燭台に挟まれた通路を、どれほど進んだだろうか。
 通路の先に、それは見えてきた。床が盛り上がり、何やら祭壇のような形になっているようだ。その周囲を、いくつもの燭台がずらりと取り囲むように立っている。
 蝋燭の薄明かりに照らされ、祭壇と、そしてその中央に立つ人影が闇の中に浮かび上がる。
「ついに来たか」
 その人影が告げる。セレスはつるはしを構えたまま、慎重にその人影の元へと駆け寄る。
 まさに正体不明といか言いようのない人物だった。鉄製の仮面を被り、燃えるような赤い髪を振り乱し、全身を黒いマントで覆う姿は、例えば街中などで見かけたらどう見ても何かの仮装としか思えないだろうが、この祭壇を取り囲む空間においては異様なほどにマッチしていた。
「あなたが――」
 セレスは問おうとして、やめた。馬鹿馬鹿しい。そんなこと聞くまでもない。これほどまでに、背筋が凍るほどの異質な気配を放つ存在が他に存在するだろうか。
「いかにも。私が魔王ガイストと呼ばれる者だ」
 一歩、また一歩とセレスに近づきながら、仮面の人物は答える。
 その気配に圧倒されながらも、セレスはここに来た目的を思い出して告げる。
「どうして王都を――街を壊そうとするの?」
 説得してやめさせられるならば、それに越したことはない。そのためにはまず目的がわからなければ仕方がない。まったく勇者らしからぬ思考ではあるが、この状況においてはある意味最も現実的な対処と言えるだろう。
「王国に恨みがあるからだ――という答えでは不足か?」
「でもそのためにたくさんの人が死んじゃうんじゃないの?」
 間髪入れずに質問を繰り出す。そうしないと正気を保てそうにないからだ。
 姿形こそ、普通の人間が仮面を被っているのと区別がつかない。しかし、それゆえに逆に、通常の生物とかけ離れた歪みがどうしても際立ってしまう。
 そんな様子を見て悟ったのか、魔王の声に笑いの成分が入る。
「十六年前に、全く同じことを訊ねてきた奴がいる。この私を目の前にして、そんなまともなことを口にできるような奴が二人もいるとは思わなかった」
「それって――」
「その時も私は言ってやった。それの何が悪い、と」
 魔王の返答に、セレスは言葉を失った。
 人を殺して何が悪い――それを論理的に説明する方法などありはしない。ましてや相手は、とっくの昔に人間をやめている存在なのだ。人間が動物を狩って何が悪い、と言っているようなものなのだ。狩られる側が何を主張したところで、狩人がそれを聞き入れることなどあり得ないだろう。
「私のような存在を生み出したこの世界など、どうなろうと知ったことではない。私はただ使命を果たすのみ。それこそが私の生きている理由だ」
「そんな――」
「逆に訊きたい。お前は、お前をこの世に産み落としたこの世界を愛しているのか? 命を張ってまで守りたいと考えているのか?」
 いきなり問われて言葉に詰まる。
 自分がこの世界をどう思っているのか――はっきり言って、そんなこと考えたこともなかった。しかし、だからといって「わかりません」で相手が納得するとは思えない。
 なんとか答えをひねり出そうと考えるが、気の利いた言葉など浮かんでこない。
「私は世界のことなんて全然知らないけど」
 だから、セレスは感じるままに答えた。
「村の人たちが大好きで、村を出てから出会った仲間のことも大好きで、だからきっとこれから会う人たちや、これから知る世界のことも好きになれると思う」
 偽らざる、それがセレスの本心だった。
 それはあくまで自分ひとりの考えに過ぎない。こんな言葉で魔王を説得できるとは思えない。今のセレスにはこれ以上の言葉を思い浮かべることなどできなかった。
 しかし――魔王の取った反応は、そんなセレスの考えをも超越していた。
 なんと魔王は、突然腹を抱えて笑い出したのだ。
 あっけに取られるセレスの前で散々大笑いした後、魔王はセレスに向かって告げた。
「なんと能天気な娘だ。お前の母親がいかに無様な末路を辿ったか知れば、そんな口も利けないようになるだろう」
「お母さんを知ってるの!?」
 セレスは思わず叫んでしまってから自分でも驚いた。まさか自分が、そこまで母親のことを知りたがっているとは自覚していなかったのである。
「よく知っている。知らないはずがない。お前の母親が苦痛と絶望に悶え苦しむ様は実に滑稽だった。王国で一番と呼ばれた程度で図に乗って、触れてはいけないものに触れてしまった愚か者に対する因果応報というものだ」
 魔王の言葉に、セレスの疑念が確信に変わる。やはり自分の母親というのは――
「およそ人が想像し得る中で、これ以下はないだろうという死に様を私が自ら演出してやった。できればお前には同じ道を歩んで欲しくはないものだ」
「なんですって――!」
 セレスの瞳が怒りに燃える。つるはしを構える手に力が入る。
「ほう、私に立ち向かうか? それもいいだろう。王都の連中が無様に死に絶える姿を見たくなければ、せいぜい頑張ることだな」

