それから二週間と少しが過ぎた――

 王都の中心部にある城門前広場で馬車を降りたセレスを、見知った顔が出迎えた。
「あっ、ヴァルトさんお久しぶり!」
「うむ、十六日ぶりであったかな。お主、前に見たときより一回り大きくなったように見えるな」
「えっ! どうしよう、学校の寮で出される食事があまりにも美味しかったものだから、つい毎日毎日……」
 思わず自分の体をあちこち触ってみるセレスの様子に、ヴァルトは思わず苦笑する。
「あ、いや太ったとかそういう意味ではなくてな。何かこう、一皮むけたというか」
「だって大変だったんだから。担任の先生がなんかやたら張り切っちゃって。とりあえず十五歳だからってことで、同い年の子たちが集まってるクラスに入れられたんだけど、授業とか最初何言ってるんだかさっぱりわかんなくて。クラスのみんなには見事なまでに笑われたよ。あたしも釣られて笑っちゃったけど」
「そ、それはいくらなんでも無茶というものではないか?」
「先生もそれに気づいたらしくて、補習とか言って毎晩つきっきりで教わることになったの。読み書きとか数の数え方とかそういう所から――普通なら六歳くらいに教わるようなことらしいんだけどね」
「何と言うか……王宮にしてみれば王立学院に席を手配するのが手っ取り早いのはわかるが、誰も彼も同じ扱いというのは杓子定規に過ぎるのでは……」
 王立学院といえば、王国全土から貴族や富豪の子弟が集い、子供の頃から英才教育を受けるいわばエリート養成機関の筆頭である。本来であれば、入学には家柄や財力だけでなく並外れた才覚までもが要求されるのだが――特例中の特例として、勇者として選ばれた者に限っては叙任前に二週間の特別講義を受けることが許され、また義務付けられてもいるのだ。
 しかし実のところ、勇者として任命される者のほとんどは中流以上の家で生まれ育った者である。セレスのように学校に通ってもいなければ文字すら読めないといった者は、王国全体における人数比から言えばむしろ多数派のはずなのだが、今までそういった者が勇者に任命される例は少なかったようだ。
「それで、首尾はどうだったのだ? 一応、修了証書は授与されたと聞いたが」
「ぜーんぜんダメ」
 むしろ楽しげな表情で、セレスは首をすくめて見せた。
「であろうな。そもそも前提からして――」
「昼間はクラスの授業、夜は補習って感じで二週間まるまるみっちり勉強したんだけど、やっぱりダメだね。普通の読み書きとかお金の計算とか一般常識っぽいこととかその辺までは問題なかったんだけど、敬語とか礼儀作法がどうとか王国の歴史がどうとか物の落ちる速さがどうとかその辺になるとだんだん怪しくなってきて」
「……ええと、おほん、その、だな」
「クラスの授業の方も、最後の方はとりあえず何言ってるのかくらいはわかって来たんだけど最終日のテストでは激戦を制して見事に最下位。みんな呆れて言葉もなかったみたいだけど、こっちは田舎育ちなんだし二週間しかなかったんだしもう少し大目に見てくれてもいいと思わない?」
「……とりあえず同情する」
 ヴァルトはあらぬ方向に視線を向けて呟いた。
「ありがと。まああたしはやっぱりどっちかっていうと頭使うより体使う方が得意だなぁ」
「いや今のはお主に言ったのではなく……」
 そんなことを話しながら、二人は王宮に向かって並んで歩いていく。
 高位の王宮役人とつるはしを担いだ田舎娘、という組み合わせに、道行く人々が時折驚いて振り向くが、セレスは全く気にすることなく、道端で面白いものを見つけるたびに目を輝かせていた。

