心臓を貫かれ、床に仰向けに転がる魔王を、全身血まみれとなったセレスは立ったまま見下ろしていた。魔王の目はいまだに見開かれており、意識を失ってはいないようだ。さすがに恐るべき生命力であるが、しかしもはや助からないのは誰の目にも明らかだろう。
 先程の衝撃で、魔王の顔を覆う鉄の仮面にひびが入っている。
「くくくくく……」
 こんな状態でありながら、なぜか魔王は笑っていた。
「言った通りだろう? およそ人が想像し得る中で、これ以下はないだろうという死に様というやつだ。この私に実にふさわしい死に方であろう?」
 もはや抵抗などできるはずもない魔王の姿を前にして、セレスの心が徐々に醒めていく。
 自分が魔王を殺した――その事実がいまだに信じられない。なぜなら、先程魔王が見せたあの力は明らかに人間という種族の器を超えていたからだ。
「奴に陥れられ、人間であることをやめてから四百年……ついに望みがかなった。ああ、私にその姿をよく見せてくれ……」
 そう言いながら、魔王は最期の力を振り絞り、自らの顔を覆うひび割れた仮面を外した。
 その顔を見た瞬間、セレスは稲妻に打たれたような衝撃が全身に走るのを感じた。
 それは普通に見ればどうということはない、強いて言えば気の強そうな美人という形容ができるであろう、妙齢の女性だった。しかしどことなく、セレスにとって見覚えのある誰かに似ている気がする。
「ああ、素晴らしい……やはり私の理論は間違っていなかったのだ。魔族の力と勇者の力――不死の力と不死に抗う力、相反する力を併せ持つ存在こそ究極の生物――」
 ようやく気付いた。彼女が誰に似ているのかに。
「だが、そのためにはまだ最後の仕上げが残っている……セレスティア、私をよく見ろ」
 言われずとも目を離すことなどできなかった。
 そして魔王は、最期にセレスに向かってこう告げた。
「そしてよく覚えておけ、これがこの世で最も愚かな――触れてはいけないものに触れ、それでも懲りずにひたすら追い求め続けた――お前の母親の、この世で最も惨めな死に様だ。お前の勇者としての力が……私の……終わらぬ……を……断……」
 次の瞬間、魔王の体からありとあらゆる力が抜け去った。

「うああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――っ!」
 セレスは叫んだ。叫び続けた。
 全身の肌が鮮やかな桜色に染まり、血の色でできた紋様がびっしりと浮かび上がる。
 無制限に放たれた力は暴走し、周辺の物体を手当たり次第に壊していく。
 床に亀裂が走り、それは際限なく広がり全てを飲み込む。巨大な要塞そのものが徐々に振動を始め、やがて蓄積されたエネルギーを支えきれずに崩壊を始める。
 要塞に残っていた魔族や魔獣たちが、蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていく中――
 ネーベルの後を追って、ようやくその場に辿り着いたリュミエールの、焦点の合わない瞳の奥に、その光景はしっかりと焼きついていた。心臓を貫かれもはや動かぬ物体と化した魔王の横で、この世のものとは思えない絶叫を響かせる血まみれの存在――もはや人間とは呼ぶことのできない、変わり果てた存在がそこにあった。