 魔王がマントを広げた。それが合図となった。
 セレスはつるはしを構えたまま飛び込み、小細工も何もない第一撃を繰り出す。
 魔王はマントを巧みに操り、その攻撃を受け流す。セレスは続けざまにつるはしを振るうが、仰々しい格好の割に魔王の動きは素早く、なかなか思うように捕捉できない。
「その程度か。十六年前の戦いはこんなものではなかったぞ」
 そんな風に挑発してくるが――しかし、セレスの心の中には、どこか冷静な部分が残っていた。相手が武器も何も持たず、丸腰だからかもしれない。だからと言って油断していい相手ではないことは確実だが、何が何でも殺してやりたいとか、そういった気迫が沸いてこないのも事実である。何しろ、現に魔王は儀式とやらを中断している。つまりセレスたちの作戦は既に成功しているのだ。あとは生き延びて、四人全員で脱出すれば完璧だ。
 そんなセレスの心のうちを見抜いたのか、魔王はセレスの攻撃をかわしながら告げてくる。
「お前たちは今まで私の手の上で踊っていたに過ぎない。情報はネーベルから筒抜けだった」
「ネーベルから……?」
 にわかには信じがたい話だったが、心のどこかでセレスは理解していた。彼がいろいろ隠していたのは事実で、それが「実は魔王軍のスパイでした」というものであったとしても不思議ではない。しかしそれでもセレスにとって、それは少なからぬ衝撃だった。そもそも今まで人を疑うということをしてこなかった彼女には、そういったことに対する免疫は存在しない。
 だが、魔王は容赦しなかった。
「アルコンとリュミエールと言ったか、奴らには私の腹心を当たらせた。もはや生きてはいないだろう」
「なっ……!」
 さすがにセレスの顔色が変わる。
 しかしもちろん絶望などしない。急いで助けに行かなければ――その想いがセレスの動きを加速させる。助けに行くためには、魔王を倒す必要がある。だとしたら倒すまでのことだ。
 そう割り切ったセレスの攻撃は、さすがに魔王といえど簡単に防ぎきれるものではなかったようだ。魔王が何事か呪文のようなものを呟くと、突如として空間に何やら武器のようなものが出現した。
 慌てて飛び退くセレスの前で、魔王はそれを手に取って構えた。それは巨大な鎌だった――大きさといいシルエットといい、どことなくセレスの構えるつるはしに似ていたが、しかし全体的に赤みがかったそれは、セレスの武器よりもはるかに禍々しかった。
「ようやくその気になったか。ならばこちらも――」
 そう告げながら魔王は大鎌を振りかぶる。そして振り下ろされた一撃を、セレスは力任せに跳ね返し、逆に強烈な一撃を叩き込む。
 わずかにかわし損ねた魔王の胴体を、その一撃が掠める。その部位は黒塗りの鎧で覆われていたが、鋼鉄のつるはしの一撃はそんなものなど紙のごとくたやすく引き裂き、内側の肌をわずかに傷つける。同時に、セレスの身につけている勇者の紋章が青色の輝きを放つ。
 人間のものと同じ、真っ赤な血が飛び散った。傷口が再生する兆しはない。魔獣と同じく、魔王にも勇者の力は通用するらしい。
「もう一発!」
 気迫とともに次の一撃が振り下ろされる。魔王はそれを大鎌で受け止め、つばぜり合いのような格好になる。セレスが力を込めると、魔王はわずかに押される。
 純粋な力比べでは、わずかにこちらが勝っているらしい。このまま押し込めば頭部に一撃を叩き込むことができるかもしれない――!