「これがお城……」
 門を見上げて呟くセレスを見て、ヴァルトは思わず苦笑した。
「これは正門大橋にかかる第一の門――この門をくぐり、大橋を渡り終わったところで見えてくるのが正真正銘、城の正門ということになる」
「えっ、これがお城なんじゃないの? だってこんなに大きいのに……じゃあ、この川を渡った向こうに本物のお城があるんだね」
「川……まあそう見えるのも無理はない。これは敵の侵入を防ぐために作られた堀だ。水を満たして循環させているから、人工の川と言えなくもないが」
「これ掘ったのっ!? すっごーい!」
 その巨大な橋は驚くべきことに一部が跳ね橋になっていて、いざという時は橋を完全に通行止めにできる仕組みになっていた。
 跳ね橋の根元、すなわち向こう岸には第一の門よりもさらに一回り大きな城門があり、その両脇には半ば門と一体化した高くて分厚い石の壁がどこまでもそびえ立っていた。堀を流れる水は石壁の根元にまで及んでいるので、遠くから見ると水上に浮かぶ巨大な石の箱のようにも見える。

 城門をくぐると、その中にはさらに城門と城壁に囲まれた空間があった。
「また門がある! ここの王様って門が好きなの?」
「敵襲の際、敵が外の城門を破って入ってきた場合、内の城壁との間の空間――すなわち今我々が立っているこの場所で敵が立ち往生しているところに、城壁の上から弓矢を射掛けて撃退する。そういった仕組みではあるのだが、王国の歴史上ここまで敵の侵入を許したことは一度もないらしい。もっとも橋の外側にあった第一の門は何度か破られ、その度に再建されているのだがな」
 その第一の門とて、全周を頑丈な外壁に守られた巨大な城塞都市である王都の、しかも何十万という市民たちの住む市街地に囲まれた中枢に存在するのである。そんな場所に何度も敵の侵入と大規模な破壊行為を許している時点で、いかにこの王都が、そして王国が苛烈な戦いを潜り抜けてきたかという証明になるだろう。
 内側の城門をくぐると、そこには意外な光景が広がっていた。
 一面には見渡す限りの芝生が広がり、中央を貫く広い通路には石畳が敷かれ、その脇には等間隔で樹木が植えられ、ところどころに巨大な花壇や噴水がある。
「なんか学院の中庭に似てるなぁ。規模はケタ違いだけど」
「そもそも王立学院の中庭自体、この庭園を模して作られたという話を聞いたことがある」
 時折、見るからに格調高い衣装に身を包んだ貴人を乗せた馬車が二人とすれ違う。おそらく貴族か何かだろうが、わざわざ馬車に乗って移動しなければならないほどの広さというのは一体どれほどのものなのか。セレスは目を凝らして通路の向こう側までの距離を推測しようとするが、いくつかの建物の影がかすかに見えるばかりで、とても対面の石壁など見えそうにない。

