原因を作ったうちの一人であるリュミは、例によってセレスと同じ部屋で、ただ黙ってベッドに腰掛けている。
 口を開かないという点ではいつもと違うところはないのだが、明らかに心ここにあらずといった様子に、普段なら遠慮なく声をかけるセレスもやや戸惑い気味だった。
「えっと……そ、そうだ。さっき宿の主人に聞いたんだけど、ここからそう遠くないところに公衆浴場があるんだって。お金はかかるけどそんなに高くはないみたいだし、ちょっと行ってみない?」
 しかし、リュミはやはり完全に無反応だ。表面上はいつもと同じように見えるが、しかし普段ならイエスかノーかくらいはわかるものである。
「あっ、そういえば頭にコブできてたんだよね。それならやめといた方が無難かな……って、もしかして頭打ったせいでぼんやりしてるんじゃ……どうしよう、お医者さんとか呼んだほうがいいのかな」
 はっと気付いて慌てるセレスに向かって、リュミは静かに答える。
「頭の方なら問題ありません。腫れも痛みも既に引いていますし、元々大した傷でもありません。寸前で気付いて完全な直撃は免れましたから。そもそも直撃していれば命はありませんでした」
 突然そう返されて、セレスは思わずひっくり返りそうになる。よく見ると、いつの間にかリュミの瞳が紅くなっていた。
「び、びっくりした! オプティなの?」
「……それは私のことですか?」
 知らないうちに妙な呼び名をつけられていたことに戸惑いを感じたのかどうかは、少なくとも表情を見ている限りでは全くわからない。だが、少なくとも今の彼女がリュミエールではなくオプスキュリテに入れ替わっていることは確実なようだ。
「うん。なんかそう呼びたくなって。嫌ならやめるけど……」
「それを拒むべき合理的な理由はありません。嫌、いう感情については元々私は持ち合わせていません。そういったものは全てリュミエールに任せています。そして、例えそれが何であれ、あなたがつけた呼び名をリュミエールが嫌がる可能性はほとんどゼロに等しいと推測されます」
 何やら難しい言い回しではあるが、とりあえず嫌がられてはいないようだとセレスは安堵する。
「でもどうしたの、突然出てきたりして。もしかしてオプティもお風呂に――」
「それはむしろリュミエールの方が喜ぶと思いますから是非連れて行ってあげて下さい。私が出てきたのには別の理由があります」
「別の理由?」
 わざわざ二人きりの時に出てきたことを考えると、よほど重大な用事か、さもなくば何か他人に知られたくないことがあるのかもしれない。そう考えてセレスは身構える。
「リュミエールの過去、そして私という人格の存在、そういったものをあなたに知っておいて頂くべきだと判断しました」
「それは……あたしが聞いちゃってもいいものなの?」
 なんとなく聞かれたくなさそうだったので、セレスは今まで一度もリュミに過去のことは訊ねていなかったのだ。
「あなたやリュミエールは迷惑と思うかもしれませんが、今後のことを考えるとやはり今のうちに伝えるべきです。先程からリュミエールの精神が不安定になっているのは、私が現れたことによりあなたがリュミエールの過去を知り、そして嫌われてしまうのではないかという恐れによるものです」
「だったら尚更まずいんじゃ……?」
「私が話さなければ、あなたはいずれ不完全な形でリュミに関する情報を得て、場合によっては本当に嫌悪感を抱いてしまうかもしれません。そちらの方がよほど危険です」
「あたしはリュミのことが大好きだけど」
 そう断った上でセレスは告げる。
「でも、リュミがそれほど隠したがってる過去を知って、それでも大好きなままでいられるって断言はできない。それでもいいの?」
「だからこそ、今のうちに話しておくべきだと判断しました――正直な方が相手だと話が早くて助かります。さて、どこから話すべきですか――」
 オプスキュリテは迷うときですら表情を変えない。脳内で何らかの計算が行われるための時間が過ぎた後、何の前置きもなくその口が動き始める。
「七年前までのリュミエールは、ごく普通の女の子でした」
「えっ、七年前って……」
 彼女の見た目は十歳くらい――それが正しければ七年前は三歳くらいということになる。そんな歳で普通も何もあるのだろうか。そんなセレスの疑問に気付いたのか、オプスキュリテは説明を加える。