 その時だった。
 突然、聞き覚えのある声が辺りに響き渡る。
「セレスティア様!」
 声の方向にセレスの顔が向く。そこにはネーベルが肩で息をしながら立っていた。おそらく全力で走ってきたのだろう。途切れ途切れになりながらも、彼は切羽詰った表情で叫ぶ。
「陛下を、魔王を殺して――」

 視線を逸らした隙を魔王は見逃さなかった。つばぜり合いの状態から思い切り押し返され、セレスはつるはしを構えたままひっくり返る。
 慌てて起き上がるが、その時には魔王は既に動いていた。
 マントの下からわずかに覗かせる肌が鮮やかな桜色に染まる。そこに血のような色の不気味な紋様が浮かび、同時に魔王の存在自体が圧力を帯び、空間を伝播し広間の隅から隅までを支配する。
 物理・心理両面の圧力によって、セレスは全く身動きが取れなくなっていた。そしてそんな状況の下、それは起こった。
「ぐあぁぁぁぁぁっ!」
 断末魔の悲鳴は、ネーベルが立っていたはずの場所から聞こえてきた。しかしそこに存在するのは、毒々しい色の炎に包まれて踊る、人の形をした物体にしか見えなかった。
 火の粉が飛び散るにつれて、物体は徐々にその質量を失っていく。悲鳴も徐々に遠く、そして細くなり、物体の大半が消え失せたところで完全に聞こえなくなった。

「この期に及んで寝返るとは、どこまでも役立たずのクズめ」
 セレスの耳には、一切の雑音が聞こえなくなっていた。なのに魔王の発した声だけが、はっきりと聞こえてしまう。
「まあ、こいつがどちらに付こうが大した違いはない。邪魔なものを片付けるいい機会になったと思っておこう」
 そう告げると、魔王はセレスに視線を戻してくる。その動きが、なぜかやたらとゆっくりに見えた。
「つまらないことで時間を取られたな。心配するな、お前とはもう少し真面目にやり合おうと思ってい――」
 セレスは、自分がつるはしを構えたまま魔王に向かって猛烈な勢いで突進していることに、少し遅れて気が付いた。もはや思考がまともに動いていない。
 目の前で、ネーベルが虫けらのごとく殺された。
 確かに彼は自分を裏切っていたのかもしれない。そしてネーベルが魔王の配下であったことも事実だろう。そんな彼がしたことと言えば、叫んだだけだ。正確に言えば叫ぼうとしただけだった。彼が言おうとした言葉にどんな意味があったのかは知らない。だが、それだけで魔王はかつての子分を何のためらいもなく殺した。殺さずに黙らせることくらい簡単だっただろうに、それなのに殺した。
「うおおおおおおおおおおおおお――っ!」
 今までの人生で一度も出したこともないような声が自分の喉から発せられていることに気付いたが、それを止めようとも思わなかった。
 何の小細工もなしに、とにかく全力を込めた一撃を魔王に叩き込む。
 魔王は大鎌でそれを防いだ。魔族としての力を解放した魔王は、先程とは比べ物にならないほどの力でそれを押し返してくる。それは人間という種族の持つ限界を超越した、とんでもない力だった。鋼鉄製のつるはしが音を立てて軋む。
 しかし今のセレスには、魔王の力の流れが手に取るように感じられる。心臓を発端にして、血液の流れに従って全身に広がったエネルギーが、魔王の肉体を本来の数十倍にまで強化しているのだ。ならば話は簡単だ。自分も同じように強化すればいい。そして魔王の心臓を貫けば全てが終わる。だからセレスはそうした。
 全身に一瞬で力がみなぎり、肉体がはちきれそうな感覚に襲われる。こうなれば、鉄などという柔らかい物質でできたつるはしなど邪魔なだけだ。その辺に無造作に放り投げると、セレスは自らの手を突き出した。
 指先は魔王の鎧を突き破り、胸の中に潜り込み、肋骨を割り進み、熱く激しく鼓動する塊を貫き、そのまま背中をも通り抜けた。熱湯の詰まった袋を破ったような錯覚に襲われた。真紅の液体がセレスの全身を染め、同時に魔王の全身からありとあらゆる力が抜けていく。


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