 そんな道を延々と十五分ほど進んだ頃――
「うわーっ、お城がいっぱいあるよ!」
 目を丸くするセレスを前に、ヴァルトは思わず吹き出した。
「何と言うか、期待に違わぬ良い反応を返すのう。この庭園自体が既にヴァールハイト城の一部ではあるのだが、要となる建造物は全部で七つある。そのどれもが、城下町に存在するどの建物よりも大きい」
 ちなみに七つというのは特に巨大な建造物のみを数えたもので、周辺に散らばる小さな建物まで数え上げればゆうに百を超える。
「でも王様って確か一人だけだよね? こんなに建物あってどうするの?」
「何も国王陛下ばかりがこの城をお使いになられるわけではない。七つの建物はそれぞれ――」
 国王と王妃をはじめとした王族が生活を営む寝殿。
 数多くの側室とその世話役達が暮らす大奥御殿。
 各大臣の執務室や中央官庁が集う執政院。
 貴族院議員たちによって中央議会が行われる議事堂。
 王国軍の中枢たる総司令部。
 外国の要人をもてなすための迎賓館。
 そして――
「これから向かうのは謁見の間がある儀礼殿だ。国王陛下の面前で様々な儀式が執り行われる、いわばヴァールハイト王国の顔とも呼べる存在であるがゆえ、他のどの建物よりも荘厳な造りとなっている」
 その儀礼殿が、まさに二人の目の前にそびえ立っている。
「……あたしがいつも掘ってる山とどっちが大きいかな?」
 山と言ってもそもそもデルニエの村自体が大きな山の中腹に位置し、セレスがここで言っている『山』というのはその途中にある隆起の一つに過ぎないのだが、それでも本来なら間違っても人工の建造物ごときと比較されるような大きさではない――少なくとも村よりは遥かに大きいのだから。
 等間隔で並ぶ石柱は、大人二人がかりでも手が回らないほどの太さと、セレスの身長の数十倍はありそうな高さを兼ね備えているが、しかし近くでよく見ると一本一本に細かい装飾が施されている。
 そして正面の門は、想像上の動物である恐竜でも通すのかと思われる程の大きさを誇る、無駄に大きく厳つい扉を備えていた。鋼鉄製のそれはどう考えても人一人の力で動かせるような重さではないだろう。
 門の両脇に、これまた巨大な像が佇んでいる。重甲冑に身を包み、それぞれ剣と矛を構えた戦士の石像である。そしてその足元には、まるでその二つの像を縮小したかのような黄金色の――
「儀礼殿にようこそ、セレスティア殿!」
「うわっ、像がしゃべった!?」
 驚くセレスに、黄金色の甲冑を身にまとった衛兵が笑い声を上げる。
「はっはっはっ、この像と間違われるのであれば光栄だ。王国創生記に登場する名もなき守護神はこの像のモデルであると同時に、我々親衛隊の崇める象徴でもあるからな」
「確かに強そうだね――像もそうだけどおじさん達も」
 何気なく呟くセレスに、ヴァルトは慌てて告げる。
「この方々は親衛隊の中でも特に選ばれた最精鋭にして、全ての兵士の目標であり模範となる方々だ。失礼のないように」
 その言葉に、もう一人の衛兵が首を横に振る。
「いやいや、セレスティア殿は間もなく勇者になられる方だ。武勲を重ねて銀色ランクあたりになれば身分的には我々と同等――」
「しかしそれ以前にレディには礼を尽くすのが親衛隊の流儀。こんな所でお待たせするわけにはいかない」
 そう告げると、彼は振り返って門に向かって大声で叫ぶ。
「開門――――――――っ!」
 その瞬間、重い音を立てて門扉がゆっくりと動き始める。一体何の力で動いているのか、とても人力では歯が立ちそうにないそれはそのままゆっくりと開き続け、完全に開ききったところで音もなく止まった。
「さあ、中で皆が手ぐすねひいてお待ちかねだぞ」
「皆……?」
 衛兵の言葉に引っかかりを覚えながらも、セレスは開いた門扉の中へと足を進める。

 そこは窓らしい窓がなく、外からの光はほとんど入ってこない空間だった。
 にも関わらずその部屋が外と変わらぬ明るさを保っているのは、天井から垂れ下がるいくつもの巨大なシャンデリアに灯る、おびただしい数の蝋燭の光によるものだった。
「これが謁見の間?」
「いや、これは謁見の間に通じる待合室のようなものだ」
 ヴァルトに言われて、セレスは改めて部屋を見渡す。
 毛足の長い不思議な感覚の絨毯、所々に備えられた優美な円卓とそれを取り囲む椅子。天井は呆れるほどに高く、壁際には数歩置きに銀色の甲冑が置かれている――ように見えたが、驚くべきことにどうやらその甲冑には中身が入っているらしい。あまりに物々しい警備ではあるが、その割にそれほど威圧感がないのは鎧のフォルムが優美なためかもしれない。
「学院のダンスホールに似てるけど、あれ何個分の広さなんだろう……ひょっとして村より広い?」
「ふむ、確かに新年ダンスパーティなどはここで開かれるらしい。私は出席したことはないのだが、お主が勇者として名を挙げればそのうち呼ばれる日が来るやもしれんな」
 その時、奥の部屋から二人の男が出てきた。
「これはこれは、ようこそいらっしゃいました」
 二人のうちの年上の方、眼鏡をかけた役人風の男がそう言ってセレスに頭を下げる。隣に立つ長身の若い男も、慌てて頭を下げてくる。
「ヴァルト一等官もお疲れ様です。さて、叙任式の前にいくつか確認させて頂きたい事項が――立ち話もなんですのでそちらにお掛け下さい」


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