「十歳の頃の話です。外見は今とほとんど変わりありません。性格は今で言うリュミエールに三を掛けて、さらに私を足したような感じです。当時から表情には乏しかったですが情緒そのものにはこれといった異常はなかったはずです」
 その時点で既にセレスにとっては十分に衝撃的である。どう見ても小さな子供にしか見えないリュミが、まさか自分より年上だという時点で想像をはるかに超えていた。
「父親は地元では有名な豪商で、リュミエールは箱入り娘として育ちました。それゆえ友人は少なく、趣味は父親の蔵書である魔導書を読み漁ることでした。幸か不幸か素質には恵まれていたらしく、十歳になる頃には言霊・幻術・秘術の三系統において、おそらく賢者の称号を得られる程度の技能を身につけるに至りました」
「……えっと、それって普通なの?」
 どちらかといえば世間知らずであるはずのセレスにも、それが一般的な意味で言う『ごく普通の女の子』像とかなりかけ離れていることくらいは理解できた。
 魔術の道を志す者は数多いが、わずかなりとも魔術を行使できるようになる前に九割が脱落し、曲がりなりにも実用に耐えるレベルで身につけることができるまでにさらに九割が諦める――この段階ではまだ魔術師を名乗れず、修練生と呼ばれる身分である。そして魔術だけで飯が食えるまでになるのはその中の一割――ここまで来て初めて魔術師と名乗れるようになるのだ。
 そんな魔術師の中でも特に才に恵まれた一握りの者が、何十年と研鑽を積んで道を究め、絶大なる英知と力を手に入れることによって『賢者』の称号を名乗れるようになるのだ。いわば全ての魔術師たちの目指す到達点の一つである。
 そんな境地に、しかも根本から原理の異なる三系統の魔術において達するというのは――それこそセレスの想像とは比べ物にならないほど『ごく普通の女の子』から遠くかけ離れた存在だったと言えるだろう。
 しかしそういった認識に乏しいオプスキュリテは、ただ淡々と説明を続ける。
「幼い頃は両親にも愛され、非常に暖かい家庭に恵まれていたと言えます。ですが、父親のリュミエールに対する溺愛は次第にエスカレートする一方、母親は徐々にリュミエールに対して憎しみを抱くようになりました。この熊のぬいぐるみは、そんな兆候が見え始めた頃に、誕生日のプレゼントとして母親からもらった最後のプレゼントでした」
 それであれほど大事にしていたのか、とセレスは納得する。
「十歳になる頃には、もはや父親と母親の間にろくな会話はなく、リュミエールも母親によって父親から遠ざけられ、孤独な日々を過ごしていました。そんな時に一つの事件が起きました」
 相変わらず淡々と語られるので、口調からはその時のリュミエールの感情は見えてこない。そもそも母親の顔を見たこともないセレスにとっては具体的に想像しにくいことでもある。
「ある日の夜、リュミエールが自室で一人でいつものように魔導書を読んでいると、一人の賊が窓を破って押し入ってきました。顔を完全にフードで覆い、肌までもが黒く塗り隠されており、確かに身元は隠せるだろうが外を歩けば間違いなく怪しまれそうな格好でした」
 金持ちの家に押し入る賊というのは、古今東西どこを見ても珍しいものではない。やはり金目のものを狙って来たのだろうかとセレスは想像する。
 そんな心を読んだかのように、オプスキュリテは続ける。
「賊は金目のものになど目もくれず、まっすぐにリュミエールに襲い掛かりました。手が伸びた瞬間、リュミエールは大声で叫んで助けを求めました――その時点では、きっと身代金目的の誘拐だろうと思っていました。しかし賊はリュミエールを連れ去ろうとはせず、その場で行為に及んだのです」
「その場で……行為?」
 行為に及ぶも何も、とセレスは考える。仮にも賊が大の男であれば、リュミエール一人を黙らせるのに何の手間が要るというのか。
「詳しく説明することは、リュミエールの精神に大きな負荷をかけるので省きますが、いくら助けを求めて叫んでも、誰一人として助けには来てくれませんでした」
「何で? お金持ちのお屋敷なら、お父さんやお母さんの他にもお手伝いさんみたいな人とか――」
 そこまで言った瞬間、セレスは悟った。リュミエールの叫びを聞きつけた住人が駆けつけることを、なぜ賊はまるで気にせずに済んだのか――もしも賊が、その日に限って他の住人が誰もいないことを知っていたとしたら? もしくは、そうなるように事を運べる立場の人間だったとしたら?
