闇夜の空が、徐々に白み始めた頃。
「こんな時間に、どうしたのですか?」
ベッドの中から、ネーベルが呼びかける。その視線の先には、寝巻きのままベッドから出て、窓際にたたずみ夜空を眺めるアルコンの姿があった。
「眠れないのならいいお薬がありますよ。発祥は四百年ほど前、年々改良を重ねて効果と安全性は十分に――」
「なあ、一つ聞きたいんだが」
ネーベルの言葉を無視してアルコンは訊ねる。
「俺が一方的に解約するとなると、違約金ってのはいくらになるんだ?」
「……それは、セレスティア様との雇用契約を解除する、という意味ですか?」
アルコンは無言で頷く。
「そうですね、セレスティア様の側に何の非もないと仮定すると、猶予期間無しの解約を申し出た場合、契約料の二か月分というのが判例として定着していますね。解約の一ヶ月前にあらかじめ申し出た場合は半月分といったところでしょうか。注意しなければいけないのは、任務行動中などに即時の解約を申し出ると、場合によっては違約金どころか、任務放棄や敵前逃亡として犯罪行為に――」
「――二か月分なら兄貴に借りれば何とかなるな」
ネーベルの説明を最後まで聞かずに、アルコンはそう呟いた。
「しかしどうして突然そんな話を? 昼間のあの件なら心配は無用です。管理局の本部に一部始終を報告し、アギラ・エスパーダに対する監視を強める決定が下されました。彼の性格を考えると、前科者となって家名を汚すというリスクを背負ってまで、これ以上強引な行動に出るとは思えません」
「それだけじゃねーよ」
そう言いながらアルコンは窓を閉め、そのまま再び自分のベッドに戻ろうとする。
「では彼に言われたことを気に病んでいるのですか? あなたがセレスティア様の足を引っ張っているという」
ベッドに向かっていたアルコンの足が、ぴたりと止まる。
「……関係ねーだろ」
「関係なくはありません。なぜならわたくしもあなたと同じく、及ばずながらセレスティア様のパーティの一員なのですから。あなたが妙な誤解をしたままパーティを去ればセレスティア様はお困りになる。つまりわたくしも困るということです」
「誤解じゃない。事実だ」
「仮に事実だとしても、少なくともセレスティア様はそう認めておられません」
「百歩譲って今は問題ないとしてもだ。あいつがすげぇ勢いで成長してるのは馬鹿でもわかる事実だ。俺が本当のお荷物になるのは時間の問題だろう」
「こんな仮定は無意味ですが――確かにあなたが今のままで全く成長しなかったとしたら、いずれそうなる日は訪れるかもしれません。ですが、あなたの契約期間はたったの一年。いくらなんでも一年以内にそんな日が訪れるとは思えませんが」
いつの間にかネーベルはベッドから起き上がり、アルコンと正面から向かい合っている。
見えない火花を散らせながら、互いの口調にも熱が入ってくる。
「昼間だってそうだ。あいつが兄貴にやられそうになってるのを見ても、俺は何一つとしてできなかった。そう、何一つだ。怖気づいて身動きすらできなかったんだ」
「動けたところで、そもそも物理的に彼を止められる人間がこの世にそう何人もいるとは思えません。むしろあの場で手を出せるような人間は、このご時世では長生きできないでしょう。そう考えるとセレスティア様のあの行動はいただけません、あれでは命がいくつあっても足りません。彼女の近くには誰か、ブレーキ役となるような人間がついているべきでしょう。あなたなど実に適任だと思うのですが」
ネーベルの言葉に、アルコンは怪訝そうな表情を浮かべる。
「……お前、確かあの時気を失っていなかったか? それとも、気を失ったふりをしていただけなのか?」
「あのアギラ・エスパーダを相手に、そんな演技が通用すると思いますか? 実はあの後、セレスティア様から全てをお聞きしたのです。頭の血管が切れるのではないかというくらいお怒りでしたよ。リュミエール殿が殴り飛ばされたことに対してもそうですが、それ以上に、あなたのことを馬鹿にされたことが腹に据えかねたようで」
「……もしそれが本当だとしたら、あいつも何考えてんだか。兄貴は事実を言っただけじゃねーか」
「しかも、あなたが妙に落ち込んでいることについても心配しておられました。自分は男の子の気持ちはわからないから、代わりに元気付けてあげて欲しい、と頼まれてしまいましてね。しかしわたくしにも、男の子の気持ち、などというものは正直わかりかねますので、途方に暮れていたところです」
「……お前、一体いくつなんだよ」
「永遠の十九歳、ということにしております。とはいえ、十八歳までの頃の話などもはやほとんど覚えていませんが」
アルコンは深く大きくため息をつく。そして何もかもが馬鹿馬鹿しくなったという口調でネーベルに告げる。
「あいつもそのうち気付くだろ。世の中には俺なんかより、根性も実力もあって役に立つ奴がいっぱいいるってことにな。その時まで出て行くのは待ってやるよ。それで文句ないだろ?」
「わかりました。とりあえずそれで納得しておくことに致しましょう」
やれやれ、といった調子で首を振りながらネーベルはベッドに腰掛ける。
「しかし、あなたも所詮は人の子ですからね。あと五、六十年もすれば戦士としては役立たずに――その時のために、次の説得手段を考えておかなければなりませんね」
突然のスケールの大きすぎる話に、アルコンは思わず呆然とした表情を見せた。
「六十年……まさかお前、」
その瞬間だった。
床が落下したのかと、二人とも最初はそう感じた。
だが落下したはずの床がせり上がり、棚や机はおろか、ベッドや人間までをも宙に跳ね飛ばす。
次に襲ったのは、横方向の強烈な加速だった。しかしそれはごく短時間で方向を交互に逆向きへと転換し、その運動について来られない全ての物体を苛烈なステップで踊らせる。
それが地震であることに二人が気付くのに、かなりの時間を要した。
そもそも王国に住む者にとって、地震などというものは一年に一度経験するかどうかといった代物で、それも大抵はかすかに横揺れが生じる程度のものである。家具が飛んだり跳ねたりするような地震を経験したことのある者などほとんど存在しないだろう。
揺れは一分近くも続き、部屋中のあらゆる物体をめちゃくちゃに引っ掻き回した挙句、ようやく収束に向かった。
「なんなんだ今のは? めちゃくちゃやべーんじゃねーのか?」
彼らが衝撃で負傷したり家具に潰されなかったりしなかったのは職業上、心身ともに危険に対する構えができていたからに過ぎない。ということは、そうではない大多数の一般人については――
「……セレスティア様を連れて、すぐにここを出ましょう」
ネーベルが静かに告げる。
「どういうことだ?」
「幸い、この建物は倒壊していませんが、別の部屋か――あるいは近くの建物から火の手が上がる可能性があります。またこのような大地震の後には、余震といって立て続けに地震が襲ってくることがあります。今のうちに、広場のような安全な場所に避難するべきです」
「そんなことよく知ってるな……って感心してる場合じゃねーな」
二人は頷き合うと、部屋を飛び出した。
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