 *

 突如として崩れてきた天井に飲み込まれる――それが最後の記憶だったように思う。
 アルコンが目を覚ますと、そこは瓦礫の山と化した世界だった。瓦礫の材質には見覚えがある。あの魔王の要塞を構成していた外壁と内壁が、砕けてごちゃ混ぜになっているらしい。
 そこで彼ははっと気付く。急いで魔王を止めなければ――慌てて立ち上がって周囲を見渡すが、ひたすら瓦礫の広がるばかりの大地で、一体どこを目指せば良いのかわからない。
 その時、ふと後ろのほうから何者かの声がかかる。
「おい、そんな所で何してるんだ?」
 アルコンが振り返ると、そこには見知らぬ勇者の一行がいた。
 あの時、潜入部隊として集められた中にはいなかったはずだ。彼らは辺りを見回しながら、何かを探すようにしつつアルコンに近づいてくる。
「子供がこんな所で何を……って、その格好はひょっとして君はあれか、潜入部隊の一員か? それで要塞の崩壊に巻き込まれたのか?」
 崩壊――確かに周囲の様子を見る限りでは、あの要塞が崩壊したという事実に間違いはないだろう。そして自分がそれに巻き込まれつつも、奇跡的に生きていたのだということも。
 だからアルコンは頷いた。
「やっぱそうか。よく生きてたな――そうだ、だったらちょうどいい。魔太子がどこに逃げたか見てないか?」
「魔太子……逃げた?」
 魔太子という名前に聞き覚えはあったが、逃げたというのは一体どういうことなのか。彼らはそれを探しているという。一体何がどうなっているのか。
 そんな彼の疑問を察知したらしく、一行の別の者が助け舟を出す。
「そんなの、ずっとここにいた人にいきなり聞いてもわかるわけないじゃないの。最初から説明してあげなさいよ」
「そ、そうだな。魔王が倒されて魔王軍は撤退した――って話は知ってるかもしれないが」
 もちろん知っているはずがない。しかし、話の腰を折りたくなかったのでアルコンは黙って聞き続けた。
「しかし引き換えに、真の災厄である魔太子がついに目覚めてしまったらしい。きっと奴らの目的はこれだったんだ! このまま放っておくと世界の存亡に関わる、何としても探し出せ――って勅命が出たんで俺達も必死に探してるんだが、何か心当たりはないか?」
 そんなことを聞かれても、そもそもその魔太子がどんな奴なのか知らなければ答えようがない。それ以前に、アルコンにはもっと重要な用事があるのだ。急いでセレスを探し出し、何としても止めなければならない。あの親衛軍元帥とかいう奴はこう言った――魔王の目的は、実の娘であるセレスに母親を、つまり魔王自身を殺させることだ、と。何のためにそんなことをするのか、そこまでは教えてくれなかったが――
 アルコンの心臓が止まる。魔王の実の娘。魔王が倒された。殺させるのが目的。ついに目覚めてしまった。そんな言葉が、彼の頭の中でぐるぐると回り続ける。
 そんなアルコンに、追い討ちをかけるような言葉が、何の悪意も伴わずに浴びせられる。
「その魔太子って奴は、『空色の瞳に夕焼け色の髪を持つ少女』の姿をしているらしい。見た目の可愛さに騙されるなって言ってたけど、一体どんな奴なんだか気になるよね。世界の存亡がかかってるって時にこんなこと言ってる場合じゃないだんろうけど――」

 *

「さすがだよアルコン・エスパーダ……まさか本当に、ただの人間が僕に傷を負わせることができるなんて思わなかったよ」
 まぐれではあった。
 無様なまでに必死になりながら何とか繰り出した攻撃が、たまたま彼の胸を貫いたのだ。
 もちろん、この程度でどうにかなるほどヘルツの肉体は脆くはない。とはいえ――もしもアルコンが勇者としての力を持っていたのなら、下手をすれば命に関わる傷になっていた可能性もある。もちろん人間なら間違いなく死んでいる傷だ。
 いかにヘルツがアルコンを間違って殺さないよう細心の注意を払って戦っていたとはいえ、仮にもあの親衛軍元帥が無名の一戦士に胸を貫かれたなど、知れ渡ったところで誰も信じないだろう。
 もちろん彼は約束通りアルコンに道を譲り、ご丁寧にも魔王の居場所まで教えてあげたのだったが――しかしそれも全ては無駄に終わった。
 ヘルツが胸を貫かれた時点で、既にネーベルは魔王の手によって消滅させられ、セレスの覚醒は始まっていた。あそこから全速力で駆けつけたところで、到底間に合うはずがなかったのである。
「さてどうなることやら……あれだけの力を持って、正気でいられる人間など果たして存在するのかどうか。僕としては、地上が破壊しつくされるまで、地下に身を潜めているのが賢いだろうね……その時まで彼が生きていられるかどうか。そこが全ての鍵、かな」
 そう呟きながら、かつての親衛軍元帥は地上から姿を消したのだった。


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