 それに思い当たった瞬間、背筋が凍りついた。賊がわざわざ厳重に身元を隠した理由、金目のものには目もくれずにリュミエールだけを襲い、その場で『行為』に及んだ理由――全て辻褄が合う。
「これがただの賊であれば、そんな悠長なことをしている間に魔術で捕獲し、役人に突き出せばそれで終わったでしょう。しかしあなたが気付いたようなことに、当然リュミエールも気付いてしまいました。リュミエールは叫ぶことすらできなくなり、全く無抵抗のままそれを受け入れようとしていました」
 セレスは吐き気を感じ、その場にうずくまる。しかしオプスキュリテはそんなセレスを気遣うことも、自らの話す言葉の内容に重圧を感じることもなく、ただただ淡々と語り続けた。
「私が生まれたのはこの時です。これ以上理性的な思考を続ければ自我が崩壊し、取り返しのつかないことになる、そう判断した私は、理性と感情とを完全に切り離しました。そしてリュミエールが感情を、私が理性をそれぞれ独占することにより崩壊を食い止めたのです」
「感情……?」
 セレスは首を傾げる。感情という点については、オプスキュリテほどではないにしろ、リュミエールも相当に壊れていると言っていい。
 そんな疑問には答えず、オプスキュリテはさらに続ける。
「私が生まれて最初におこなったことは、目の前の賊を消滅させること。感情のない私にはそれは簡単なことでした。リュミエールが記憶している事実はたった二つ。一つは部屋に賊が押し入ったということ。そしてもう一つは、翌日からなぜか父親が行方不明になっていたということです。ついでに言えば、そのさらに翌日には母親もいなくなりました。家出したのか首を吊ったのか、詳しいことまでは私も知りません」
 あまりに壮絶な告白に、セレスは言葉を返すこともできなかった。
「その後、親戚たちに財産を毟り取られたリュミエールは孤児院に引き取られました。しかし理性的な思考能力を失い、さらには感情までもが壊れかけているリュミエールは孤児院にとっても厄介な存在だったようです。魔術の心得があることが知られると、今度は魔術師ギルドに預けられました」
 一気に喋るオプスキュリテは、もはやセレスの反応をいちいち窺ったりはしていないようだ。もしかしたらそんな余裕がないのかもしれない。
「かつては三系統を極めていたリュミエールですが、感情のほとんどと理性の全てを失うことにより、言霊と秘術の行使能力は完全に失い、かろうじて初級クラスの幻術だけが使える状態でした。とはいえ魔術師ギルドは慈善施設ではありません。働かざるもの食うべからず、ということでリュミエールも他のギルド加盟者と同じように、様々な主に雇われるようになったのです」
「……」
「もちろん世の中、そんなに甘くはありません。いかに初級幻術士の資格を得ているとはいえ、リュミエールの姿と人柄を見て、まともに戦力として雇おうと考える者が存在するとしたらそれは相当の変人です」
 きっぱり変人と断言され、憮然とするセレスを前にして、オプスキュリテは臆することなく続ける。
「それでも実のところ、リュミエールは雇い主にはそれほど不自由はしませんでした。もっとも、旅の道連れに華を添えるため、といった比較的穏当な理由で雇われた場合などは、コミュニケーション能力の欠如に限界を感じて早々に解雇されるのがほとんどでした。穏当でない理由で雇われた場合もある程度は我慢していましたが、一線を越えた場合は私の出番でした」
 私の出番――その一言で、セレスは即座にオプスキュリテの言わんとしているところを理解した。不埒な雇い主と、そして恐らくそれに加担したであろう仲間たちが、あの時の『賊』と同じ運命を辿ったであろうことは想像に難くない。ネーベルが言っていた、パーティメンバーが揃って行方不明になる、という噂の真相が本人の口から語られたのはこれが初めてだろう。
「感情の全てを失い、理性だけを完全な状態で保持している私は、秘術のみを当時と同じ力で行使することができます。二系統を失いはしましたが、それでもおそらく王国で十本の指に入る使い手であると自負しています。その力を使ってリュミエールを守る、それが私の唯一の存在意義です」
「唯一って――でもあの時はあたし達も守ってくれたよね」
「延々と過去語りをしてしまいましたが、それこそがこの話の本題です」
 そう語るオプスキュリテの表情は、相変わらず機械的としか表現のしようがないものではあったが、心なしか視線が強まったようなような雰囲気を、セレスは気のせいとわかっていても感じていた。
「私があなたを、いえあなた方を守った理由は、それがリュミエールを守ることと同義であるからです。なぜなら今あなたの身にもしものことがあれば、リュミエールの感情は今度こそ完全に壊れてしまうからです。そうなれば私も存在を失い、リュミエールは文字通り、ただ呼吸するだけの人形に成り果てます」
 絶句するセレスに、オプスキュリテはこれが最後だとばかりに一気に告げる。
「しかしあなたと出会ってから、少しずつではありますが、リュミエールの感情は以前の状態に近づきつつあります。感情が修復されれば、その度合いに応じて私はリュミエールに理性を返すことができます。私の最終目標は、いずれ全ての理性をリュミエールに返し、再び元の一つの人格に統合されることです。その暁には、あなたは三系統を極めた史上屈指の魔術師の主として、絶大な力を行使することができるでしょう。それがあなたに対して私ができる、ささやかではありますが唯一のお礼です」
 そこまで言うと、オプスキュリテの瞳の色が不安定に揺れ動き――そのままベッドの上に仰向けに倒れてしまった。そしてそのまま、穏やかな寝息を立てて眠り始めた。ごく薄く開けられた目の隙間からは、緑色の瞳が垣間見える。
「……リュミ」
 規則正しい呼吸を繰り返し、薄い胸をかすかに上下させるリュミに、聞こえていないと知りつつもセレスは語りかける。
「正直、かなり衝撃的な内容だったけど……でも、だからってリュミのことを嫌いにはなれそうにないよ。でもこれだけは言わせて。こんな仕事してる以上、はっきり言ってあたしはいつ死んでもおかしくない」
 自分で言った言葉に――それは動かしようのない事実である――心が冷えるのを感じながら、セレスは後を続ける。
「でも、仮にあたしが死んじゃったとしても、それで絶望する必要なんかないから。きっとあたし以外にもリュミのことわかってくれる人、いると思うから」
 そう告げると、セレスはリュミの横に同じように寝転がり、その細くて柔らかい肩を優しく抱き寄せる。穏やかで不思議な香りのする髪を撫でながら、セレスはリュミの耳元でそっと呟く。
「それまでの間で良ければ、あたしで良ければ――」


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