一方その頃――
 馬にまたがって山道を進む、三人の男がいた。
 一人はかなり高級な服を身にまとい、立派な毛並みの馬にまたがった役人風の男である。見る人が見れば、彼が王宮勤めの高級役人であり、普通ならばこんな辺鄙な山の中で見かけるような存在ではないことに気付くはずだ。
 その左右を固めるのは見るからに護衛の兵士そのものであるが、おそらく近所の地方領主に仕える田舎兵士が臨時で護衛の任に当たっているのであろう、鉄製とはいえあちこちが錆びかけている鎧兜がいかにも貧乏臭い。乗っている馬もどう見ても雑種で、ろくに訓練もされていないのか、時折勝手に歩調を緩めては周囲の臭いを嗅いでいる。
「しかし……噂に違わず凄い場所であるな。本当にこんな場所に人が住めるのか?」
「はぁ……まあ、あのデルニエの村っすから」
 役人の問いに、右の兵士が気の抜けた声で答える。
「そこかしこに生えている、あの毒々しい草があのデルニエ草ということか」
「たぶんそうですね。俺の馬もさっきからあの草の臭いが気になるらしくて、って言ってるそばから足止めてんじゃねーよこの駄馬!」
 左の兵士がそう言いながら手綱を強く振ると、慌てて馬が進路を戻す。
「名前だけは妙に知られている村ではあるが、実際に訪れたことのある者はどれほどいるのだろうか……」
「何しろ遠いっすからね。街から日帰りで行ける距離じゃねーっすから、行くとしたら村に泊まるか、近所に野宿するしかねーっす。そんな度胸のある奴いるわきゃねーっす」
「しかもこの辺には時々魔獣が出るって噂ですからね。八年前なんてステージVの奴が出やがって、かなりの惨事になったなんて話も……」
 兵士の言葉に、役人は思わず辺りを見回してしまう。
 ステージVの魔獣などというものに襲われれば、それなりの規模の街とて存亡の危機に陥るものだ。半日もかからずに全滅した村の話など珍しくもない。
 仮に今ここで襲われでもしたら、運良く相手が足の遅い魔獣であれば逃げおおせることも可能だろうが――大抵の魔獣の足は馬より速い。となれば迎え撃つしかないわけだが、今連れている兵士の力ではステージTの魔獣にすら歯が立たないだろう。
「あっ、ようやく見えてきましたよ。あれじゃないっすか?」
「ほう……まだ昼か。この調子で行けば、うまくすれば宿が閉まる前には街へ帰れそうだな。日の出とともに出発したのは正解だったか。だが――」
 村の様子を前にして、役人は首を傾げる。
「イメージしていたより普通の村に見えるな。門や柵などまるで手入れされていないが、酷いというほどではない」
「そうっすか? 正直、俺はこんなとこに住みたいとは思えねえっすけど……」
 兵士は首を傾げるが、仕事柄今までいろいろな場所を見てきた役人にしてみれば、この村が比較的まともに見えるのは道理である。戦乱に巻き込まれた、魔獣や山賊にたかられている、飢饉や疫病の蔓延……そういった末期の村々の悲惨さと比べれば、この村は決して裕福とは言えないまでも比較的ましな部類に入るだろう。少なくとも今日明日にも滅びそうな気配は無い。
 もちろん、こんな所に住みたくはないという点では兵士と同意見だったが。
 村の門をくぐり中に入ると、その辺に寝そべってパイプのようなものを吸っていた住人達が身を起こし、微妙に虚ろな視線を向けてくる。しかし特に声をかけてくることも、その場から動くこともしない。歓迎はされていないのだろうが、敵意を向けられる様子もない。
「うーむ、彼らに訊ねてもまともな答えが返ってきそうにないな……」
「あ、ほらあれですよ。あいつらが手に持ってるあれ、あのパイプにつまっているのが例のあれに違いないです」
「なるほど、他の者を当たった方が良さそうだ」
 そう呟きながら役人達は村人の目の前を通り過ぎ、さらに奥へと向かっていく。
「誰か話の通じそうな者はおらぬものか……しかし誰も彼も物凄い臭いだな。まさかこの夏場に風呂に入っていないのではなかろうな?」
「……こんな村に風呂なんてあるわけないっしょ。俺の実家にも無かったくらいっすから」
「ああ、いや風呂というのは言葉のあやだが、風呂でなくてもせめて水浴びをするなり体を拭くなり……」
「そもそも彼らは服すら洗っていないのでは?」
 兵士の言葉に役人は思わず身震いする。
「おいお前達、誰か話の通じそうなのを探して参れ。パイプを吸っていない奴で、できれば臭くない奴が望ましい」
 役人に絶望的とも言える要求に、兵士達は困ったように顔を見合わせる。

 その時、遠くから一つの人影が近づいてくるのが彼らの視界に入った。
 他の村人に比べるとやや小柄で、何やら荷車のようなものを牽いている。それを見るなり、役人は反射的にそちらへと馬を走らせた。
「あっ、ちょっと待って下さいっす!」
 慌てて後を追う兵士達に、役人は振り返りもせずに告げる。
「昼間からまともに働いているような奴なら、恐らく他の村人よりまともな応対が期待できる。あまり手間取って村に泊まりたくなどないからな、善は急げだ!」
 人影はこちらに気付いたのか、驚いたように立ち止まってこちらをじっと見つめている。
「……女の子?」
 馬を止めながら、役人は思わず驚きの声を上げる。
 遠くからは小柄な村人のように見えたが、女性として見れば特に小柄というわけでもない。とはいえ彼の事前知識が正しければ、この村に若い女性が住んでいるなどということは普通に考えてあり得ない。見たところ成人したかどうか――十五歳前後といったところだろう。
 体つきを見る限り栄養状態も悪くは無さそうだし、人生に疲れているとかそういった雰囲気も皆無だ。服は多少擦り切れた上に薄汚れてもいるが、背後の荷車を見る限り鉱石を掘ってきた帰りなのだろうから当然といえば当然で、もちろん他の村人のように異臭を放っているわけでもない。
 一見すると村の風景に違和感なく溶け込んでいるものの、冷静に考えれば場違いなことこの上ない存在である。
 この娘に訊ねれば、きっとまともな返答が得られるはず――そう判断して問いかけようとした役人に向かって、先に声をかけてきたのは少女の方だった。
「お客さん? それともこの村に移住しに来たの?」
 誰が住むか、と思わず声を荒げそうになりつつ、しかし役人は努めて冷静に答えを返す。
「いや、住む気はないがこの村に用事があってな」
「やっぱりお客さんか……そうだよね。この村に住みに来る人って大体ボロボロの服着て、人生に疲れ切ったような人ばっかだもんね。おじさん達は全然そんな感じしないし」
「おじ……私はヴァルト。ビルケ・デ・ヴァルト一等官だ」
 たかが身分外身分の一村人に過ぎない身で、仮にも王宮の一等官を面と向かっておじさん呼ばわりとは、場合が場合なら無礼討ちされてもおかしくない行為ではあるのだが、この状況でそんなことを言っても仕方が無い。彼はぐっと堪えた。
「ヴァルトさん? あたしはセレスティア。みんなにはセレスって呼ばれてるの。よろしくね」
「……あ、ああ」
 暑さのせいばかりではない汗をハンカチで拭いつつ、ヴァルトと名乗った役人はセレスと名乗った少女に訊ねる。
「ところでセレスとやら、お主に訊ねたいことがあるのだが」
「なに?」
「この村で最も武に長けし猛者、とは誰だ?」
「えっと……ブニタケシモサ?」
 首を傾げる少女に、横にいた兵士が助け舟を出す。
「要するに、この村で一番強い奴は誰だ、ってことだよ」
 するとセレスはぱっと表情を明るくし、即座に答えを返す。
「ああ、それだったらたぶん父さんだと思う」
「お主の父?」
「うん、名前はバレーヌっていうんだけど、若い頃はそれはもうとんでもない強さだったらしいよ。仲間と一緒に国中を回っていろんな武勇伝を打ち立てた、なんて本人は言ってるけどどこまで信じていいのやら」
「バレーヌ殿……?」
 役人は怪訝そうな表情を見せるが、セレスは構わずに続ける。
「うん。まあ昔の武勇伝とやらは眉唾だったとしても、この村で父さんの他に強い人なんて思い当たらないし……でも父さん、昔の戦いで右腕失くして左足も痛めてるし、ここ数年は毎日のように酒飲みまくってるし腹も丸々と膨れ上がってるし、若い頃と比べるとだいぶ弱くなってるとは思うよ?」
「……その、お主の父上殿は今どちらに?」
 役人が訊ねると、セレスは自分がやってきた背後の道を指し示しつつ、
「あっちにずっと進むと父さんとあたしの家だよ。でも父さん、今日も浴びるほど飲んでたからまともに会話できないかも……」
「その点はこちらで何とかしよう。情報感謝する」
「何の用だか知らないけど、頑張ってね!」
 最後に笑顔を見せつつ、セレスは再び荷車を牽いてヴァルトの前から去っていった。

「……それで、そのバレーヌって男の家に行くんすか?」
 兵士の質問に、ヴァルトは首を横に振る。
「いや、その前にもう少し情報を集めたい。何かが引っかかる――お前達、この村の隅々まで探し回り、まともに話のできそうな者がいたら私の元へと連れて参れ」
「……かしこまりました」
「……それじゃ、行ってくるっす」
 露骨に嫌そうな顔をしながら立ち去る兵士達の背を見ながら、ヴァルトは一人呟いた。
「今更バレーヌ殿というはずもない……だがいかに衰えたとはいえ、あのバレーヌ殿を超える猛者などこの村に存在するとは思えぬが」


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